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見えてる地雷になびく婚約者につける薬はありません! え!?  飲んだの!?

作者: 幽



「ご臨終です」

「そんな……ヴェル様ぁ……!!」


 豪奢な屋敷の寝室に据え置かれた、天蓋付きベッドの側で金の長髪を振り乱しながら、ベラ・ハーネストは泣き崩れた。


 その様子を一歩引いて観察するイルダ・アネモライトは、身に纏う白衣と相反した艶やかな黒髪の下から、切れ長の視線を寝台へと移した。


 横たわる銀髪の美丈夫を各々が見つめて、暫しの沈黙が満ちる。泣き咽ぶ声が幾分か経ってようやく、ベラが言葉らしき物を発した。


「何故このようなことに……」

「あなたが彼の薬を誤って飲ませたせいですね」


 イルダが端的に事実を告げると、悪魔のような形相でベラはベッドから顔を引き剥がした。

 眠っている将来の夫にも見せたことのないであろう表情のまま、彼女は金切り声を上げた。

 

「な⁉︎ い、言い掛かりも甚だしいですわ! 寧ろ、薬師の立場を利用し、婚約破棄の腹いせにヴェル様を殺めたのはそちらでは?」


 そう断じるベラの剣幕には、魔導学院で男を侍らせ、蝶よ花よと可愛がられてた面影が微塵もない。

 彼女と同じ学院で薬学科に所属するイルダとしては、剥がれた仮面を眺める心地であった。

 

 ベラを取り巻く風聞には何かと色恋沙汰が絶えない。わかり易く男性を立てては甘え都合良く転がし、飽きては乗り換えてを繰り返し、次の標的になったのがイルダの元婚約者、ヴェルハード・ランべクスだった。

 

 代々医学者を輩出し、薬学科のホープとして次のポストを期待されているイルダが生まれたアネモライト家と、豪商ランべクス家の政略的な婚姻はとんとん拍子に決まった。


 ランべクス家からすれば事業を広げるため専門家を招く意味もあったし、ある種の奇病持ちでもあった跡取り息子、ヴェルハードの専属医を取り立てる意図もあったのだろう。


 あちらからすれば願ったり叶ったり。

 アネモライト家も家格が釣り上がって万々歳。

 イルダの意思はといえば、生まれてこの方勉強漬けで恋愛感情に乏しい身の上では、判断材料があまりに足りなかった。


 結果として、仮初の将来を誓った筈の男は浮世を流した末、息を引き取っている。彼がイルダに婚約破棄を叩きつけた日のことが遠い昔に思えるが、実のところ一年も経っていない。『薬品臭い芋娘は嫌だ』というのが掻い摘んだ理由だが、今でも言い返せないとイルダは思う。


 もっともらしく言っても、女を選ぶ目はやはりなかったようだ。イルダを睨むベラの顔には、『このまま罪状をでっち上げてアネモライト家ごと慰謝料を毟り取ってやる』と書いてある。

 他の誰にも聞こえずとも、イルダには実際にそう“聴こえた”。


「それ以上言い分があるのなら法廷で。今は悲しみに暮れてはいかがですか?」

「元婚約者の死を目の当たりに、顔色一つ変えない、薄情者にだけは言われたくありませんわ!」

「私が薄情者なら、あなたは大した役者ですね。先に申し上げますと、私から財産はふんだくれないと思いますよ」

「……さっきから何に怯えているんですの? 私、貴女を訴えるだなんて一言も──」

「私、心の声が聴こえるんです。そういう“ギフト”ですので」


 この世界には、人々が稀に授かる〝祝福〟がある。それらを人はギフトと呼び、神の思し召しとして敬ってきた。だからイルダの種明かしははったりではなく、確かな武器としてベラに突き刺さる。


「そん、な、馬鹿げた……」

『ギフトが、あるわけ……』


 内と外から動揺を見透かし、イルダは弁舌を以て畳み掛けた。


「残念ながらここに。普段は雑音が煩わしいので、薬で抑えているのですが。今日は飲まずに来て正解でした」


 一口に祝福と持て囃しても、イルダのそれは呪いに近しい。四六時中人の心を聴くという苦悶から逃れる為に、イルダは進路を決めたのだ。一族には顔向け出来ない行動原理だが、疎ましい才能にも使いどころはある。

