疫病の村
薄暗さが消え、陽の光が朝露に濡れた新緑を照らす頃、僕たちの目が家の影を捉え始めた。
「見えてきましたね。」
「ああ。」
風が花の香りを運んでくる。どこか懐かしいと思ったのは、僕の気のせいだろうか。
疫病に侵された村の話が舞い込んだ時、博士はすぐに調査対象とした。今の時代、病の蔓延と魔法が無関係であると断じることは誰にも出来ない。
「すみません。病の調査で訪れたのですが、村長はどちらにいらっしゃいますでしょうか?」
僕は声をかけながら、つい男の肌の色を確認してしまう。指先と首筋がわずかに灰色がかっているが、農作業をしているところを見ると、大きな症状は無いようだ。
「…あの女の調査じゃねぇのか。」
「女というのは?」
「名前は知らねぇ。触れたもんの病を奪うって噂だ。けど、助けたやつもいれば、死んだやつもいる。」
男の言葉に、博士の眉がわずかに動いた。
「…まぁいい。村長の家はあれだ。」
男が指した先には一回り大きな家がある。
「あの家ですね。ありがとうございます。」
僕は歩いている間ずっと、視線を背に受けている気がした。
村長は集会所まで案内してくれた。今は十数人ほどが病に伏せっている。
「リアン、記録を。」
「はい。」
出入り口に最も近い場所にいた男は、体を起こすこともできないようだ。胸と腕の一部を残し、灰色に染まっている。博士が色の違う箇所を軽く押すたびに小さく呻いた。
「…かなり、苦しそうですね。」
「…事実の記録に集中しろ。」
「…はい。」
「肌の感触に違和感は無い。」
博士の言葉を受け、ペンを動かしかけた時、女の声が割って入った。
「主な症状は発熱、嘔吐、全身の痛み。進行度合いは肌の変色に比例し、最終的な死因は栄養失調です。」
「…君は、セラか。」
「…お久しぶりです、博士。」
博士が名前を呼んだ時、砂絵を描くように記憶が呼び起こされ、色を持つ。あの日からまだ間もない頃に研究室で見た顔と重なる。
「あなたは…昔、研究室で…!」
「…大きくなったね。リアン。」
覚えている。彼女は病を"肩代わり出来る"。
当時、水を生成する、風を起こすなどの直接的な魔法が話題の中心だった。そんな中、セラの魔法は特殊であり、博士の興味を大いに引いた為、研究室に顔を出すようになった。なぜ現れなくなったのかは、思い出せない。
「…君は、病の"研究"をしているのか?」
博士はパンを口にしながら、セラの資料に目を通している。
「私に出来るのは、"記録"することと、何人かを肩代わりすることだけです。」
集会所で僕たちが観ていた男にセラが触れると、見る間に肌の変色が治り、男の表情は和らいだ。その直後に、セラは僕たちをこの村外れの屋敷に招待した。
「なぜ全員に魔法を使わなかったんですか?何か条件が?」
「…確かに私の魔法は、病を肩代わり出来る。症状を大幅に緩和した上でね。でも、あの数の病を引き受ければ、恐らく私は死ぬ。だから、選ぶ為に物資を要求しているの。主に食料なんかをね。」
「…助ける人を、選んでいるんですか。」
僕にはそれが正しいこととは思えなかった。しかし、全員が助かる道が無いという事実が、僕の感情的な反発を抑え込んだ。
「…生きる為だよ。」
セラの目に映る光は、少しも揺れていない。
「そもそも、なぜ肩代わりしている?関わりの無かった村だろう?」
「…意外と過ごしやすいんですよ、この村。物資に困ることが無いわけですから。」
博士の問いに答えるセラを見て、僕は思った。この人は、人を助けたいと願ってる。
僕が記録を写し終わった時、日はすっかり暮れていた。博士とセラの話し合いは今晩の寝床にまで及んでいたらしく、僕が報告すると、セラはすぐに屋敷の一部屋に案内してくれた。しかし寝付けない僕は、外に出て星を眺めていた。
「…リアン?」
突然した声に思わず背筋が伸びる。振り返ると、セラが笑みを堪えながら僕を見ていた。
「ごめんね。…考え事?」
「…昼間の話が気になってまして。」
僕はなんとか気を取り直して答える。声は上擦っていない、はずだ。
「どんな話?」
「…助ける人を選ぶ、って話です。」
ああ…と言いながら、セラの目線は空に向いていく。もう、笑みは消えている。
「…魔法には限界がある。そう気付いてからすぐに、私は選ぶようになった。」
「わかっているんです。どの道、全員は助からないって。でも、どうしても、助かるはずの命を目の前で取りこぼしてる気がしてしまうんです。」
「…リアンは優しいね。」
セラの微かな笑みは、夜の静けさに溶けて残った。
「私も、初めはそうだった気がするよ。」
それきり、声は途絶えた。
翌朝、朝食をご馳走になっていると、扉を叩く音がした。セラが開けると、村長と数人の男が立っていた。少なくとも2人、険しい表情で鍬や鎌を持っているのが見える。
「…どういったご用件でしょう?」
「…昨日訪ねてきた2人と知り合いのようだね。」
村長は僕たちを覗き込むように見て言った。
「それが何か?」
「気を悪くしないで欲しいんだが…何人かが、君たちが病の原因だと疑っているんだよ。」
僕は何が起きているのか分からず、固まってしまった。なぜ昨日訪れたばかりの僕たちが疑われているのか。
「そのような事実はありません。なぜ病の原因だと?」
博士は立ち上がり、わずかに近付きながら問いかける。
