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僕を創るモノ  作者: 仲田憂城
9/13

No.9 戯言或いは。

 二〇二〇年六月一四日、陽は今に眠らんとして居る。スーパーから出た九条照子(しょうこ)は食材に湛えられたビニル袋を両手から提げ、戸を抜けた処であった。オーバーサイズな白シャツから伸びた両腕は病的な程に白く又細く、字面通り荷が重いと言った処だろうか。其の重さにつられて肩も下がっているようにすら思える。丁度スーパーに入らんとする沢城悕攺(きい)も此れを案じ、声を掛けるか思案した挙句彼女の横を過ぎてスーパーへ入っていった。此の時擦違った紺のパーカーにジーンズを履いたきのこ頭の男、其の目は深淵より昏く、震えて居た。何だ此の男はと沢城は僅かに道を逸らして距離を取り青果の商品棚迄来た其の時、悲鳴が上がる。振り返り見える烏合の衆を掻き分け中心へ走り、顔を覗かせる。女が赤く染まった衣を纏い地に伏せて居る。此の女性は好機の目に晒され、包囲されて居乍ら、然し犯人と思わしきパーカーの男が走り去らんとする道からはみるみる人が離れていく。堪らず人の壁に突進し彼女に駆け寄り、沢城は肩を揺らした。

「大丈夫ですかっ。」

大丈夫なわけがあるか。彼女は此の時其れを判って居乍ら然し其れ以外に適した言葉が浮かばなかった。幾度の呼びかけに応える様に、微かに唇より空気が漏れる。傷は——血みどろで詳細が判らないが——腹部に縦に二箇所、胸部は肋骨を掻い潜る様に歯を横に倒して刺されている。沢城はスーツの胸ポケットから携帯を取り出し救急を掛ける。

「——救急です……漣市高波のウェルビーの入口で、はい、人が刺されて倒れてます。四〇代くらいの女性です、微かに息が有ります……ええ、彼女ひとり——」

ふと、辺りを見回す。他に傷病者が居ないか、其の確認の心算だったが、然し首を回す前に、数多の電子音によって其の意図が豹変する。皆、其の手には携帯を持って居る。だが誰も其れを耳にあてがっては居ない。——クソっ、其れは司法に渡るんだろうな?——伝え終えて携帯を胸にしまい、ジャケットを脱ぐ。アスファルトに敷いて、九条照子(しょうこ)の胴の下へ手を回す。持ち上げんと力を入れるが上手くいかない。

「誰か手を貸して下さい!此の方を仰向けにして気道を確保させたい。」

此の時、改めて映る群衆の景色は、鮮やかに浮世を描いて居た。多くは我関せずと其の場を通り過ぎ、立ち止まる者も男は躊躇い、女は手机を携える。軈て——といっても僅か数秒だが——太った学生服の男がスーバーより出て来て、買い物袋を投げ捨て慌てて彼女のもとに駆け寄った。角刈りの彼は其の大きな図体を屈めて沢城に問う。

「何か手伝えることは有りませんか。」

「此の人を敷いてあるジャケットの上に仰向けに寝かせたい、胴は私が持つので、彼女に負担がかからないよう下半身を持って頂けませんか。」

「勿論です。」

「持ち上げますよ——」

軀は先よりも大分容易く持ち上がり、直ぐに彼女を仰向けにする事が出来た。再び安否をるべく沢城は声を掛ける。

「——もう大丈夫、救急も呼びました。直ぐに助かりますから。」

耳を澄ます。軈て沢城は息を吐いて九条照子(しょうこ)から手を離し、立ち上がった。黄昏が彼女の黒髪を焦がす。

「少年、いいよ。暫く近くで休んでよう。」

両手を眼前に広げる。赤く染った掌はすっかり乾いて居た。次第に脳が明朗に成り、血液を素肌で触ったことに不安が芽生え始める。

「血は触ってないよね。」

「はい。」

「良かった。」

ぐるりと周りを見回す。未だ記録は続いて居る。なんだ、此れではまるでわぁたしがやったみたいじゃないか。屈んだ少年に目を遣り、言った。

「あとは警察の仕事だ。帰るんじゃないぞ。」

救急車のサイレンは、直ぐ其処迄迫って居た。


 一部始終を話し終えた沢城悕攺(きい)は依然毅然として居た。唯違うのは、不意に両の手を見てからずっと視線を上げないことで在った。

「あの時の彼の——假亥(かりがい)(さとる)の形相は、茶化しに聞こえるかもしれないが——嬉々とした般若の様だった。然し、法廷に現れた假亥(かりがい)(さとる)はまるで違う。どこか野暮ったい、内気な少年だった。確信したよ。あれは、“わぁたしが見た男”じゃない。」

「戯言だわ。下らない。何の根拠が有ってそんなことを。」

「根拠は先述した通りだ。単なるインプレッションじゃないかと駁してもらっても構わない。」

「ええそうさせて貰うわ——」

「——ただし、」

顔を上げて、立ち上がる。九条さんと目を合わせてテーブルに歩み寄った。

「もう少し聞いて呉。」

「私を納得させる材料があるの?」

「生憎だが。」

「ならば聞く必要はないわね。」

「わぁたしが持っているのは考察の材料だ。厭、正確には其れを持って居るのは君達だ。凛ちゃんに春香くん。此れから私が示すのは、視点だ。」

不貞腐れた様に、肘をつく九条さん。

「気が変わらない内に簡潔に、且つ丁寧に行こう。凛ちゃん、去年の五月のことについて話してくれたね。漣高校で在った出来事を。気を失って、目が覚めると全く別のところに居たという。」

