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桜のころ ~水原 遥の回想~

作者: 赤月白羽

 昨日、彼──わたる君からSNSで「桜を見に行こう」と連絡がきた。確かに良い頃合かもしれないからお誘いにOKを出して、待ち合わせに桜が観られる公園にある喫茶店を教えた。


 そして今朝、私はまだ肌寒い早朝のうちに出かけて公園の近くの神社でお参りを済ませると、徹夜で場所取りしている人たちの間を縫うように歩きながら一足先に桜を愛で、開店に合わせて喫茶店に向かった。桜の名所……というより花見の名所で有名な公園の喫茶店なので、枝垂桜しだれざくらの見える窓際の席をとれたのは幸運だった。

 待ち合わせの時間までまだだいぶある。窓から見える枝垂桜を眺めながら、今朝に桜を眺めながら思い出していたことをぼんやりと考えていた。




 橘くんと初めて会ったのは高校1年の三月の終わり頃、進路のことで父と揉めてもやもやした気分を晴らしに、夜に桜の並木道のある川辺に行ってぼんやりと川を眺めていた時だ。

視線を感じてそちらを向いたら自転車を押している男の子がぽかんとした顔で私を見ていた。きっと夜に女一人で川岸に突っ立って暗い顔でぼんやりと川を眺めていたのが奇妙だったんだろう。

 突然強い風が吹いて、髪が乱されないように手で押さえながら照れ隠しに笑みを返すと、男の子はじっと見ていたことを恥ずかしく思ったのか、顔を背けながら急ぎ足で立ち去って行った。男の子は線が細くてあどけなさの残る顔立ちからてっきり中学生だと思っていたけど、まさか一つ下で、しかも私の通う高校に入学してきて再会するとは思わなかった。


 四月になり、新入生が入部するクラブを選ぶために各部に見学もしくは体験入部する時期がきて、弓道部の部長と、次期部長に指名され副部長になった私が見学者に弓の実演をするときだった。私が見学者たちに視線を向けるとその中に数日前に見た顔があり、その子──橘悠真たちばなゆうまくんも私を憶えていたのか、お互いそのことに気が付いてぽかんと口を開けていた。それが滑稽で思わず噴き出したところを部長に見咎められて軽く叱責を受けてしまった。




 その時の状況を思い出してまた噴出し、慌てて笑みを隠すと誰にも見られていないかこっそり辺りを伺い、注目されていないことに安堵した。




 部長が実演を始めてから、見学者たちが拍手したり歓声をあげそうになる度に静かにするよう叱責を受ける中、橘くんだけがじっと静かに部長の演技を見つめていた。

 私の番になってから弓を射るのに集中してて見てなかったけど、部長からずっと静かに集中して見ていたと聞いた。その部長は実演が終わって見学者が帰る時に、橘くんを引き留めて熱心に勧誘していたっけ。




 注文していたサンドウィッチと珈琲を、店員さんが運んできてくれるのが見えて意識を現実に引き戻した。食事を摂らずに朝早くに家を出て、コンビニで買ったスムージーを飲んだだけだったからかなりお腹が空いていたのであっという間にサンドウィッチを平らげ、お腹が満たされて珈琲を飲みながらホッと一息吐く。




 橘くんは部長の誘いに弓道をやる上で必要なものなどを幾つか質問をしていたが、弓など部活に必要なものは大体そろっていて特に必要なものもないとわかるとその場で入部を決めていた。

 私は入部者が増えたことに嬉しかったが、特にそれ以上の気持ちはなかった。けれど、入部してからの彼は、弓道でのしきたりや所作の由来や意味についてよく質問するようになって、部長はわかる範囲で質問に答えていたが、私もしきたりや所作の意味に重きを置いて弓をやっているので、橘くんの弓道に対する姿勢には非常に好感が持てた。彼と弓の話をするのがすごく楽しく、私もそれからは更に色々調べては橘くんと情報共有していた。


 ある日、私が弓道を始めたのが幼いころに流鏑馬神事やぶさめしんじを見て憧れたのがきっかけだったというのを話した時、橘くんも是非見てみたいということで、他の部員にも声をかけてみたが部長以外だれも乗ってこず、結局三人で見に行った時があった。

