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第2話 特別派遣

いつだろう。

 青い空が色褪せて見えるようになったのは。

 いつだろう。

 自分に特別な力がないと気づいたのは。

 

 

 青空学園。

 京都府に位置するその学校は盆地の影響を受け、夏は暑く、冬は寒いという極端な四季を堪能できる環境にあった。

 築五十年ほどの校舎は幾度の改修工事を経て、新旧入り混じる、味のある校舎となっている。

 放課後。そろそろグラウンドに運動部の姿が見え始める頃だ。


「さて、特別なんとかさんが来たのはありがたいが……」

 青沼は悩んでいた。

 メンバーが増えたのはいい。それは素直に喜んでいい、はずだった。

「特別派遣、ね。何か悩むことでもあるの?」

 野球部マネージャーの女子のひとり、黒咲(くろさき) 穂乃果(ほのか)が声をかける。

「ポジションは外野。そりゃセンターでも守ってくれりゃ、外野の要として文句はないさ。でもなぁ……」

 野球というスポーツはどこかひとつのポジションを埋めただけでは勝てない。

 このチームには課題が多すぎる。

 まず得点力。

 欲を言えばホームランを打てる選手が望ましいが、そんな選手はうちには来ない。

 繋いで点を取るというチームスポーツならではの戦術はあるが、それを本職でない掛け持ちのレンタル選手には厳しい。

 鍵谷が出塁したところで彼を確実に返せる打者がいない。

 次に投手力。

 昨夏の立役者であるエースは怪我の治療中。

 夏のような投球を見せられるようになるにはまだ時間が必要で、練習には顔を出さず治療に専念している。大会後から入院しているため、おそらく今の野球部の現状も知らない。

 坂下が必然的に投手としてマウンドに上がるが、秋の大会では緊張からなのか四死球を連発し、失投からの大量失点。

 球種はまっすぐと複数の変化球があるが、ストライクゾーンに入ったらラッキーくらいのコントロールで毎試合苦しんでいる。

 投球練習で球を受けている時はそうでもないのだが、どうもうまくいかない。

 仕方なく青沼もマウンドに上がるが、制球力は良くてもキレのない棒球で簡単に打たれてしまう。

 最後に守備力。

 坂下ほど内野手の上手いレンタル選手などいるはずもなく、内野の守備はボロボロ。

 打ち取った打球が誰も取れず無情にも転がる場面は何度も見てきた。

 まず、正規の部員がほぼいない。

 助っ人だらけのチーム状況で、各々それぞれの部活がある。本職がある中で、大会前以外の練習はほぼ出られない。

「どうするかな……」

 手をつけられることは正直ないのが青空学園。

 問題は明白だった。

「メンバーが足りねぇ!」



 ふと思い浮かぶ。

 小学校の頃、彼の球を捕っていた頃。

 その体は小さくも、難敵に怯まない。

 彼の姿がもしここにあるのなら――。

 だがそれは叶わない望みだ。

 全国制覇を果たした彼が自分を気に留めるとでも?

 ……ありえない。

 たまたま彼とバッテリーを組んだだけの関係。

 もうとっくに忘れているだろう――。

 だがそれでも、もしまたコンビを組めるなら……。

 


「ねえ」

「うぉっ! 何だ?」

「何だ、じゃないわ。叫んでから急に黙っちゃって」

 青沼は昔を思うあまり、意識を手放していたようだ。

 そう、彼が居てほしいなどと思ってはいけないのだ。

 彼、大村航大は遠い世界の住人なのだ。

 それこそ日の丸を背負うような……。

「よう。今日もよろしくー」

 鍵谷が練習着に着替え、こちらにやってくる。

 鍵谷は航大を知る選手である。

 全国大会を制した龍山学院は伝説のチームとして称えられた。

 背番号一桁はすべて一年生。それでいてどの選手もレベルが高く野球のエリート集団という見方が強い。 

 まるで違う世界の住人、宇宙人か異世界人の類があいさつしているようで、青沼にはどうも現実味がしなかった。

 