「ええ、教室に居たのだけれど、気付いたら校門の前に転がって居た。」

假亥(かりがい)(さとる)の証言と君とは、無意識に移動して居たという点で一致するんだ。——凛ちゃん、春香くん。わぁたしは、他人の身体を乗っ取る能力を持つ者の存在を疑って居る。」

「何をッ——……。」

語気を荒らげ立ち上がり、然し即座に腰をつく。<(うつわ)>さえ無ければ、こんなにも突飛な考察は成されなかった。彼女は其れを知って居る。

「君の母を殺した其の犯人は、未だ此の世を闊歩して居るかもしれない。其れをドナートさんと、そして君達に伝えたかった——」


 帰路を辿る車内では、未だかのディスクが流れ続ける。僕は流れゆく住宅街を、何の目的も無く眺めて居た。

「いやァ、とんでもない家族だった。春香くんもそう思うよね。」

「其れは九条家のことですか。」

「他に誰が。わぁたしに視線を呉たろう。」

「あぁ。だって、まるで家族の死を何とも思って居ないような。」

「そう見えるよねぇ。葬式では親子して泣き崩れたのを垣間見たんだけれどなぁ。」

「葬式に呼ばれたんですか。」

「いや、覗いたの。」

「暇なんですか。」

「言うねぇ。勿論暇さ。——兎角に、あの光景は異常だ。君の感性は正しい。けれど其れを彼らは乗り越えた。喜怒哀楽の閾値が上がって了ったんだ。」

「其れは良い風に聞こえますが。」

「勿論いい事でもある。ある程度はね。けど人の死に慣れるというのは……どうだか、わぁたしは芳しく思わないなぁ。」

「そうですね。」

「そうなると、人は彼らに対して『壊れて居る』と表現するだろう。けど、わぁたしは其れとは少し違った印象を彼らから受ける。あれは一種の陶酔だ。アルコールを摂ると擦り傷に気付かなく成る様に、彼女らも、事件のせいでこころの痛みに気付けなく成って居るのだと、私は思う。一言で表すと『()まって居る』って処かな。表現を『壊れて居る』に寄せるなら、部品が欠けたって言うよりは、異物が挟まって歯車が止まったって方が正しいかな。そして其の異物は、いつか、力に耐え兼ねて弾ける。——さて着いたぞ。」

長話は僕等を最神邸へと導いた。停止とともに、徐に、且つひとりでに助手席側のドアが開き、僕は車を下りる。

「付添人と、其れと、送って頂き有難うございます。」

僕は一礼し、彼女に背を向けた。応答する彼女の声に立ち止まり振り返る。

「礼儀の良い子は好きだ。でも生意気なのはもっと好きだ。春香くん、最後に無礼を承知で問い掛けておこう。」

「——何です。」

「君の母さんは今、どうしてる。」


「ただいま。」

「御帰り。」

父は平常と違って玄関の前に立って居た。然し平常通り僕に答えた。下を僅かに見て、廊下に灯った蛍光灯を仰ぎ、靴を脱いで二歩踏みこむ。

「沙耶は、どうしてる。」

「未だ病院だ。予定より早く傷が治ったから、明日戻ってくるとは言われて居るけれどな。」

「それは良かった。」

「啻、事件の所為で酷く窶れて居る。其の件について、お前からも触れないようにして呉。」

「勿論。」

「飯にしよう。今日と明日は代打で私がやる。今日はローストビーフを買ってきた。」

態とらしく肩を揺らして居間へ入る。僕も父も、皆傷を負ったのに、其れに目を瞑って明日を過ごそうとして居る。現から、逃れようとして居る。でも、尋常の家庭は此れで良いのかもしれない。啻果たして此れは酩酊か、或いは。


 ——其の夜、九条凛はかのコンテナヤードへ足を運んで居た。打ち付ける波を見下ろし、塀に腰掛ける。下した足から流れた潮風は腿を突き抜け其の銀髪を靡かせた。

「何が見える。」

「何も見えないわ。此の町では、何も。」

「面白いのか。」

「貴方の行動理念は面白さ唯一つかしら。違う筈よ。——此れからのことを、考えて居たの。」

「此れから。一体何がある。」

「私たちの抱えてきたものが、解けるかもしれない。」

「どういうことだ。」

「今日、私の——まあ、弁護をして呉た人と会ったの。私の父と彼女とは、母の事件を通じた知り合いだった。其の体験と、私が彼女に話したこととを絡めて、精神を乗っ取る能力者の存在を示唆した。——そうであったらどれだけ良いか、然し其れは責任転嫁だと否定してきたけれど、全くの他人に言われるとこうも自信の持てるものなのね。」

「其れは詰まり——」

「ええ。其の為にも。私達は今一度マリオネットと向き合わなくてはならない。規則的に出現して居た三週間前迄の情報と、其れ以降の貴方が持って居る情報とを照らし合わせて、敵の正体を突き止める。」

「そんなことが出来るのか。」

「何を。やって見せるのよ。貴方も同じ気持ちでしょう。去年の五月から募らせた思いと、此の三週間の孤軍奮闘、無駄にしたくない筈よ。ねえ、」

両の手でコンクリートを叩くことで其の細い身体は宙を舞う。風の音と共に静かに地に立ち男の方を向き、目を開いた。

「——武藤くん。」

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