「一部のものの考えでは、2人が病を広め、頃合いを見てセラを送り込み、利益を得るように仕向けた、と」
信じられなかった。セラが魔法を使うことは善意としか言いようが無い行為なのに、悪用していると突き付けにきたのだ。しかし、それが分かっても僕は何も言い出せなかった。否定することは出来る。でも、それ以上に出来ることは無い。
「我々は病を広めたことなどありません。調査の為に訪れただけであり、セラがこの村に滞在していたことも知りませんでした。全くの偶然です。」
博士を冷静に言葉を重ねる。しかし村長が引き下がる気配は無い。
「病が広まったこと、セラが来たこと、あんたらが来たこと、全て偶然だと?」
「その通りです。」
沈黙の間、誰も目を逸さなかった。博士の対応はきっと正しい。でも、疑念の芽を摘むことは出来ない。この話には、証拠が、無い。
「…わかりました。もう十分です。終わりにしましょう。」
「どういう意味かな?セラさん。」
セラの言葉に、村長の目は鋭さを増す。
「病が無くなれば、疑う必要が無いということです。」
その言葉の意味に誰よりも早く気付いたのは、博士だった。
「よせ、セラ。そんなことをしても何の意味もない。」
「意味はあります。間違いなく、誰かが明日を迎えますから。」
セラはそのまま集会所に向かい、次々に病を引き受けた。少しでも症状のあるものを集めその全てを引き受けた。僕はただ、見ていることしか出来なかった。セラの意志が正しい救いだと、そう思えてならなかったから。
灰に染まったセラを屋敷まで運び、ベッドに寝かせる。
「セラ…何か出来ることはありますか?」
「……もう…いいの…あり、がとう…」
「…博士を呼んできます。何か、出来ることがあるかも知れませんから。」
弱いながらも、返事を聞いて思う。まだ助かるかも知れない。博士なら、病に関係する魔法について他にも耳にしているかも知れない。それに、今出来ることについても、推論があるかも知れない。僕は足早に、集会所で経過観察をしている博士のもとへ向かった。
僕が集会所へ戻った時、博士は1人の少年を観ていた。すぐ隣に立っているのは母親だろうか。
「博士。」
「少し待て。…症状は全く残っていない。問題は無いだろう。」
それを聞いて、2人は安堵したようだ。
「ありがとうございます。…あなた達があの人を説得してくださったんですよね?お陰様で息子ともども生き延びることが出来ました。本当にありがとうございます。」
「いえ、僕たちは何も…」
「そう…なんですか?とにかくありがとうございました。」
親子が手を繋いで歩いていく。その姿を見て実感する。セラの魔法は、人を救ったんだ。
「博士。屋敷へ戻りましょう。」
「ああ。」
短い返事を聞いて、ふと思う。博士は、この救いを見て、何を思ったのだろう。
僕たちが集会所を出た時、村人は同じ方を向いていた。つられるように見ると、煙が上がっている。セラの屋敷の方角から。心臓の鼓動が速まる。口が渇く。まさか。
「先に行きます!」
返事を待たずに、僕は駆け出した。
燃え盛る屋敷の前には村長を含めて十数人いた。その中心で、1人の男が押さえつけられながらも狂ったように笑っている。セラは、いない。
「何が…セラはどこですか!」
僕は息を整える前に声を上げていた。
「あの女は屋敷の中だ!」
答えたのは、押さえつけられている男だった。
「そんな…どうして…」
「あいつが消えれば村に病は無くなる!これで村は救われるんだ!俺は正しいことをしたんだよ!」
男は全員に訴えかけるように叫んだ。
「…妻と娘を見殺しにされたことも、無関係では無いだろう?」
村長の言葉で、僕は理解出来てしまった。男がなぜ火をつけたのか、セラがなぜ火に包まれているのか。
「こんな…こと…」
それ以上、言葉は出なかった。ずっと熱を感じている。この火が魔法では無いからなのか。純粋な魔法では無いからなのか。この火を、僕は消せない。
「あんた方がこの村に害を成すつもりが無いだろうことは分かる。それでも、さっさと離れた方が良い。」
僕と博士は促されるまま、村を後にした。日は傾いているが、留まる気にはなれなかった。博士は、少し先を歩いている。顛末を聞いた博士は目を細め、そうか、と一言だけ呟いた。
「セラは、」
僕はそれだけでは収まらなかった。まとまらない気持ちが溢れるように声を出す。
「殺されなければならなかったのでしょうか。」
「セラの取引は秩序として成立していた。それを自ら崩壊させた為に、混沌を引き起こした。」
僕はその言葉を聞いてやっと気付いた。博士はこの出来事を、現象の一つとしてしか見ていない。
「セラの善意は混沌を引き起こす余計なものだったと言いたいんですか?」
「…混沌は悲劇を生む。…セラは、それを知っていたはずだ。」
僕は立ち止まる。振り返った博士の目は冷たく見えた。僕は、その冷たさを抱えて進むことは出来ない。
「…僕には、あの意志を否定することは出来ません。確かに、秩序は崩れたのかも知れない。でも、彼女が選んだ混沌は、誰かの明日になったんです。」
「…お前は、まだ人を信じたいのだな。…だが、お前は戻ってくると確信している。」
それきり、博士は振り返らなかった。夕日が照らす背をしばらく見つめたが、それを追うことは無かった。彼女が信じた道を、進まなければならない。