「お、おう」

「で、今日は練習どうすんの?」

「あーいや、それがな……」

 青沼は何も決めていない。特に監督から指示があるわけでもない。

「監督からは?」

「特に何も。そもそも監督って言ってもあの人は野球わかんない先生だしな」

 鍵屋の顔が曇る。

「なあ」

「ん?」

「本当にここって今夏の地方大会で準優勝したのか? 練習環境、部員、監督。どこを見ても勝ち上がれる要素がないんだが」

 鍵谷の指摘はごもっとも。

 今ある事実を伝えるしかない。

「確かに準優勝はしたさ。でもそのほとんどが引退して、今いるのは俺含めて四人」

「よ、四人?!」

 鍵谷は信じられないというような衝撃を受け、思わず叫んだ。

「そういうわけで、悪いな。せっかく来てもらったのに。ろくな練習は当分できないかもしれない」


 しばらく手を当て、考え込んだ鍵谷はこう提案した。

「なら、キャッチボールをやろう。野球の基本だろ? まずはそこから始めようじゃないか」

「そ、そうだな。確かに何もやらないよりはいい」

 やることはまず決まった。

 二人はグローブを取り出す。

「……航大に野球を教わったときも初めはここからだった。あいつ、元気にしてるかな」

 その言葉が引っかかったのか、青沼は鍵谷に聞く。

「練習前に1ついいか?」

 青沼は迷わず尋ねた。

「特別派遣制度。確かにうちにはありがたい話だが、なんで来たんだ? 秋の大会や選抜大会にはうちより龍山学院のほうが圧倒的有利なのに」


「それは――」

 

 青沼はその理由を聞いた。

 斜め上の事情に彼は困惑の表情を浮かべた。

 

「龍山学院は今、高野連から無期限活動禁止処分を食らってる最中なんだよ」

 



