第7話:港町のカーニバルと時空のさざなみ
季節は初夏。
日陰 蓮たちが通う蒼葉学園がある港町では、年に一度の「蒼葉カーニバル」が開催される時期を迎えていた。港を中心に、様々な屋台が立ち並び、ステージイベントなども行われる、町一番の賑わいを見せる祭りだ。
当然、蓮にとっては他人事であり、家で静かに過ごす予定だったのだが―――。
「というわけで、特準室も祭りの警備および美化活動に協力することになったわ。いいね、日陰君」
放課後の特準室で、白峰 凛が高らかに宣言した。手には、実行委員会から配布されたらしい腕章とゴミ袋が握られている。
「はぁ!? なんで俺たちがそんな…」
蓮は、思わず声を上げた。学園内のトラブル対応ならまだしも、なぜ町内会の手伝いのようなことまでしなければならないのか。
「地域貢献も、我々の重要な活動の一つよ。それに、こういう不特定多数の人が集まる場所では、予期せぬ『特殊状況』が発生しやすいもの。事前警戒は当然の務めでしょう?」
凛は、きっぱりと言い切る。その正論には、反論の余地がないようで、ある。
「わーい! お祭りだー! お祭りだー!」
そんな蓮の苦悩などどこ吹く風、キィは目をキラキラさせて飛び跳ねている。彼女にとって、祭りは最高に楽しいイベントなのだろう。その好奇心が、ろくな結果を生まないことは、蓮には分かりきっていたが。
「…お前は絶対、問題を起こすなよ」
蓮は、釘を刺すようにキィに言った。
「大丈夫だって! キィ、お祭り大好き! みんなで楽しもうね!」
キィは、満面の笑みで答える。その笑顔が、逆に不安を掻き立てる。
かくして、特準室の三人は、揃いの腕章をつけてカーニバルの会場へと繰り出した。
港には、威勢の良い掛け声と、食べ物の美味しそうな匂いが満ち溢れている。色とりどりの屋台が軒を連ね、浴衣姿の人々が行き交う。まさに祭りの喧騒そのものだ。
凛は、腕章をつけた途端、妙な使命感に燃え始めたらしく、鋭い目でゴミを拾い、迷子らしき子供に声をかけ、酔っ払いに注意している。まるで風紀委員だ。
蓮は、そんな凛から少し距離を置き、人混みを避けるように歩いていた。できれば日陰で休みたい。
そしてキィは―――案の定、目を輝かせて屋台から屋台へと飛び回っていた。
「わー! たこ焼き! 美味しそう!」「あっちの金魚すくい、やりたい!」「りんご飴、キラキラしてるー!」
「おいキィ、あまり離れるな」
蓮は、仕方なくキィの後を追いかける。少し目を離した隙に、何をしでかすか分からない。
「はーい!」
キィは元気よく返事をしたが、すぐに射的の屋台に吸い寄せられていった。
「おじさん、これやりたい!」
キィは、店主に声をかけ、コルク銃を受け取る。そして、構え―――その瞬間、蓮は見た。キィが、ポケットを探り、例の石ころをぎゅっと握りしめるのを。
(…まずい!)
蓮が止めようとするより早く、キィは引き金を引いた。
ポン!と軽い音がして、コルク弾が飛んでいく。それは見事に景品のど真ん中に命中…したかと思われたが、次の瞬間、信じられないことが起こった。
並んでいた景品のぬいぐるみたちが、まるで音楽に合わせて踊るように、一斉にゆらゆらと動き始めたのだ!
さらに、キィが撃ったコルク弾は、なぜかふわふわの飴玉に変わり、近くにいた子供の口の中にスポンと吸い込まれた。
「うわっ! ぬいぐるみが生きてる!」「弾が甘いぞ!?」「な、なんだこりゃー!?」
客も店主も大混乱だ。
「キィ!」
蓮は、思わず叫んだ。
「えへへー、ごめーん! ちょっとだけ『当たりやすく』しようと思ったんだけど…」
キィは、ぺろりと舌を出した。
その後も、キィの『ちょっとだけ』は続いた。
かき氷を注文すれば、シロップが勝手に混ざって毒々しい虹色になり。
輪投げをすれば、輪が全部巨大化して景品に引っかからなくなり。
ヨーヨー釣りをすれば、釣り針が全部飴細工に変わってしまう。
行く先々で小さなパニックを引き起こし、その度に蓮と、騒ぎを聞きつけた凛が後始末に奔走する羽目になった。
「いい加減にしなさい、キィ君!」
凛が、ついに声を荒げた。
「お祭りは楽しむものだけど、人に迷惑をかけてはいけません!」
「むー…はーい…」
さすがに反省したのか、キィはしゅんとして俯いた。
その時だった。
祭りの喧騒、人々のざわめき、屋台の音楽…それら全てが、ふっと遠のいた。
蓮の目の前の光景が、一瞬だけ、ノイズが走ったように歪んだのだ。
ガラスと金属でできた、未来的な高層ビル群。空には見たこともない形状の乗り物が飛び交っている。だが、よく見ると、ビルの壁は煤け、窓は割れ、どことなく荒廃した雰囲気が漂っている。
(…まただ…!)
蓮は、息を呑んだ。以前にも見た、あの幻影。
それは、ほんの一瞬の出来事で、すぐに元の祭りの風景に戻った。だが、今のは気のせいではない。確かに見たのだ。
(あれは、未来…? それとも、キィが言っていた『別の次元』と関係があるのか…?)
蓮は、隣で俯いているキィの横顔を盗み見た。
この少女は、一体何を隠しているのか。そして、自分が見たあの光景は、何を意味するのか。
祭りの喧騒の中で、蓮の心には、新たな、そしてより深い謎が刻み込まれていた。