 疾駆する馬上から矢を射って、木立にもうけられた的を立て続けに射落としていく様に目を輝かせる橘くんを見ていると、私も幼いころに感じた興奮を思い出して、帰り道に三人でその日見たことを話しているとき、私もちょっと話に熱が入っていたのを憶えている。


 そんな私たちを友人や部の同僚たちは「仲が良い」だの「橘くんは私に気がある」だのとからかっていたが、橘くんは淡々とした表情と口調で特にそんな素振そぶりもなく、話す内容も弓のことだけにとどまっていたし、私だけではなく部長とも話しているし、流鏑馬神事にも三人で行ったのだから、皆の気のせいだった……と思う。




 時計に目をやると、もうすぐ待ち合わせの時間になるが渡君の姿は見えず、スマホに連絡もない。遅れてくるのはいつものことだから、そのうち来るのだろうと思って店員さんを呼んで、珈琲のお替りとケーキを追加注文した。

 そういえば橘くんは普段から淡々としゃべり、表情もあまり変化がなくて皆からは「感情が乏しい」と言われていたけど、そういうわけではないと分ったのは翌年の春、彼の親戚である真稀まきちゃんが入学してきてからだったと思う。

 真稀ちゃんは幼いころからよく一緒にいる橘くんを兄のように慕っていて、橘くんも真稀ちゃんを妹の様に大切にしていて、傍からはとても仲のいい兄妹に見えた。


 一年生の三学期には橘くんも弓を引く身体が出来てきて、筋肉がついて引き締まった体つきになった。同じころに入部した他の子より群を抜いて実力をつけて上級生に混じって大会にも出場するようになったことや、顔立ちも割と整っていることから女子たちの間でひっそりと話題になっていたのだけど、如何いかんせん感情が分かりにくいことから近づきがたい印象を持たれていて、部員の女子たちもあまり話しかける子がいなかったと思う。


 そんな彼が、真稀ちゃんがちょくちょく彼のところに会いに来るようになると、彼女の明るさに引っ張られているのか感情豊かになり、よく笑うようになったようだ。

 そして近づきがたい印象が消えたのか彼に話しかける女子が増えはじめ、想いを寄せる子が出てきたのもこの頃だったと思う──いや、元々いたけど積極的になって来た、ということかな。かくいう私も、表情豊かな橘くんには、それまで以上に好感を持っていた。

 大変だったのは真稀ちゃんで、橘くんに近づこうとする女子がいると、何かと間に入って牽制けんせいしていたらしい。自分も友達と遊ぶ時間もあるだろうし忙しいだろうに、時間を作っては橘くんと一緒にいるようで、私もよく一緒にいるところを見かけることがあった。

 明るく可愛い真稀ちゃんだから男子たちが放っておくわけもなく、誰かと付き合い始めたといううわさを何度か聞いたけど、どれも長く続かなかったのは橘くんの存在が大きかったんじゃないだろうか。




 店員さんが頼んだケーキと珈琲持ってやって来た。私の前に置かれたケーキと珈琲を見て、高校最後の夏に橘くんと真稀ちゃんと行ったお祭りのことを思い出した。真稀ちゃんとようやく仲良くなれた、とても大切な思い出。




 他の例にもれず──というか、橘くんとよく話をする私はとても油断ならない存在だったみたいで、真稀ちゃんはしょっちゅう弓道部にやって来ていた。いっそ入部しては? と、誰かが言っても頑なに断っていたのは、私と同じ部にいるのが嫌だったのかもしれない。


 夏のある日、いつものように後片付けと戸締りを橘くんが手伝ってくれた。道場と部室の鍵を副部長が職員室に返しに行ってくれて、私は橘くんと、橘くんを待っていた真稀ちゃんと三人で一緒に帰った。

 いつもの光景だったが、この日は違っていた。他愛もない話から期末試験の話題になったとき、将来のことで父と反発していることと、希望する大学に入学するための受験勉強で憂鬱ゆううつだった私は、鬱屈うつくつと一人で勉強するのも嫌だったので図書館で一緒に勉強しようと提案し、橘くんが承諾してくれた時だった。

