第8話:キィが見せる一瞬の影
蒼葉カーニバルの喧騒も、陽が傾き始めると共に少しずつ落ち着きを見せてきた。
日陰 蓮、白峰 凛、そしてしょんぼりとしたキィの三人は、後始末と警備(という名目の見回り)を終え、港の突堤までやってきていた。夕日が海面をオレンジ色に染め、潮風が心地よく頬を撫でる。祭りの熱気が嘘のような、穏やかな時間だった。
凛は、今日の騒動をまとめた報告書(もちろん手書き)を作成すべく、ベンチで難しい顔をしてペンを走らせている。相変わらず真面目だ。
蓮は、そんな凛から少し離れた場所に腰を下ろし、ぼんやりと海を眺めていた。頭の中では、今日見たあの奇妙な幻影がちらついていた。未来都市のような、それでいて荒廃した風景。あれはいったい何だったのか…。
キィは、二人のそばで、膝を抱えて座り込んでいた。祭りでしでかしたことと、凛に叱られたことで、さすがに落ち込んでいるようだ。時折、小さなため息をついては、自分の腰のポーチをぎゅっと握りしめている。
その姿は、いつもの天真爛漫さからはかけ離れていて、どこか痛々しくさえあった。
「…」
キィは、黙って海を見つめていたが、やがて、ぽつり、と呟いた。その声は小さく、潮風にかき消されそうだった。
「…ネェネ…ごめんね…」
蓮の耳が、その言葉を捉えた。以前にも聞いた名前だ。
「…ボクが、あんなことしちゃったから…ネェネは悪くないのに…」
キィの声は、震えている。
「早く帰って、ちゃんと謝らないと…ホントにごめんなさいって…」
その呟きには、深い後悔と悲しみが滲んでいた。
「…ネェネって、姉ちゃんのことか?」
蓮は、静かに尋ねた。放っておけなかった、というよりは、キィの秘密の核心に触れるチャンスだと思ったからだ。
「一体、何をやらかしたんだ? そのネェネとやらに」
キィは、蓮の声にビクッと肩を震わせ、慌てて顔を上げた。その瞳は、うっすらと潤んでいる。
「え!? あ、う、ううん! なんでもないよ! 独り言! そう、独り言!」
キィは、必死で笑顔を作り、ブンブンと手を横に振る。いつもの誤魔化しパターンだ。
「今日のお祭り、楽しかったなーって! そう! それを言ってたの!」
早口でまくし立てるが、その表情は硬く、明らかに動揺している。
「…ふーん」
蓮は、それ以上追及するのをやめた。無理に聞き出そうとしても、どうせはぐらかされるだけだろう。だが、確信は深まった。キィには『ネェネ』と呼ばれる姉がいて、その姉に対して何か重大な過ちを犯した、と。そして、そのことをひどく後悔している。
「キィさん…」
いつの間にか凛もペンを置き、心配そうにキィを見ていた。
「無理に話す必要はありませんが、もし何か、私たちにできることがあるなら…」
「大丈夫だよ!」
キィは、凛の言葉を遮るように、努めて明るい声を出した。
「キィは元気いっぱいだもん! でもね…」
そこで言葉を切ると、キィは遠い目をして、夕日に染まる海を見つめた。
「…故郷にはね、ボクを待ってる人がいるの」
その声は、先ほどとは違い、静かで、どこか切実な響きを帯びていた。
「たぶん…ううん、絶対、ボクのことすっごく怒ってると思う。ボク、ひどいことしちゃったから…」
キィは、ぎゅっと唇を噛む。
「でも…それでも、会いたいんだ。一目だけでもいいから…謝りたいんだ…」
その横顔には、いつもの天真爛漫な少女の面影はなかった。深い悲しみと、切ないほどの後悔、そして、大切な人への強い想いが滲み出ている。
(ひどいこと…ね)蓮は思った。(こいつの基準だと、どの程度の『ひどいこと』なのか見当もつかんが…この表情は本物だな。相当なものを抱えてるらしい)
次元迷子、不思議な石ころ、そして姉への後悔。
キィという存在は、まるで複雑なパズルのようだ。一つピースがはまったかと思えば、また新たな謎が現れる。
蓮は、夕日に照らされるキィの小さな背中を見つめながら、この厄介なパズルを解き明かしたいという気持ちが、自分の中で無視できないほど大きくなっているのを感じていた。