第5話:自称・次元迷子の告白(真実度30%)
翌日の特準室。
部屋の空気は、昨日とは打って変わって重かった。原因は、もちろんキィだ。昨日のチャイム事件以来、キィはどこか上の空で、普段の底抜けの明るさは鳴りを潜めていた。時折、窓の外をぼんやりと眺めては、小さくため息をついている。
そんなキィの様子に、白峰凛も何かを感じ取っているようだ。いつもならテキパキと仕事をこなしているはずが、今日はキィの方をちらちらと気にしている。
日陰 蓮は、そんな二人を横目に、文庫本の世界に没頭しようと試みていた。だが、やはり集中できない。キィの異常な怯えようと、彼女が持つ奇妙な石ころ、そして時折感じる空間の揺らぎ。それらが頭の中で結びつきそうで、結びつかない。もどかしい感覚が蓮を苛んでいた。
「…ねぇ」
不意に、キィが呟いた。
「ん?」
蓮は、本から顔を上げずに応じる。
「…ボクのこと、変だって思ってるでしょ?」
キィの声は、いつになくか細かった。
蓮は、少し間を置いてから、本を閉じた。
「否定はしないな」
正直な感想だった。
「…やっぱり」
キィは、俯いて自分の足元を見つめている。その姿は、まるで迷子の子供のようだ。普段の騒がしさからは想像もつかない。
「キィさん」
凛が、静かに口を開いた。
「もし、何か悩んでいることがあるなら、話してくれませんか? 私たちでは力になれないかもしれませんが、聞くことくらいはできます」
その声は、いつもの凛からは少し意外なほど、優しかった。
キィは、しばらく黙って俯いていたが、やがて顔を上げた。その瞳は、少し潤んでいるように見えた。
「…あのね…」
キィは、意を決したように話し始めた。
「実はね…ボク…」
ごくり、と凛が息を呑むのが分かった。蓮も、無意識のうちに身構えていた。
「…違う次元から、来ちゃったんだ!」
キィは、そう言うと、ぺろりと舌を出して、少し照れたように笑った。「てへっ!」とでも言いたげな表情で。
「「…………は?」」
蓮と凛の声が、綺麗にハモった。
予想の斜め上を行く告白に、二人は完全に思考停止していた。重い秘密が語られるかと身構えていたところに、これである。
「だ、だからー! 別の世界だよ! ここじゃないどこか!」
キィは、焦ったように説明を続ける。
「気がついたら、知らない場所にいて…それで、あなたたちを見つけたの!」
「…違う次元、ねぇ」
蓮は、こめかみを押さえた。昨日のチャイムの件で、何か深刻な過去でもあるのかと思えば、まさかのトンデモ設定カミングアウトだ。
「並行世界理論ですか? それとも、高次元宇宙からの転移…?」
凛は、目を輝かせ始めた。どうやら、彼女のSF知識アンテナが反応したらしい。真面目な顔で専門用語を並べ始める。
「それで、あなたの故郷はどのような物理法則に基づいているのですか? 時間の流れは? 空間の構造は?」
「えーっとねー…」
キィは、凛の勢いに少し戸惑いながらも、話し始めた。
「ボクの故郷はねー、七色の雨が降って、ふわふわのお菓子が木になってて、キラキラの川が流れてるの! 動物たちも、みんなおしゃべりするんだよ!」
「…お花畑みたいな世界だな」
蓮は、呆れて呟いた。ますます胡散臭い。
「それでね、この石ころ!」
キィは、例の石ころを取り出して見せた。
「これは、故郷の特別な道具なの! ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、運命を変えたり、ワープしたりできるんだ! すごいでしょ!」
「運命を変える…? 物騒な代物だな」
蓮は、眉を顰めた。そんなものが、こんな子供(?)の手に渡っていること自体が異常だ。
「それでね、故郷にはね、『時の泉』っていう、すっごく綺麗な秘密の場所があるの!」
キィは、目を輝かせて続ける。
「そこでね、ボク、大事な人と『約束』したんだ!」
「時の泉…?」
凛が聞き返す。
「時間に関係する場所なのですか? その約束とは?」
「うーんとね…そうかも! 時間がキラキラしてる感じ!」
キィは、曖昧な答え方をする。
「でもね、約束の中身は…」
そこでキィは、人差し指を口に当てて、悪戯っぽく笑った。
「ヒ・ミ・ツ!」
(話半分…いや、8割は嘘かファンタジーだな)蓮は結論づけた。(だが、『七色の雨』『時の泉』『約束』…この辺りの言葉を口にする時だけ、妙に真剣な表情になる。あるいは、こいつにとっての真実の断片が、そこに隠されているのかもしれない)
「…まあ、事情は分かったような、分からないような感じだが」
蓮は、立ち上がった。
「とりあえず、お前が普通じゃないことだけは確かだな」
「えへへー」
キィは、またいつもの調子で笑っている。昨日の落ち込みようは、どこへやらだ。
(…本当に、掴みどころのない奴だ)
蓮は、改めてそう思った。
次元迷子? 不思議な石ころ? 約束?
どこまでが真実で、どこからが嘘なのか。
一つだけ確かなのは、この小さな闖入者が、蓮の退屈だった日常に、とんでもない波乱を呼び込んでいるということだけだった。