 追い詰められた女豹は、片手で顔を覆い隠し腰が折れそうなほどに身体をのけ反らせた。


「……ハハッ! アハハハハッ! それが真実だとして、貴女以外に、私の内心を確かめる術がありまして? 薬を故意に飲ませた証拠は⁉︎」

「そう言われると弱いですが、あなたの立場が弱いこともお忘れなく。いつまでもランべクス家の後ろ盾があるわけではないので」

「いいえ! いいえ!! 私は間違いなく、ランべクス家の庇護下にあります! だってここには……」


 そう言って慈しむように己の腹の辺りをさするベラ。女優顔負けに様変わりする表情は母親の恍惚として、心を読む必要さえなかった。

 彼女の思い描く筋書き通りなら、イルダは間違いなくランべクスを敵に回したことだろう。だが、そうはならないという確信があった。


『……るさいな』


 二人の声しか交わらない寝室で、イルダにしか聴こえないノイズが混じる。

 夢見る少女の顔をしたベラに、イルダは一つの真実を告げた。


「有り得ませんね。だってこの人、種無しですし。ね? “貴方”?」

「──遺体にプライバシーはないのか?」

「…………は?」


 片や冷めた瞳で、片や瞼が裂けそうな程にひん剥いて、正反対の視線に見守られながら、ヴェルハード・ランべクスはあくび混じりに起き上がった。

 彼が授かったギフトは、“不死”と呼ばれるものだった。

  


 ◆



「貴方も回りくどい真似をしますね」

「学院の膿を排除する方法としては、打ってつけだろう?」


 一年近く振りにランベルクス家の庭園を歩きながら、イルダはヴェルハードとの答え合わせに勤しんでいた。


 学院の治安維持組織に所属する彼は、ベラのように秩序を乱す者を対処する立場にある。

 上級貴族や政界に乗り出す人間が跋扈するこの学院に入学する以前にも、彼女がコネ作りに踏み台にしてきた放蕩息子は少なくない。

 

 他の誰かが被害に遭う前にと、汚れ役を買って出たのがヴェルハードだった。彼はそのギフト故に犠牲になることを恐れない。が、今回に限っては長期的な計画な為、慣れない立ち回りもしたのだろう。自分の庭に帰ってきた横顔はいつになく生き生きとしていた。

 

 彼に婚約破棄を叩き付けられた当時、心の声で千倍速で謝り倒された記憶が脳に焼き付いて離れない。物心付いた頃からギフトに振り回されていたイルダをして、生涯なかった経験である。

 

 木陰に隠れ潜むように並び立ち、イルダは頭一つは高いヴェルハードの顔を仰いだ。葉擦れの音と共に銀髪が揺れ、赤い瞳がイルダを見下ろす。


「まぁ、私の考え付かない処方で貴方を殺せたのは、思わぬ収穫でしたが」

「相も変わらず物騒な……。君を残しては死ねないよ」

「よくもまぁ、他の女と寝た口で私を口説けましたね」

「誓って! 誓ってキスもしていない! 彼女は幻覚系のギフト持ちだが、恐らく自身に強い暗示をかけていたのだろう。想像妊娠という奴だ」

「……貴方がその幻覚にかからなかったという保証は?」

「婚約破棄から今日まで、君を想わない日はなかった」

「だったらすんな」

「イダッ」


 強めのグーで脇腹を殴る。謝るくらいなら、初めからそんな正義感は要らないのだ。

 ベラとの関係は当然解消済みであり、様々な余罪から彼女は学院を追放されたが、一時的な婚約破棄で宙ぶらりんになったイルダとしては物申したいことが山程ある。そもそも、ヴェルハード当人が志願しなければ良かったのだ。そうは思っても、イルダには彼の真意が嫌になる程に伝わるのだが。


『──嫉妬するイルダもかわいいな』


 要するに。

 研究室から出てこない婚約者の気を、強引にでも引きたかったのだ。まがりなりにも恋人を不安にさせておいて、彼は今日一番晴れ晴れとしている。


「やはり、馬鹿は死んでも治りませんね」

「君に殺されるなら本望さ」


 互いに本音を口にして、木陰の下から青空を見上げる。風に運ばれた一枚の葉がイルダの足元に落ちて、思わずその一生を儚んだ。

 イルダの隣に立つ男性は、寿命とも無縁だ。個体として完成された代償として、彼は種を残せない。残す必要がない。そういうギフトだ。


 いつか、彼と共に神の加護から抜け出る為に、イルダは心血を注いで研究に取り組んでいる。好き好んで放置しているわけではない。決して。


 イルダにとって、薬で抑えずに心の声を聴ける人間は、片手の指に満たないくらい希少だから。


「……ヴェル」


 人の心が読める分、イルダは自分の気持ちに関しておざなりな傾向がある。久方振りに白衣でなくドレスに袖を通し、ランベクス家の敷居を跨ぐが、一つだけ、どうしても確認したいことがあった。


「……私、まだ薬品臭いですか?」


 尋ねれば、ヴェルハードはきょとんと静止して、それからくつくつと背中を丸くして、イルダの頬の熱が上がるにつれて声を大きくした。


「……くっ、く、はは、ははははっ! やっぱりかわいいなぁ、イルダは……」

「……そのまま笑い死んで下さい」


 その日、約一年振りにランべクス家に舞い戻った懐かしい笑い声に、小鳥や小動物の類までもが、遠巻きに吸い寄せられた。

 いたたまれない気持ちのまま、この木の下に彼の墓を作ってやろうとイルダは心に決めた。

 その中に自分が入るかどうかは、死ぬまで言ってやらないことにした。



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