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火の救い

 雲の切れ間から伸びる朝日が緑道に射し始めた。博士と袂を分かってから5年が経とうとしているが、時々、ただ違う道を進むことに執着しているのではないかと不安になる。僕の歩みは、何かに向かっているのだろうか。

 馬の嘶きで我に返った。咄嗟に近くの木に身を隠しながら、様子を探れる位置まで近づいていく。木々の合間から4、5人の男が馬車を取り囲む光景が見えた。

 (盗賊だ…)

 馬は目をひん剥き、必死にもがいていた。御者は地面に転がったまま、起き上がろうとしては蹴り返される。争った形跡が無いところを見ると、護衛はいないようだ。

 ―殺されてしまうかも知れない。そう思っても、飛び出す勇気は無かった。魔法は恐らく対処出来る。しかし、剣を持った相手を倒す術が無い限り、御者を逃がす時間を稼ぐことすら出来ないだろう。

 (追い払えるか?)

 そう考え目を走らせた時、耳を裂くような轟音が木々を揺らした。視界の隅に映る光が弾ける。火の球だ。そう思った時にはもう、無数の塊が目的を見失ったように奇妙に蛇行しながら宙を暴れ回り、次々に火をばら撒いていた。

 「何だ!?」

 「引け!いいから引け!」

 叫び声が遠のいていく。草を燃やす小さな火が焦げた臭いを広げていく中、やけに陽気な声が聞こえた。

 「おーい!誰も死んでねぇよなー!?」

 御者は恐る恐る立ち上がると、声の方へ手を大きく振る。しばらくすると、若い男が現れた。羽織った外套の一部は焦げているようだ。

 「ははっ!ギリギリだったな!間に合って良かったぜ。怪我は無いか?」

 「ああ、助かった!あんたが居なきゃ死んでたかも知れねぇ。…ん?おい!馬車にも火が付いてる!消してくれ!」

 「え!?消すとかは出来ねぇんだよ!」

 男は外套を翻すように脱ぐと、燃え移った箇所に覆い被せた。…焦げるわけだ。

 幸い、小さな火はすぐに消えた。2人はいくらか言葉を交わした後、積み荷を確認し馬車に乗り込む。目的地まで一緒に行くことに決めたようだ。馬車が見えなくなって僕はようやく一息ついた。魔法が人の助けになっているのを見ると、どこか安心する。と同時に、自分の無力を見つめてしまう。僕に出来ることは、何だろうか。


 まだ日の高いうちに辿り着いた村の畑は、焦げ跡が多く見られた。聞くところによると、狼による被害を止める為、火の魔法を使える傭兵を雇ったらしい。

 「若い人ですか?」

 「まぁそうだな。レクスって名前で、確か20代のはずだ。」

 「畑を守り切るのは難しいみたいですね。」

 「人が襲われるよりはマシだが…狼に食われるか、焼け野原になるかだ。」

 今朝見た火を思い出す。知る限り、魔法の制御は出来ない。選べるのは発動するかしないかだけで、規模や範囲を変えることは出来ない。…博士以外は。恐らく、レクスの火は発動すると、何かにぶつかるまで曲がりくねって進むのだろう。扱いづらいが、その魔法で傭兵として稼いでいるのだから、ハズレとまでは言えない。役に立たない魔法は、いくらでもある。


 市場の外れには、燃え残った家があった。柱はしっかりあるのに、陽の光がほとんどの床を照らしている。屋根に引火したのだろうと考えていた時、

 「おい、お前何やってんだ?」

 突然、声がした。振り返ると、焦げた外套が目につく。

 「いえ…ただ、なぜ燃えたのだろうと思っただけです。」

 「金目の物なんか無いぞ。」

 「誤解です。ただ気になっただけですよ。」

 「ほーん。変なやつだな。」

 相槌でほーんと言うやつに言われたく無い。が、僕は言い返さなかった。初対面の相手を刺激しても良いことは無い。

 「…この家はなぁ、俺が燃やしちまったんだ。」

 「では、やはりあなたがレクスさん?」

 「そうだけど…やはりって何だよ。」

 「あーその、焦げた外套を羽織っているので、噂に聞いてたんですよ。」

 「なるほど。俺の火は扱いづらくてなぁ。真っ直ぐ飛ばねぇんだ。」

 「それは…人に当たったらと思うと怖いですね。使うのを躊躇ったりはしないんですか?」

 「まぁ色んなもん燃やしてるけど、誰かが死ぬよりは良いだろ?」

 家や畑が燃えている時、この人が気に留めることは無いのだろうか。単純な考えと言い方が、僕にそう思わせた。が、

「…見捨てたら気分が悪くなる。ほったらかしってわけにはいかねぇんだよ。」

 付け足すような一言は、何かの決意に満ちていた。この人も、もっと上手く助けたいんだ。


 日が傾き出した頃、不意に獣臭が鼻を刺した。考えが狼と結び付くと同時に、怒号が聞こえる。僕は声のする方に駆け出した。出来ることが無いとしても、何が起きているのか確かめなければならない。

