7.食事会の後で
7.食事会の後で
十時を回った時点で、まだ中学生の俺は、先に会から退いた。だが、部屋に戻らずに真っ直ぐ使用人用キッチンへ向かう。何だか無性に彼女のスイーツが食べたくなっていた。
「………つっかれた~。」
扉を開け、ネクタイを緩めながら言うと、優実が驚いたような顔を上げた。
「今日は何?」
「………パーティーで思う存分召し上がったんじゃないんですか?」
「ゆっくり食べられる訳ないだろう?!それにお前のスイーツは別腹だ。」
言ってから不安になる。
「……もしかして、俺の分、無いのか………?」
妙に情けない声が出た。
だが、優実はあっさり否定する。
「いえ、あります、ちゃんと。ただ………。」
「ただ、何だ?」
「パーティーでもありますし、今夜はそんなにすぐには召し上がらないかと思って、ピーチパイに……。時間が掛かるんです、パイって……。今、オーヴンに入れたところですので、もう暫く掛かります。」
俺はホッとして笑った。
「あるんなら良い。先に着替えて、またここに戻る。」
「はい。」
彼女の顔が僅かに微笑んでいたように見えた。けど、気のせいだよな。
風呂に入った俺は、使用人用キッチンへ戻った。オーヴンからはバターの焼ける香ばしい香りが漂っている。
そして優実は、綺麗に片づいた作業台に突っ伏してうたた寝をしていた。
寝顔を見たっていうのは、スイーツを巡る今後の駆け引きに有効か?
そう思いつつ、自分の分の椅子を近付けて座り、彼女の顔を覗き込んだ。二つに結んで零れる黒髪、白くきめ細やかな肌、薄桃色の頬、微かに震える長い睫毛、濡れたように艶やかな唇、甘く香る寝息、投げ出されたような細い腕、どれをとっても男とは違う生き物なんだという感じがした。
凄く凄く触れてみたくなって、だがそれだけは絶対にしてはいけないことのような気がして、俺はずっと彼女の顔を見つめていた。
ちーん!
オーヴンの音がして、彼女の瞳がパチッと開いた。間近で見つめ合って俺は慌てて顔を離した。これじゃ、まるで唇を狙っていたみたいじゃないか。
「わっ、悪い。」
「いっ、いえ。」
だが、驚いたのは優実も同じのようで、何となく視線を避け合った。
仕上がったばかりのピーチパイをワンホール、俺はありがたく戴いた。熱々で香ばしいパリパリのパイ生地の中にしっとり甘酸っぱい桃と甘さを控えたカスタードクリーム。
「本当に凄く美味いな。」
フォークを止められない俺は、手放しで大絶賛だ。大体、オーヴンから出てきたそのままを食べるなんて、実は初めての経験だ。優貴氏は夫人が毎日作ってくれると言うが、俺の母親はお菓子作りなんてしない。我が家のシェフにしても、食事の下ごしらえの合間に作っているようで、作りたてをもらったことはない。
「美味いっ!」
できたて焼き立てがこんなに美味しいとは思わなかった。そう思うと、少し優貴氏が羨ましくなる。女は嫌いだが、会社を継ぐ上でどうしても結婚しなければならないのなら、俺も、スイーツ作りが好きな、俺だけに俺の為のスイーツを毎日作ってくれる、そんな女の子が良い。当然、そのスイーツは俺の口に合わなくてはならない。
「焼き上がったばかりのパイの時は、上にバニラアイスを乗せても美味しいんです。」
「本当か?」
聞くと、そうやって食べてみたくなる。
「アイスある?」
「ありますよ。」
そう言って優実はバニラアイスとスプーンを出してきた。
熱い物と冷たい物、サクサクパリパリとトロ~リ、なんていう正反対のもの同士の組み合わせなのに、これが滅茶苦茶美味かった。
「うんま~~~いっ!」
ふと見ると、優実は向かい側に座ったまま、パイを頬張る俺をぼんやり見ている。俺は首を傾げた。
「今日は使用人達の分は作らなかったのか?」
尋ねると彼女は首を横に振った。
「パイは切りにくいので、皆さんの分は先にチョコレートケーキを作りました。」
「チョコレートケーキ?!俺の分は?!」
「やっぱり召し上がられるんですね?!」
困ったように微笑んで、彼女は冷蔵庫に向かった。そんな表情を見るのは初めてで、俺の鼓動はひとつ、大きく打った。
「ごめんなさい。パイも作ったので、チョコレートケーキはいつもよりも小さいです。」
直径十五センチメートル程のホールだ。気が付いて、俺は尋ねた。
「じゃあ、ピーチパイは俺の為にわざわざ作ったのか?!俺の分だけ?!」
「ちょっとパイが作りたくなって……。でも、先程申し上げたように、パイの場合は、小さく切り分けるのはかなり難しいので、皆さんにお渡しする為に作るのには適さないんです。それで、雅之様の分だけ……。雅之様なら気まぐれで作ったパイも召し上がって下さるかと、そう思って………。」
「うん、勿論。ありがとう。」
少し苦みもある大人の味のチョコレートケーキも、凄く俺好みの味だ。
食事会の疲れが無くなる程二種類のスイーツを満喫して、俺は本当に幸せな気分で部屋に戻った。
満足感で温かい気持ちになりながら、俺はベッドに潜り込んだ。眠ろうとして思い出す。
そういや、今夜初めて、優実の笑顔らしき表情を見た。案外可愛かった、と思った。これまで強張ったような無表情ばかりだった為にそう感じるのだろう。あんな柔らかい表情を、もっともっと見せてくれりゃ良いのにな。
そんなことを思いながら雅之は眠りに落ちていった。