 夕方。静かなグラウンドに制服姿の二人の男女が突っ立っていた。

 龍山学院。

 大阪代表として今年の夏を湧かし、全国大会優勝を成し遂げた野球部の活気はすでに失われていた。

「もうずいぶん練習できてないね」

「ああ」

 大村航大と山川京子。

 言葉は少なく、二人の視点は濃くなる互いの影のみである。

「始まりは、交換留学だったな」

「うん」


 龍山学院と青空学園で交わされた密約。

 姉妹校という位置づけにある両校の間で行われる相互育成プログラムの一貫で、藍野岬ら数名が青空学園に行き、青空学園側も何名かの生徒がこちらに来た。

 その中で気になる生徒がいた。

 古川勇介、真太郎という一年生の双子の兄弟。

 青空学園では野球部だったらしい。

 そのニ名を加え、新体制に移行する……はずだった。

 あるとき、彼らは二軍の選手たちを引き連れこう言った。

「今の俺たちがあんたらより下なはずかない」

 反逆だった。

 かつて航大たちが一軍として試合に出るため、使った手法を真似たと思われる。

 ただ、前回とは訳が違う。

 なぜならすでにチームは実力に基づいた分け方をしていることだ。

 故に一軍二軍といった振り分けはほぼ正確なのである。

 それに二軍が全国優勝校の一軍を倒せるほどの実力があるとは航大は到底思えなかった。

 しかしながら戦ってはっきりさせたほうがいいという意見もあり、数日もしないうちに紅白戦が行われた。


 結果は大方の予想通り、一軍の圧勝だった。

 二軍ベンチはお通夜のようなムードで覇気がなく、勇介の這いつくばる姿が印象的だった。

 その日は何事も無く終わったが、問題は週明けの月曜日だった。


「……窓ガラスが全部割られている?」

「そう、どの教室も粉々に……。防犯カメラには複数人の野球部員が映ってたって」

 校門をくぐった先に見えた光景は衝撃だった。

 試合結果に納得がいかなかったのか、己の実力を認められなかったのかはわからない。

 不満が爆発した複数名の二軍選手が暴挙に出たのだった。

 関与した選手は退部や退学の措置がとられたが、責任は野球部全体に向けられた。

「無期限活動停止処分。これがある限り、今この学校にいる俺たちは動けない。普通はな」

 この処分があることで国際大会も秋の大会にも出場できない。

 そのはずだった。

 だが、その後の野球情勢が彼らを変えた。

『日本、格下相手にまさかのコールド負けです!』

 一八歳以下の選手たちで構成される世界大会。日本は一次リーグ突破確実と言われていたが初戦の格下相手にまさかのコールド負け。それもそのはず、チームは龍山学院の選手を除く形で急な再編成を迫られ、チーム力ははるかに落ちていた。

 日の丸を背負った彼らは必死に戦った。

 だが、力は及ばなかった。

 最後の試合を航大や京子は見ていたが、無常にも相手に重ねられる得点が痛々しく、時折唇を噛みしめていた。


 結果的にチームは全敗で早々と日本へ帰ってきた。

 世間の大バッシング。

 その中には龍山学院に下したペナルティが屈辱的な敗退を招いたとの見方もあった。


 野球界が逆風にさらされる中、高野連はある決定をした。

「現状、龍山学院の処分を解くつもりはない。ただし、問題を起こした該当選手以外の生徒たちは無関係である。故に特別措置として他校への派遣を経ての各大会参加を認める」


 つまり、他校のユニフォームを着れば大会に出られるということだった。

 うれしく思う選手がいる一方、いくつか問題もあった。

 まず、チームに入ることで他選手の活躍機会を奪ってしまうこと。

 練習、試合の機会を得る代わりに龍山学院の選手ではなくなること。

 前者は定員が決まっているチームスポーツで起こるありふれたことなので、仕方がない。

 だが後者の問題はかつての仲間と敵として対峙しなければならなくなることだった。

 

 熟考を重ねた選手たち。

 一番、早く決断したのは青木だった。

「一抜けだ。このチームで試合に出られない以上、ここにいる意味はないからな」

「お前、それがどういうことかわかってんのか?」

「ああ。次会うときは敵として、だ。まあ夏、出られるといいな」

 青木はそう言って学校を去った。

 そこから、高井川(たかいがわ)今西(いまにし)不知火(しらぬい)虎野(とらの)、鍵谷と大半のレギュラー選手が他校への派遣に賛同しチームを学校を去った。


 

「残ったのは、俺たちと中村、倉田か」

「そうだね」

 京子は誰もいないグラウンドを見つめる。

 寂しさとともに襲い来る悲しみが押し寄せる。

「ねえ」

「なんだ」

「航大くんは、どこにも行かないよね……?」

 航大は返答に詰まった。

「私嫌だよ……。これ以上ここから人がいなくなるなんて」

 胸倉を掴まれて航大は動揺する。

「……居なくならないで」

 京子の潤んだ目、そのまなざしを一度見て目を逸らし、航大は言う。

「……約束はできない。ここを去ったあいつらを責めることもできない。何が正しいとか間違ってるとかはこの際関係ない。自分がしたいと思うことを自分で決めて選ぶ。その点あいつらは大人に近づいたんだ。駄々こねるのは子供のやることだ。手、放してくれよ」

「……ごめん」

 熱くなったことを反省し、手を放す京子。

「そろそろ帰るか。ここにいても何も始まらない」

「……そうだね」

 乾いてやや荒れたグラウンドを二人は後にした。


「じゃ、俺少し買い物して帰るから」

「うん、また明日ね」

 航大と京子は通学路の帰り道で別れる。

 彼女の後ろ姿を見送ると、航大はひとり、言葉を零す。

「俺ももう少し大人にならなきゃな」

 

 その日を最後に、大阪で航大を見た者はいない。

 大村航大は失踪した。


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