本宮衣咲ーその1ー
私が初めてその人に出逢ったのは二年前の、今日みたいな春風が吹き始めた頃だったと思う。
まだ大阪の美大生だった私はいつものように、一人で堀江という街を歩いていた。今もそこを目指し歩いている。
そこにお気に入りの本屋さんがある。まだあるかは定かではないが。
週に一回はそこに行き、外国の絵本を買っていた。
私は絵本作家になることを夢見ている。
私は毎日京都駅から大阪の難波駅まで電車通学していた。そこから三十分ほど歩いたところに美大はある。美大に行くにはいくつかのルートがあり、初めは一番近いルートを歩いていたけれど、知らない道を歩くのが好きな私は好奇心に刈られ半年が過ぎた頃から毎日色々なルートを歩いてみた。
時には遠回りをしすぎて遅刻しかけたこともある。
そうして毎日違う道を歩いている時に偶然通りかかったのがその堀江の街である。
堀江公園という名の広場を中心に大阪とは思えないほど落ち着いた、簡単に行ってしまえばオシャレな街だ。
歩いてる人々、そこにある店の雰囲気、全てが大阪のイメージとは違っている。
その街のメインストリートを散策していた時にそのお気に入りの本屋さんに出逢ったのだ。
店内はアンティークな家具や小物で揃えられてた。照明からはオレンジ色の光が灯され、温かい雰囲気を醸し出している。
置いてある本の数は多くないが、他の本屋にはない本ばかりが私を楽しくさせてくれる。
主にヨーロッパのインテリアや芸術、街並みなどが載っているものがセレクトされていた。
店内の一番奥にあたる場所に私が求めている絵本のコーナーはある。
その日はスウェーデンの絵本を手にレジに向かった。
「1050円になります」
いつも愛想がよく、笑顔が素敵な同年代と思われる女性がレジを担当してくれる。
「これで」
と2000円を彼女に渡すと
「いつも絵本を買ってくださいますよね?私も絵本大好きなんですよ。
この近くにも少しですが珍しい絵本を置いている店があるんですよ。古着屋なんですけどね」
あまりに急だったので
「そうなんですか…」
としか返すことができなかった。
向こうもこちらの反応がよくないと思ったのだろう。
「あ、ありがとうございました」
いつもと違いかなりきごちなかった。
人と話すことが得意ではなかった私はこういった経験がよくあった。
本当はすごく気になってすぐにでもその古着屋に行きたいのに素直に場所を聞けない私。
情けない気分になり足早に店から出た。今思い出しても情けない気持ちになる。
家路につこうと思うが古着屋の話が気になって仕方なくなった私は、近くというヒントだけを頼りに探してみることにした。
幸いにも古着屋がたくさんある場所ではないので古着屋が見つかればそこだろう。
メインストリートから少し外れた堀江公園沿いの道を帰りの道とは反対の方に歩いてみることにした。
闇雲に探すよりは真っ直ぐ一本ずつ道を歩いて探す確実な作戦を立てた。実に自分らしい考えだと思う。
その日は血液型占いが1位だったおかげか最初の道で目的の店を見つけることができた。
店の横を通るだけで店内を埋め尽くすかのような服の山が目に入り、看板を見ると古着屋と書かれている。
少しだけ中を覗いてみるとジーンズ専用と思われる棚の上に、懐かしいキャラクターの雑貨や何かの本が並べられているのがわかった。
古着屋に入ったことがなかった私が店に入るには結構な勇気が必要だった。
なかなか入れずに店を眺めていた私に優しく声をかけてくれた人こそ、今から久しぶりに逢いに行くこの古着屋の店長だ。
「何か気になるものでもあったかい?」
それが店長の第一声だった。
「いえ、あの、そのですね。えっと」
また私の悪い癖が出てしまった。
「せっかく立ち止まってくれたんだ。中に入って古着達や雑貨達を見てやってよ」
こんなに温かい言葉に対しても
「少しなら」
と意味のわからない強がりしか言えない自分に嫌気がさした。
「ありがとう。さっ中へどうぞ」
店長は、にこやかな表情を変えることなく私を中へ招き入れた。
店内に入るとまず今まで嗅いだことない匂いがした。私が鼻をくんくんさせていたのかわからないがそれを察した店長が
「古着の匂いだよ。女性にはどうかわからんが私はこの匂いで安心できるんだ」と満面の笑みを見せた。
「すごく独特な匂いですね。でも確かになんだか落ち着きます。イメージですがなんだかおじいちゃんの家って感じがします」