 僕が辿り着いた畑では、5、6頭の狼が様子を伺っていた。数人の男達が農具を持って牽制している。

 「おい!下がってろ!」

 後ろから声を上げたのは、レクスだった。僕の背中を押すように、近くの小さな納屋へ促す。流されるように中へ入ると、2人の子どもが身を縮めていた。怪我が無いことを確認すると、僕はすぐに隙間から外の様子を伺い始めた。

 レクスは畑の中央に陣取り、狼との距離を測っている。僕が身を潜めた納屋は畑の端で、最も近い狼からは十数歩ほどの距離しか無い。

 「俺が相手だ!狼ども!」

 レクスは次々に火を放つ。曲がりくねった火球は当たりこそしないが、恐怖を与えるのに十分な威力を持っている。徐々に後退していく群れを見て少し安堵した時、1匹が納屋に距離を詰めて来ているのに気付く。火球が着弾する音が大きくなるにつれて予感がする。

 ―ここから出るべきか。考えが脳裏を掠めた時、轟音とともに納屋が揺れ、木屑が降り落ちる。燃え広がった壁を見て、僕はすぐに子ども達の手を引いた。

 「走れ!」

 最も近い1匹が飛び出した僕たちを狙っているが、いくつもの火球が行手を阻んでいる。

 「おい!避けろ!」

 出てくるとは思っていなかったのだろう。既に多くの火球を放ったレクスは叫んだ。暴れ回る火の1つが子どもに向かう。僕は叫び声に従うこと無く、子どもを抱き寄せる。僕の背中に当たるはずだった火球は、弾けること無く形を失った。

 「は!?」

 「撃て、レクス!撃ち続けろ!」

 「くそ!何なんだお前は!」

 その後は、多分いつも通りだった。レクスの火は狼を退け、畑と納屋を燃やすことで、人を救った。


 「おい、ちょっと待て。」

 騒ぎが収まった後、僕を呼び止めたレクスの表情は困惑したままのようだった。

 「先ほどは助けていただきありがとうございました。」

 「ん?あぁ、まぁ一応俺が助けたのか?」

 「ええ、僕では狼は追い払えませんから。」

 「そう、か。こっちこそありがとな。もう少しで子どもを…傷つけちまうとこだった。」

 表情が曇るレクスを見ながらも、僕は呼び止められた理由を気にしていた。

 「ところでお前、俺の魔法を消せるのか?」

 魔法を消せるのは、恐らく希少な能力だ。今まで似たようなものは見たことが無い。その希少性に脅威を感じる人も少なく無いだろう。

 「…はい。僕に当たる前に、魔法を消すことが出来ます。」

 少し迷ったが素直に答えることにした。見られている以上、下手に誤魔化す方が敵を作るだろう。

 「そっか!やっぱ間違い無いんだな!?」

 急に喜び出すレクスを見て、今度はこちらが困惑する番になった。

 「お前、名前は?」

 「リアンです。」

 「リアン、俺と組まないか?」

 「え?」

 「俺たち良いコンビになると思うんだよ!俺が火球で攻める!お前が消して守る!な?相性良いだろ!」

 予想外の提案に僕は固まってしまった。まさか傭兵に誘われる日が来るとは。

 「こう見えても俺は結構有名なんだぜ!俺たちなら人を助けて金を稼げる!最高だろ?どうだ?」

 レクスの言葉を聞いて、傭兵も悪く無いかも知れないと思う。危険はあるが、今日のように人の役に立てる。それは間違い無く良いことだ。しかし、博士の顔が脳裏を過ぎる。僕が道を違えてまで選びたかったものはそこにあるのだろうか。

 「すみません。今は、旅を続けたいんです。」

 「ダメか〜…気が変わったら俺を探してくれよ?この辺で獣狩りとか用心棒とかしてるからさ!」

 「はい。気が変わったら。」

 この先、どうするべきか分からない。だからまだ、旅をやめるわけにはいかない気がした。


 翌朝、日が登ってすぐに村を出た。森が近い為、道の脇も木が生い茂っている。しばらく進むと、影を落としたように焦げた場所があった。恐らく火の魔法の痕跡だろう。先には獣道が伸びているのが見える。何かを追い払う為だったとしたら、この辺は危険かも知れない。昨日の狼を思い出して足を早めようとした時、ふと思う。狼は基本的に夜に襲ってくるのでは無いのか。昨日の騒ぎは、まだ日の落ちていない時間に起こった。狼が無理に村を襲う理由があるとしたら、獲物が取れず、空腹だったからだろう。もし、空腹になった理由が魔法で獲物を狩りすぎているからだったとしたら。この火の魔法の痕跡のような場所が他にも数多くあるとしたら。

 ―博士なら、この状況をどう見るだろう。魔法が人を救ったのか。それとも、人を追い込んだのか。答えは、どこにあるのだろう。

 僕は頭を振って思考を切り替えた。分からないことを考えても仕方ないし、どんな結論であっても、僕に出来ることは無い。

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