付与の計画
街道沿いの木々は、夕陽を宿したように赤や橙へと色づいていた。乾いた秋風が袖口から入り込み、肌に冷たさを残していく。僕は両手をポケットに突っ込んだまま、街外れにある宿屋の灯りを目指して歩いた。
大きな街の近くは人の気配が濃い。行商、旅人、冒険者―さまざまな足取りが入り混じり、石畳にはこの土地で暮らす人々の生活が刻み込まれている。野宿でも構わない日が多いが、今夜ばかりは温かい寝床を確保したかった。
荷を下ろして外へ出た瞬間、いつもと空気が違うのが分かった。ざわめきが風に混じり、視線の先には細く煙が立ち上っている。焦げた匂いが鼻をつき、僕は足を早めた。
家の半分ほどが炎に呑まれ、人垣を作った野次馬たちが言葉を失っている。
家の前では一人の女性が手をかざし、真っ直ぐに水を放出していた。しかし勢いは不十分で、火勢のほうが明らかに勝っていた。
―間に合わない。
胸の奥でそんな考えが浮かんだ時だ。
「こっち!急いで!」
少女の声が群衆を切り裂いた。まだ幼さの残る顔立ちの少女が駆け寄り、その後ろから息を切らした男が続く。
「2人とも、手を出して!」
「危ないから下がって―」
「いいから!」
少女は強引に二人の手をつかんだ。
その瞬間、女性の放っていた細い水流が膨らみ、ふわりと横へ拡散した。火を包むように曲線を描き、炎の根元へ広く届く。
「なんだ?俺、こんな魔法は―」
「おじさんも、やって!」
言われるままに男が手をかざす。すると彼の掌から、女性のものと“まったく同じ水”が勢いよく噴き出した。
目を疑った。
水の魔法を使う人は珍しくないが、任意で軌道を変更できるというのは聞いたことが無い。まして、別の人間が“同じ魔法”を追加で使い始めるなど、常識ではあり得ない。
少女は2人と手を繋いだまま、歯を食いしばるように炎へ向き合っている。
やがて火勢が押し返され、燃え崩れかけていた家が息を吹き返すように沈静化した。
野次馬たちの間から、ほっとした空気が流れる。
騒ぎが収まった頃、僕は少女に声をかけた。
「さっきの…どうやったんだ?2人と手を繋いでたよね。」
「あれは私の魔法で、2人の魔法を“くっつけてた”んです。」
「くっつける?」
「はい。同時に出るようになるんですよ。水の人と風の人だったら、水と風がいっぺんに出る、みたいな。」
「じゃあ、あの男の人は、本来は風の魔法しか持ってなくて…」
「水も出せてました。私が魔法を使ってたので。」
その言葉は軽かったが、内容は衝撃的だった。他者の魔法を“別の人”に一時的に付与する。出力強化どころではない。性質そのものを変えられる。
「博士は“上乗せ”って呼んでますけどね。」
「博士?」
違和感が胸を突いた。
「私、魔法を変える研究をしてる博士の助手なんですよ。」
魔法を、変える―?
「…ハルド博士、じゃないよね。」
「え?知り合いですか?」
胸の奥がざわついた。忘れたはずの名前が、鮮やかに蘇る。
ミレイアの案内で、僕はその宿へ向かった。
“魔法を変える研究”
僕の知る博士は、そんな危険な領域には踏み込んでいなかった。それが事実だとしたら、確認しなければならない。
「戻りました。博士、お客さんです。」
扉の向こうで書き物をしていた男が、静かに顔を上げた。白髪が混じり、わずかにやつれたように見える。だがその眼差しは、5年前と寸分も違わなかった。
「…お久しぶりです、博士。」
「…リアンか。」
ミレイアが飲み物を取りに出て行くと、部屋には静寂が落ちた。
「…今はあの子が助手をしているそうですね。」
「そうだ。だがそんなことを聞きに来た訳ではないだろう。」
僕は早々に本題に入れることに少し安堵した。
「ミレイアから聞きました。博士は魔法を変える研究をしていると。」
「そうだ。」
博士は淡々と答える。
「博士は魔法事故の研究をしていたはずです。魔法そのものを変えるなんて…」
「ミレイアの魔法が鍵だ。」
博士は紙片を指先でいじりながら言った。揺らぎの無い目は、僕を見続けている。
「他者の魔法を他者に上乗せできる。その性質を利用する。」
「利用…?」
問い返す僕に、博士は机上の小さな化石の欠片を指で叩いた。
「あの化石だ。あれに宿っていた魔法、私は“魔法を付与する魔法”と仮定している。」
博士の声が低くなる。
「そこへ私の調整魔法を、ミレイアを介して上乗せすれば…化石の付与魔法そのものが“調整可能な魔法”に置き換わる可能性がある。」
血の気が引いた。
「…つまり、化石の現象をもう一度起こし、世界中の魔法を“調整可能”にする?」
「それが、今の私の計画だ。」
博士の目は冴え、どこか危うい光を宿している。
僕は、言葉が出て来なかった。まさか、またあの化石に手を出そうとしているとは。混乱を遠ざけるように、大きく息を吐く。
「ですが博士の調整魔法は、“規模”の調整ですよね。付与の性質まで変わるとは…」
「可能性は低いかも知れない。」
「低いのに、やるんですか?」
「試す価値はある。化石の再起動にデメリットは無い。」
博士は断言した。そこには、もはや後戻りを許さない意志があった。
「3ヶ月前、ミレイアを連れて再調査を行った。だが再起動はできなかった。条件の一つは“日食”だと考えている。」
「日食…」
「1ヶ月後、再び起こる。この機を逃すわけにはいかない。」
博士は迷わなかった。
その姿はかつてと同じだが、どこか別の方向へ進んでしまったようにも感じる。
しばらくの沈黙の後、僕は決意を固めるように息を吸った。
「…僕も行きます。」
博士の眉がわずかに上がる。
「事故が無くなるなら、それを止めるべきではないと思います。でも…誰かが傷付くなら、僕が止めます。」
「…良いだろう。」
博士が頷いた瞬間、部屋の空気がわずかに揺れたように感じた。それは期待か、あるいは、取り返しのつかない何かの予感だろうか。




