再起動
周囲は氷と、まだ誰も踏んでいない雪で染まっていた。あの日と同じ様に。代わり映えのない白い景色は、僕のおぼろげな記憶が呼び起こされるのを阻んでいるようだった。前を行く博士の迷いの無い足取りは、まっすぐに化石へ向かっている。その少し後ろをついて歩くミレイアの姿は、きっと昔の僕と同じだ。
僕の記憶が結び付いたのは、あの化石が目に飛び込んできてからだった。その姿形は変わらないが、あの時よりも小さく見える。僕の背が伸びたからだろうか。
「日食は明日の昼頃だ。私は明るいうちに化石の状態を確認しておく。ミレイア、記録を。」
「はい。」
2人は息つく間もなく作業に取り掛かる。荷を下ろしてからしばらく、僕はただ、その光景を眺めていた。
見上げれば、いつでも確認出来る。日の傾きが、再起動までの時を刻々と告げていた。博士は化石のすぐ近くで簡易椅子に座ったまま動く気配が無い。僕は荷物から水筒を取り出したところで、ミレイアが近づいて来るのに気付いた。
「もうすぐですね。」
「そうだね。」
僕は水を一口飲んだ後、聞きそびれていた質問をした。
「どうして、博士の研究を手伝おうと思ったの?」
「…私、親がいなくて。孤児院の思い出しか無いんですけど、一緒にいた他の子ども達はみんな、魔法のせいで不幸になった子ばっかりだったんです。」
ミレイアの視線は地面に向いている。その表情は僕からは見えない。
「だから魔法なんて無くなればいいって思ってて、そうなれば、私が誰かを傷付けることも絶対無いのにって。そんな時に博士と会ったんです。思ってたのとは違うけど、私に出来ることがあるなら、やるべきだと思ったんです。」
「そう、だったんだ。」
顔を上げ、化石に向く視線はまっすぐだった。博士の計画に救われる人は、僕が思っていたよりも多いのかも知れない。
「リアンさんはどうしてここに?」
僕はその質問に答えなかった。辺りが、暗くなったから。
「ミレイア!」
声を上げた博士の方を向くと、浮かび上がるように光る化石が目に入る。あの時と重なる光景が、心臓の音を大きくする。僕は走っていくミレイアを追うように化石に近づく。
「血液は付着している!すぐに始めろ!」
「はい!」
ミレイアは博士の手を握ると、すぐに化石に触れる。すると突然、強い風が吹き始めた。
(化石の現象なのか…!?)
ミレイアの干渉に呼応するかのように、化石を中心に雪が徐々に押し流されている。僕は流されないよう、わずかに身を屈める。視線が地面に向いた時、一部が赤く染まった。
「ケホッ…!博士…これは…」
再び視線を上げた時、ミレイアの口元に赤が広がっているのが目に入る。これは、拒絶か防衛か。僕たちは歓迎されていない。これ以上は危険だ。僕が叫ぶより早く、博士の声が荒風に乗って届く。
「続けろ!化石は反応している!何かが起きるはずだ!」
信じたくなかった。道が違うとしても、人を想う気持ちは同じだと、そう、思っていたかったのに。
「やめろ!手を離すんだ!」
僕の声は風に阻まれているのか。ミレイアの手は、化石からも博士からも離れない。足元に赤いシミが増える。躊躇う理由は無かった。僕は化石に向かって駆け出す。もう、風は僕を阻めない。2人の間を切り裂くように手を伸ばし、触れた、と思った瞬間に、光が弾けた。
体を起こした時、博士はミレイアの隣で片膝をついていた。僕は節々の痛みを感じながら近付く。こちらに視線を向けたミレイアを見て、胸を撫で下ろす。
「…どうして、止めなかったんですか。」
「唯一の可能性だったからだ。」
「吐血していたんですよ!?」
答えは、返ってこない。その静けさが、今の博士の危険性を物語っているようだった。
「…良いんです。私は、大丈夫ですから。」
代わりに答えを返す少女の口元には、まだ赤い筋が残っている。
「良いわけない!…死んでいたかも知れないんだよ?」
「それでも、何かの役に立ちたいんです。」
澄んだ声で紡がれたその言葉には、納得し難い美しさがあった。命を捨てるべきじゃないという僕の思いは、彼女の大義を成そうとする願いと相容れない。それを突きつけられた僕は、もう、何も言えなかった。
博士の計画は、部分的に成功した。出力を調整できる様になった魔法が数多く生まれ、今までと何も変わらない魔法も数多く残った。全ての魔法に変化をもたらすのが土台無理なことだったのか、僕が干渉したからなのか、それは誰にもわからない。博士は、研究を続けるだろう。ミレイアもそれに従うはずだ。僕は、その変化が正しいことなのか、確かめる必要がある。調整できる魔法は、事故を無くすのか、人を救うのか、犠牲を払ってまで為すべき事なのか。
春風が撫でる様に木の葉を揺らしていく。僕は旅を続ける。この歩みが、答えを返すその日まで。




