第14話:明かされる真実と、選ぶべき未来
蒼葉祭の喧騒が嘘のように静まり返った、夕暮れの特準室。
日陰 蓮、白峰 凛、そしてキィの三人は、ソファにぐったりと座り込んでいた。今日のドタバタ劇は、さすがに体力を消耗したらしい。安堵感と疲労感が、部屋の中に重く漂っていた。
「…あの、調律師って人、どうなったのかな?」
キィが、不安そうに呟いた。
「さあな。ステージの下は倉庫になってるはずだが…あの高さから落ちて無事とは思えん。まあ、普通の人間の話なら、だがな」
蓮は、肩をすくめて答えた。
「おそらく、一時的に機能停止したか、あるいは緊急転送で撤退したか…いずれにせよ、また現れる可能性は高いわね」
凛が、冷静に分析する。
その時だった。
キィが胸元で握りしめていたポーチが、突然、淡い光を放ち始めたのだ。そして、その光に呼応するように、ポーチの中の『石ころ』――確率偏向キューブが、明滅を繰り返す。
「わっ!? なにこれ!?」
キィが驚いてポーチから手を離すと、キューブはひとりでに浮き上がり、部屋の中央で不安定な光を放ち始めた。今日の戦闘でエネルギーを使いすぎたのか、あるいは調律師との接触で何らかの影響を受けたのか、その輝きは明らかに異常だった。
「まずい…! また暴走する気か!?」
蓮が身構える。
だが、今回は暴走というよりは、制御不能な情報漏洩といった方が近かった。
キューブから放たれる光が、スクリーン代わりの壁に、断片的な映像を投影し始めたのだ。ノイズ混じりで、不鮮明ではあるが、そこには衝撃的な光景が映し出されていた。
―――荒廃した都市。七色の雨が降り注いでいるが、それは美しいというより、どこか毒々しい色合いに見える。建物は崩れ落ち、人々は疲れ果てた表情で俯いている。キィが語っていた「キラキラふわふわ」な故郷とは、似ても似つかない光景だ。
―――ベッドに横たわる、美しい少女。キィによく似ているが、もっと年上に見える。苦しそうに息をしており、その顔色は土気色だ。おそらく、キィの姉『ネェネ』なのだろう。
―――ポーチの刺繍と同じ、奇妙な幾何学模様が描かれた設計図のようなもの。それは、キューブの制御回路か、あるいは…。
そして、音声も断片的に流れ込んでくる。
『イオタ…あなただけは…生きて…過去に囚われないで…未来へ…』
それは、病床の姉の声だろうか。弱々しいが、強い意志を感じさせる声だった。
『このポーチが、あなたを安全な場所へ導く…約束よ…』
さらに、別の声も聞こえてくる。冷たく、無機質な声。おそらく、調律師の記録音声か何かだろう。
『対象イオタの過去干渉により、次元崩壊係数が増大。対象姉の状態も、プロトコル・ガンマに移行。もはや既存手段による修復は不可能と判断…』
最後に、あの忌まわしい警報音。学校のチャイムと同じメロディが、けたたましく響き渡る。
映像と音声が途切れ、キューブの光も弱まっていく。
部屋には、重い沈黙が落ちた。
「…うそ…」
キィの唇から、か細い声が漏れた。
「故郷が…あんな…? 七色の雨は…毒だったの…? ネェネの病気は…ボクが時間をいじったから…もっと悪くなったの…?」
キィの顔から、血の気が引いていく。
「ポーチは…ネェネが、ボクを逃がすために…? 安全な場所って…ここ…?」
チャイムの音が、故郷の警報音だったことも理解したのだろう。
全ての伏線が、最悪の形で繋がってしまった。
「そんな…」
凛も、言葉を失っている。あまりにも残酷な真実だった。
キィは、ただ、呆然と壁を見つめていたが、やがてその瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ち始めた。
「ボク…ボク、何にも知らなかった…! ネェネがそんなに苦しんでたなんて…! ボクが、全部壊しちゃったんだ…! ネェネにも、故郷にも、もう合わせる顔なんてない…!」
キィは、その場に崩れ落ち、子供のように声を上げて泣き始めた。嗚咽が、静かな部屋に響き渡る。
蓮は、かける言葉が見つからなかった。どんな慰めも、今のキィには届かないだろう。
だが、それでも。
「…おい」
蓮は、キィの前にしゃがみ込み、その小さな肩に手を置いた。
「いつまで泣いてるんだ」
「だって…! ボクのせいで…!」
「ああ、そうだな。お前のせいかもしれん。だが、お前の姉ちゃんは、お前に生きてほしかったんだろ? そのために、お前をここに送った。そうだろ?」
キィは、しゃくり上げながら、こくりと頷く。
「だったら、ここでメソメソしてるのが、姉ちゃんの望みか? 違うだろ」
蓮は、続ける。
「お前が全部壊したって言うなら、お前がこれからどうにかするしかねえだろ。方法は分からん。だが、諦めたら、それこそ姉ちゃんに顔向けできなくなるぞ」
「そうよ、キィさん」
凛も、キィの隣に膝をついた。
「過去は変えられないかもしれない。でも、未来はこれから作っていくものよ。ここにいれば、何かできることがあるかもしれない。お姉さんを救う別の方法だって、きっと…」
凛は、キィの手を優しく握る。
「私たちが協力するわ。一人で抱え込まないで」
蓮と凛の言葉に、キィは、泣きじゃくりながらも、顔を上げた。その瞳には、絶望だけではない、微かな光が宿り始めていた。
「…別の、方法…?」
「ああ。帰れないなら、ここで足掻くしかないだろ」
蓮は、少しだけ口角を上げて言った。
「いつか、胸張って姉ちゃんに『ごめんなさい』と『ありがとう』を言える日が来るように。な?」
キィは、しばらくの間、蓮と凛の顔を交互に見つめていたが、やがて、ぐっと涙をこらえ、力強く頷いた。
「…うん…!」
その一言には、過去と向き合い、未来へ進もうとする、小さな決意が込められていた。
「ボク、諦めない…! ここで頑張る! ネェネのために、ボクができること、全部やる!」
暴走しかけたキューブは、今は静かに床に転がっている。
夕日が差し込む特準室で、三人の間には、新たな、そしてより強い絆が結ばれようとしていた。
道は険しいだろう。だが、一人ではない。
彼らの新しい日常は、ここから始まるのだ。