「私も一緒に勉強する!」

 いままでこっそりにらんでくることはあったけど、あからさまに感情をぶつけてくることがなかった真稀ちゃんの必死さのこもった叫びに驚いた。

橘くんも驚いた顔をしていたがそこは彼らしく、すぐに落ち着きを取り戻して真稀ちゃんも一緒に勉強することに快諾かいだくした。

 しかし、正直わたしは真稀ちゃんが辛くはないかが心配だった。真稀ちゃんと一緒にいるときの橘くんは明るく朗らかでとても魅力的に映り、仲良くふざけ合っている二人を見ていると羨ましくなるほど微笑ましい。

真稀ちゃん自身も天真爛漫でとても愛らしく、私にないものをたくさん持っていて、羨ましく思いながらとても惹かれるものがあって、是非にも仲良くなりたいと思っていた。

 橘くんと一緒にいるのは楽しい。真稀ちゃんとも仲良くなりたい。橘くんと真稀ちゃんが仲良くしているのは微笑ましくてそばで見ていたいと思うけど、私がいることで真稀ちゃんが気持ちを乱されるのは見ていて辛くなる。

 この頃には真稀ちゃんが橘くんに寄せる想いが、兄としてだけではない特別な感情があるのにさすがに気付いていた。当の本人たちは気付いていない様子だったけど──。


 そんなことを考えていたときだった。

「そういえば、そろそろ近所の神社で祭りがあるんですが、先輩、一緒に行きませんか?」

 思いがけず橘くんからお祭りに誘われた。彼の住む地域のお祭りは他県からも観光客がたくさん来るほど有名で、私も家族で何度か行ったことがある。

 男の子からこのように誘われたことがなかった私は、とても嬉しくて思わず承諾したけど、同時に真稀ちゃんのことも気がかりで、彼女をそっと伺い見ると予想通り、愛らしい整った顔立ちから血の気が引いていた。


 でもこのときの私は、橘くんに真稀ちゃんも誘ってはどうか、と言えなかった──。




 口に含む珈琲が思いのほか苦く感じられて顔をしかめる。




 お祭りに行く約束の日、誘ってくれた橘くんにせめて喜んでもらえればと、お祭りの雰囲気を出したいのもあって浴衣を着て行った。真稀ちゃんのことが気がかりだったけど、やはり男の子にお祭りに誘ってもらえたのが何よりうれしかったのだと思う。

待ち合わせた場所に真稀ちゃんも来ていて、橘くんから真稀ちゃんも一緒にと言われた時はすごくホッとした。でも、心のどこかでちょっとがっかりしている自分がいた──。


 お祭りでは色々あったけど、結果的に真稀ちゃんとはその日をきっかけにとても仲良くなれて、一旦別行動した橘くんと合流した喫茶店では、真稀ちゃんが4人掛けのテーブル一杯になるほどスウィーツを頼んで橘くんを呆れさせていたが、真稀ちゃんと私で半分こしながらそれらのスウィーツをすべて平らげたときには橘くんをさらに呆れさせ、別の生き物でも見るように私たちを見ていたのが可笑しかった。

 帰り際に金額をみて怒る橘くんと、あっけらかんとして悪びれる様子のない真稀ちゃんを見て、笑いながら私も半分お金を出させてもらった。橘くんは慌てて断ったけど、それで私は兄弟の一人に迎え入れてもらいたかったのだ──。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 思い出に浸っていると、店内に渡君が姿を見せたので手を振って彼を呼んだ。

「おぅ、おまたせ」

 短くカットした金に近い茶色の髪と男らしい精悍な顔立ち。180cmと身長も高く、明るく自信に満ち溢れた雰囲気。カジュアルで清潔感のある装いでスタイルもいいから結構モテるらしい。渡君とは同じ学部で、飲み会の時に知り合った。

 ちらりと時計を見ると11時。約束から40分経っているけど、適当な言い訳を聞くのもいい加減ウンザリなので何も言わないことにしている。

「ううん。先に食べてた」

「なんだよ……ま、いいけどな」

 渡君は不満げにぼやきながら向かいの席に座り、注文を聞きに来た店員さんに珈琲を頼む。


 そっと小さくため息を吐いた。見てくれも明るい性格も好感が持てるだろう。周囲に気配りが出来て、私のことも大切にしてくれているらしい。

 最初のうちは時間もきっちり守るし、私のことにあれこれ配慮してくれていた感じはあったけど、何度か寝るようになってからは、だんだんいい加減さが目に付くようになった。

 今でも頼めばいろいろやってくれるけど、その度に恩着せがまし物言いはやめて欲しい。あと、自分が都合が悪いときは何も言わないのに、私が都合がつかなくて断ったら、こちらが謝るまで数日は機嫌が悪くなる。

