【水魔】第1話 魔鯰
眼前に広がる湖。
対岸には町があるのだが、水面から立ち上る霧のせいで何も見えない。この湖畔での野宿は3日目。
「ラゲルナ様。お食事を届けに来ました」
黒いローブを羽織り魔法使い風の出で立ちで、ノアールが現れた。文字通り、何もないところに空間を繋いで現れたのである。背中に背負ったズタ袋を下ろして、その中からチーズや腸詰め肉を取り出す。
「ありがとう」
海賊の剣を脇に置いて、ノアールの右手からチーズと腸詰め肉を受け取った。涼やかな笑顔で渡してくれるが、その右手は猛禽類のような鉤爪だ。
長い黒髪は背中まで真っ直ぐに伸びており、切れ長の双眸も髪と同じく黒い。それと対照的に肌は白く、形の良い唇は鮮血色の艶を放っている。ノアールは美人である。
美女で性格は素直で従順、少し感覚がズレてはいるが、気配りもできる。その上、力持ちで重い荷物も軽々と運んでくれる。
美女が傍でニコニコして、荷物まで運んでくれるのは旅のパートナーとしては大変有り難い。
たった一つ気をつけることがあるとしたら……ノアールが人間ではなく、存在が人外であると言うことだ。
運んでくれた食料も、わたしの分だけでノアールの分はない。人外の存在のノアールは、食事はせずに『魔』を喰らう。
この湖には、対岸にあるトレールの町で「魔鯰」と呼ばれている水の魔物がいる。ノアールは、その「魔鯰を喰らいたい」と言い出しやがった。
わたしは北の地で『盾の乙女』と呼ばれる女の海賊戦士だった。色々あって『盾の乙女』を落ちこぼれて、南の地へ流れてきたのだが……水の上が苦手なのだ。
水が苦手な落ちこぼれ女海賊が、人外の存在のワガママに付き合わされて水の魔物を狩るために野宿をしている。なかなか精神的にはキツい。
「妾がいると魔鯰が警戒するかも知れませんので、この場を離れますね」
そう言って、ノアールはまた空間を別のどこかに繋いで消える。
要するに……わたしがここにいるのは「魔鯰を誘き出すための餌」の役をやっているからである。
ノアールの食欲に付き合って、これまで何度か死にかけた。今回の場合だと、魔鯰に喰われそうになるのか?
「まあ……死にかける度にノアールに助けられているから釣り合いは取れているのかも知れないねえ」
いや。やはり、それは釣り合いとは言わない。
一応、わたしは冒険者として、トレールの町の冒険者ギルドから「魔物退治」の仕事として引き受けている。上手くいけば、ノアールには食事をさせて、魔物退治の報酬が手に入る。釣り合いと言うなら、こちらのはずだ。




