10.微かに動き出す心
10.微かに動き出す心
響はどこに行ったんだ?
勉強の途中で部屋を抜けた響が戻ってこない。十五分や二十分なら気にはしないが、一時間以上も帰ってこない為、何か遭ったんじゃないか、と心配になった俺は、勉強を中断して探しに行くことにした。
部屋を出て少し歩くと、優実が掃除を手伝っているのが見えた。いつもスイーツを作っているイメージがあるが、ちゃんと他のことも手伝ってくれているんだな、と何だか嬉しいような微笑ましいような温かい気持ちになる。
「優実。」
近付いて声を掛けると、彼女は顔を上げてふんわり笑った。
「雅之様。」
「掃除か?」
「はい。」
「ありがとう。」
そう言うと、彼女は大きな瞳で俺を見上げた。
「雅之様。今夜のスイーツ、何かリクエストがありますか?」
「……初めてだな。優実が俺の希望を聞いてくれるのは。」
「そうですね。今日はたまたまお会いできたから……。」
照れたように、赤く染まった頬に手を当てる優実の仕草が、何とも言えないくらい可愛い。
「優実の作る物なら何でも良い。どれも美味いから。」
「じゃあ、カスタードムースのケーキなんていかがでしょう?」
俺は少し考えた。
「うん、美味そうだけど……、ムースってことは冷やすんだろう?冷たいスイーツは一人で食うことになるから、何となく味気なくてな………。」
「雅之様。」
響がやってきた。動きが静かでスマートだ。
「タイムリミットだな。」
呟いた俺は、優実に瞳を戻した。
「優実に任せるよ。楽しみにしているからな。」
微笑むと、優実も笑顔を見せてくれた。
夜になって、いつものようにキッチンへ行くと、優実が待っていた。
「今日は何?」
尋ねると、優実は冷蔵庫からスイーツを出しながら答えた。
「やっぱりカスタードムースのケーキにしました。」
「ありがとう。…………もしかしてわざわざ待っていてくれたのか?」
俺が尋ねると、優実は瞳を伏せた。
「……これまでごめんなさい。確かに一人で食べるの、美味しくないですよね……。」
「いや。優実だって他にやりたいこともあるだろうし、無理しなくて良いんだ。一人では味気ないっていうのも単に俺の我が儘だから。」
「雅之様は我が儘なんかじゃありません!」
潤んだような大きな瞳で必死に言う優実が無性に可愛くて、俺は思わず笑顔になる。思わず手を伸ばしてしまって……、だが今回は途中で止めずにそのまま頭を軽くぽんぽんと叩いた。
「そんなにムキにならなくても。ただ俺は、好き勝手して優実にスイーツを作らせるようになってしまったから、それ以上の負担を掛けたくないんだ。」
「負担じゃないです、私!本当です!」
見上げてくる一生懸命な優実の大きな瞳に、胸が締め付けられるような感覚が起こる。不快な訳では全然なくて、むしろ甘いような嬉しいような………。
俺は優実に笑ってみせた。優実は思わず顔を赤らめて、俺から視線を逸らした。少し落ち着いて、ムキになった自分に気が付いたのだろう。照れている様子が可愛らしい。
「……ケーキ、食っても良い?」
俺が言うと、照れた表情のまま、俺に視線を戻して笑顔になった。
「はい。」
カスタードムースケーキは、薄いスポンジケーキの上にカスタードのムースが乗って、更にその上に生クリーム。今回はショートケーキみたいな絞った形ではなく、細い斜線が描かれていた。可愛いというよりはちょっとお洒落な感じだ。ムースはフォークで掬うとぷるんと形を保つのに、口に入れるとしっとりととろけた。冷たくて程良く甘いケーキだ。
「優実、今日のも美味いよ。」
そう言うと、優実は本当に嬉しそうに微笑んだ。
最初にケーキを奪った時から見ると、表情に雲泥の差がある。それだけ自分を受け入れてくれるようになったんだと思うと、心ががほんのりと包まれるような心地がした。
そして多分優実の方でも、俺の態度に天と地ほどの差があると思っているだろうと考えて、おかしくなった。