 友人たちに不満を打ち明けると「勿体ない」とか「そんなことで」という言葉が返ってくるので、最近は友人たちにも不満を漏らすこともなくなった。唯一、真稀ちゃんだけが憤慨してたっけ……。


「これ飲んだら花見行こうぜ」

「うん」

 もう少しゆっくりすればいいのに……。窓の外を見ると群衆で桜の木は上の方しか見えなくなっていた。ここからは桜を見づらくなったけど、外も人の波で落ち着いて桜をめでることが出来なくなっている。

 それから珈琲を飲みながら、彼が昨日見たバラエティ番組の話や知人の失敗話を面白おかしく話すのを、退屈なのを顔に出さず相槌を打っていた。


 最近は橘くんたちのことが頻繁に頭に浮かぶようになった。真稀ちゃんは今でも連絡を取っているけどあまり会わなくなった。大学は同じだけど、学舎が違うところにあって中々会えないせいもあると思う。

 橘くんは同じ大学でサークルも同じだけど、顔を合わせても淡々とした話し方をする。まるで高校の時、真稀ちゃんが入学する前の時に戻ったように──。

 橘くんのことだから私に彼氏が出来たことで気を遣っているのだろう。以前、サークルの新入生勧誘の時に橘くんと再会して、嬉しくなって話がはずんでいるところに渡君が来て、これ見よがしに彼氏であることをアピールしていた。でも、橘くんに詫びるように苦笑しながらも、渡君のなすがままになっていた私も悪いのだ。


 あの時も桜が咲く季節だったな……


 思えば、橘くんとの関係の変化の節目は桜の季節だった。初めて出会った桜の並木道がある川辺、弓道部の見学会、真稀ちゃんの高校入学、そしてサークル勧誘の日……。

 以前、真稀ちゃんがSNSで送って来た写真を思い出して胸がチクリと痛んだ。画像はシンプルな人の形に切り取った白い紙のアップだった。そして画像と一緒に「悠ちゃんの分身ゲット!」というメッセージが添えられていた。訳が分からず意味を聞くと、送り雛で形代を川に流そうとしたところを奪い取ったのだそうだ。


 その日はちょうど私の高校卒業式の日。橘くんと二人きりで会って、お別れを言った日──


厄を形代にうつして川に流す送り雛──。彼は何を思って雛を流そうとしたのだろう……


 あの時、彼がもっとはっきりと気持ちを打ち明けてくれたら、お別れを言わなくて済んだのだろうか。


 あの時、私がほんの一握りの勇気を出して一歩踏み出し、躊躇ためらう橘くんの手を取っていれば、彼も気持ちを伝えやすくなったのだろうか──。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「んじゃ、そろそろ行くか」

「……うん」

 珈琲を飲み終わるなり彼は立ち上がり、遅れて私も立ち上がる。レジで財布を出す彼の手を止めて自分で代金を払った。


 公園は桜が満開で、天気も良く気候も暖かいことからすごい人だかりだった。渡君は私が付いてきていることを確かめることなく、自信に満ちた様子で先を歩き、私ははぐれないよう気をつけながら群衆に消えそうな彼の後を追った。


 桜の季節が節目、か……。


 彼の後を追う歩みが止まる。離れていく彼の背中を見つめながら、私の中である気持ちが芽生えた──いや、強さを増して、一つの決意をさせる。どこか晴れやかな気分で私は渡君とは違う方向に歩き出した。


 今朝、橘くんと真稀ちゃんとまた一緒になれますようにと神様に祈ったばかりだけど、もう一つお願いを聞いてくれるだろうか。そのようなことを考えながら、少し先にある金毘羅さんと河原に向かうのだった。


最後の文章は本編につながる、いわばオマケなので気になさらないでください


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


創作の活力になりますので、宜しければご意見・ご感想など頂けるととても嬉しいです。

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