閑話1 しあわせ一家の悲劇
今回は番外編
2〜4の時、シンギュラー一家がどうなってたのかのお話です
「えっ、ノルが人攫いに……!?」
――それはイリオスにとって予期せぬ、悲しくて唐突な宣告。
母の口から告げられたそれは簡単に信じられる話じゃなかった。自身の愛する弟が、あのおでかけの予定があった一日のうちに奪われてしまっただなんて。どれだけその言葉を理解するのが嫌でも、忌々しいソレは容赦無くイリオスの脳内を蝕んだ。
一等強い頭痛に、心の中まで余さず侵されたように身体が痛く思えた。
◇ ◇ ◇
自身の従魔のガーゴイルに乗って早朝慌ただしく帰ってきた母は、家に着くとすぐ大声で旦那とイリオスを叩き起こし、「昨夜ノルが攫われた」と告げた。イリオスはもちろん、堅物な父さえも目を見開いてそれを聞いていたように見えた。家族がそれを受け止め切った頃には、母は震えた声で譫言のように「ごめんなさい」と言い続けていた。愛息子の一人を危機に晒した上守れなかった負い目があるからだろうか、己の旦那やもう一人の愛息子の顔すら見るのが申し訳ないと訴えるように俯き、手で顔を覆って啜り泣いていた。
どうすればいいかもわからず慌てるイリオスを横目に、父が心傷に苦しむ母を慰めるように彼女の背中を摩る。しばらく手を動かしているうちに落ち着いてきたらしい母は、何があったのかと聞いた父と親の様子を案じていたイリオスにゆっくりと顛末を語った。
――当日はまず馬車で少し遠くの街に繰り出して、そのまま買い物や観光をしていたのだと。そのまま二人で繁華街を楽しみ、日が暮れてきた頃に帰りの馬車に乗り込んだ。買い与えたものを大切そうに抱きしめ、目を輝かせて日中の観光の感想を話すノルの声に耳を傾けていた時……街と街の境の辺りで馬車が盗賊か何かの襲撃に遭ったのだと。魔法を使いその賊を追い返していたが、それに気を取られるうちにノルが奇襲をかけられ、あっという間に連れて行かれてしまったのだと。
静かに話を聞いていた二人は、その残酷な話にかける言葉を見失っていた。話しているうちにフラッシュバックで再び泣き始めた母をまた慰めながら、父はしばらく選んでいた労りの言葉をかける。
「……本当に、残念だったな。しかし、おまえもよく頑張った。悔しいだろうが自分を責めなくていい、己の身をよく守った」
「でも、私のせいでっ、ノルが……! イリオスにも、申し訳ないの……!!」
「無理強いかもしれないが、もうそう自分を卑下するな。すぐにギルドで捜索依頼を出そう、きっとすぐにあいつを見つけてくれるさ」
「……そう、そうよね……」
袖で目元を拭う仕草をしつつも、まだ申し訳なさそうな母を安心させようとイリオスも母の片手を取った。そっと割れ物を持つように己の手を包むその様子を見た母は、ふっと微笑んでもう片方の手で愛しい息子の頭を撫でた。それからゆっくり立ち上がって、父に声をかける。先程言われたように、ギルドに依頼を出しに行くのだろう。「まだ早いからもう少し寝ていていいわよ」と言われたイリオスは、好意に甘えて寝室に向かった。眠れるかはわからないが、それでも一度落ち着くために横になりたかったのだ。
時間が経って熱の逃げてしまった布団に包まれたイリオスは、最愛の弟が無事であることをずっと祈っていた。居場所さえわからない相手のためにできることがこのくらいしかないのが、孤独の実感で痛む心をさらに締め付けた。
――早く、見つけてもらえますように。また会えますように。そんな願いが、ただ浮かんでいた。
……起きがけの頭でそんなことをしていたら、体温で再び熱を持った布団の温もりと一時は忘れていた眠気に襲われる。こくりこくりと微睡んでいた時、ふと変なことがイリオスの頭をよぎった。
――そういえば、さっきの母さんの涙を受け止めていたはずの両手とか、目元を拭ったはずの袖……
「……どこも、濡れてなかったな……」
この後すぐ眠ってしまったノルは、知る由もない。自分を残して外に出た両親がギルドになんて行っていないことも、母はノルの誘拐なんて微塵も悲しんでいないことも……
――誘拐犯の賊が、実在したのかさえも。