「おじいちゃんかぁ…嬉しいねそう言ってもらえるのも。まぁゆっくりみてやってね」
と奥のカウンターに戻って行った。
それを聞いて私は気がついた。
こんなにも早く初対面の人と普通に話ができたのは初めてだということを。
少し恥ずかしくなりながら雑貨や本がある棚を見る。外から見るよりも雑貨と本のどちらも数が多かった。
本はビートルズ関連のものがほとんどだった。その中に埋もれるようにして一冊のカラフルな本が呼んでいるように感じた。
手に取った瞬間に何かが心に引っ掛かった。
その本には『絵本の書き方』とタイトルがつけられていた。
本を開くとたった一行の言葉が目に入る。
『絵本を誰のために書きますか?』
その13文字の言葉に私は心奪われ固まってしまった。
「どうしたんだい?」
店長の言葉で私はようやく我に帰った。
「何か思い詰めていたようだけど大丈夫かい?」
優しい言葉を耳にし、私の頬には一筋の涙が流れた。
店長になら私の悩みを打ち明けられる。
「少し、ほんの少しでいいんです。話を聞いてもらえませんか?」
「私で良ければいくらでも話を聞くよ。ちょうど店を締めるところだったからね」
「ありがとうございます」
私はそれから二時間も店長に話を聞いてもらった。
絵本を書きたいと思ったのは小さな頃から絵本が大好きだという理由だけだった。
そんな理由でも人よりは真面目に学んでいたつもりだ。
それがこの数ヵ月なにも書けなくなっていたのである。
原因は先ほどの一行が全てを示している。
それをわかっていながら自分の中で受け入れられずにいた。
だからあの一行と向かい合った時に動けなくなってしまったのだ。
そんな話をおじいちゃんは相づちをうちながら真剣に聞いてくれた。
私が話終えるとたった一言「自分のために書くのはどうだろう?」
「自分のために?」
私は無意識に聞き返す。
「その本にもそういうことが書いてあるんだよ。自分の世界を広げてそれを見たまま聞いたままに絵をつけて書く。それを見た人がどう思うかを考えて書く必要はないんだってさ」
「自分の世界を広げる……ですか。なんだか難しいですね」
「君はまだまだ若い。少しでも興味があることや気になることがあれば色々行動を起こすことだよ。そうすれば自分の世界は知らないうちに広がっていくよ」
「行動する……ですか」
私はしばらく考え込んでしまった。
「何かに興味があるんだね。でも行動に起こすのが難しいことなのかい?」
断定する言い方だった。
この人にはなんでもわかってしまうんだなと感じた私は
「海外の……日本と違う文化に触れてみたいんですが、不安なんです。一人で行くことがではないんです。悲しい現実を見たりすることもあると思うんです。それを受け入れてまたいつものように暮らせるか不安なんです」
私は偽善者と思われるのが嫌でこのことを誰にも言えずにいた。
「君は本当に優しい子だね。心が綺麗だ。君にしかできないことが必ずあるはずだよ。悲しい現実を見てそこから何かを感じ取って絵本を書けばいいんじゃないかい?それでその人達に自分ができることをして恩返しすればいいんだ。なんだっていいんだよ。何よりもそこに心があるかが大事なんだよ」
こんなに真剣に話を聞いてくれるだけでなく、涙目になりながら答えてくれた店長が私には天使のように見えた。
「私、行動してみます。自分の足で色んなものを探します。そして納得のいく絵本が書けたら……一番に見てもらえますか?」
「私でいいなら喜んで読ませていただくよ。その本は君が持っていてくれないか?それを約束のしるしにしよう」
そうして『絵本の書き方』を受け取ったのである。
美大を卒業した私はバイトで貯めたお金でアジアの国々を回った。
そこで貧富の差や難病に苦しむ人々を目の当たりにした。
私にできることは絵を書くことしかない。
それ以外は思い付かなかった。
それでも店長の言う通り、心を込めて一枚一枚書いた絵をみんな嬉しそうに受け取ってくれた。
そうしたみんなの笑顔に支えられてようやく一冊の絵本を書き終えたのである。
そして私は古着屋を目指し堀江の街まで来た。
古着屋がある道まで来て真っ直ぐ向かっていると道の真ん中で呆然と立つ男性の姿が異様に目に止まった。
この出逢いが運命的なものだと知らずに私は彼に近づいていく。