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蝶愛されし彼女が愛を知るまで  作者: 海坂依里
恋の煙~立ち昇る想い~
3/13

第3話

「来ないで! こっちに来ないで!」

筒路森(つつじもり)様、お逃げください!」


 紫純琥珀蝶(しじゅんこはくちょう)は、人々の記憶を奪う存在。


「いやっ! 忘れたくない、忘れたくない、忘れたくないっ……!」

「筒路森様、一刻の猶予もありませんぞ」


 どうして、そんな蝶が飛び交う世界になってしまったのか。

 その問いに答えを出すことはできないけれど、もしかするとって希望を持ってしまう。今日という日を迎えるために、蝶は誕生したのかもしれないって。


「いい退屈しのぎになりそうだ」

「楽しそうに笑う暇があったら、仕事してください」


 私が駆けつけるまでの間。

 筒路森のご当主様と側近の方との間で、どんな会話が繰り広げられていたのか。


「俺たちも記憶、奪われちゃいますよ」

「わかってる」


 それは想像することもできないけれど、そこまで悪い話はなかったんじゃないかって。


「お待ちくださいっ!」


 銃声が鳴り響いた刹那、私の叫びはかき消されてしまった。

 婚約披露の場に銃声が響いたことに驚いたのか、私が部屋に駆けつけたことに驚いたのか、どちらにしても私という存在は逃げ遅れた人たちの注目をかき集めてしまった。


結葵(ゆき)、どうしてここに……」


 祝言の場で、記憶を奪う蝶が飛び交うという異様な光景。

 でも、蝶は群れで北白川家を訪れたわけではなかった。

 たったの数匹。

 でも、そのたった数匹のうちの一匹は、息を止めて羽ばたくこともできなくなってしまった。

 広間へと落下した蝶を発見した私は、異常者なのかもしれない。


「っ」


 二度と夜の闇に染まることができなくなった蝶へと駆け寄る。

 混沌とした大広間で真っ先に息絶えた蝶を見つけるなんて、私はやはり人の子ではないのかもしれない。母から生まれた子というのは、嘘だったのかもしれない。


「結葵! おまえか! おまえの仕業かっ!」


 蝶を自分の手のひらへと掬い上げようとした瞬間、父に髪の毛を掴まれる。

 上へ上へと引き上げられた髪は痛みを訴えるけど、命を失ってしまった蝶の痛みに比べれば耐えることができる。


「破談を狙って、蝶を仕掛けたのか!」

「妹の幸せを願うこともできないなんて、なんて残忍な子なの……」


 父に同調するように、母の冷たい声が響いた。


「どこまで私たちの邪魔をすれば気が済むんだ!」

「っ、た……」


 我慢には慣れている。

 だから、私は自分のことをよりも蝶を弔うことを優先したい。


「その手を離してもらえますか」


 名も知らぬ男性が、私を救うために声をかけてくれた。

 まるで時代の変わり目を象徴するかのような西洋風の装いを身にまとい、堂々とした佇まいで周囲の視線を集める。

 鼻筋にかけられた金縁の眼鏡が、彼の顔立ちを知的に引き立てていく。


「悠真様っ! 申し訳ございません!」


 父の言葉を受けて、彼が筒路森の当主だと察した。

この場では誰もが蝶の出現に恐れを抱いて困惑しているはずなのに、筒路森のご当主様の声はとても落ち着いていた。


「この娘が……この娘が、また蝶を……」

「彼女を解放してください」


 背筋をまっすぐに伸ばした男性は、目を合わせることさえ許さないような厳しい眼差しをしていた。

 眼鏡のレンズ越しの鋭い瞳には、どこか氷のような冷たさが宿っている。

 筒路森は蝶の魔の手から世界を救った家系ではあるけど、冷酷であると称されている理由が分かってしまった。


「っ、ですが」

「お願いします」


 両親は驚きと怒りで顔を歪めたけれど、筒路森のご当主様に圧倒されて言葉を返すことができなくなった。

 私は筒路森様の助けを借り、無理矢理に引き伸ばされた髪の束を解放してもらう。


「っ、くそっ!」


 髪は開放されたけれど、その際に頬を強く打たれた。

 あまりにも強すぎる力に体がよろけてしまうのはいつものことで、私は自身の体を床に打ちつけるものだと思っていた。


「悠真様っ! その娘は災いを招き寄せる者! 触れてはなりません!」


 けれど、そのよろけた体を支えてくれる人がいた。


「大丈夫か」


 筒路森のご当主様の優しい声が耳元に届く。

 床に体を打ちつけることに慣れてしまっていた私は、自分の体が痛みを感じなかったことに涙を浮かべながら、彼の胸に顔を埋めた。


「ありがとう、ございます……」


 震える声で呟いた言葉が、彼に伝わったどうかは分からない。

 何も言葉を返してもらえなかったけれど、彼は私をしっかりと抱き締める。


「北白川の人間は、災いを招き寄せる者に容赦なく手を上げるのですね」


 そっと顔を上げ、私を守ってくれた彼の顔を見つめる。

 彼の容姿は育ちの良さを映し出すように、美しく整った顔立ちをしていた。

 淡い茶色の髪は光を受けることで艶めき、その髪色は彼の気高さを象徴しているようにも思えた。

 名家の人間であることが一目で分かってしまうような彼の美しさに、私は目を奪われていく。


「その娘がいるから、我々は蝶の脅威にさらされているのですぞ!」


 娘の名前を忘れてしまったのか。

 娘の名前を始めから知らなかったのか。

 父が、私の名前を呼んでくれることはなかった。


「美怜、美怜っ! 立ちなさい!」

「なんで、この人が私のお姉さまなの……」


 妹は、蝶と言葉を交わす姉を恥じた。


「あの子は、あなたの姉でもなんでもないわ!」


 母は、化け物染みた力を持つ私を娘ではないと言葉にした。


「酷い有様だな」


 筒路森様は、北白川家を見放す言葉を口にする。

 私の身体を支えてくれた手は優しいのに、筒路森様は北白川に対して軽蔑的な眼差しを向ける。


「筒路森様……」

「腫れが引いていないんだ。おとなしく……」

「お願いがあります」


 どうか、北白川家を見捨てないでください。

 そう言葉を続けたかったけれど、それは引き取ってもらう側が言葉にしてはいけないことだと理解している。


「蝶と、話す時間をください」


 筒路森との信頼を取り戻すには、祝言の場の空気を変えた数匹の蝶を追い払わなければいけない。

 この場を上手く収めることができたら、再び北白川の価値を取り戻すことができると信じて動き出す。


「私に、家族を助けるための時間をください」


 頬に下された痛みなんて、忘れてしまった。

 我慢することには、慣れているから。

 頬に痛みが残っても、頬に痕が残っても、それらは私の未来に影響を与えることはない。


「ありがとうございます」


 私はとうの昔に、人として生きることを許されなかった子。

 私が歩む未来に愛が存在しないことは、とうの昔に決まっていたこと。

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