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研究所のとある広間に統括者3名と研究員たちが集まり豪華な食事が並べられたテーブルについていた。
プロジェクトの発足から約一年。
先日漸く知性を持ったキメラを完成させたということで本日は酒宴を開くことになったのだ。
完成したコウモリキメラは現在冷凍庫にて眠らせたまま保存されている。
奥の座席に座った白髪の老人がグラス片手に立ち上がり乾杯の音頭をとる。
「乾杯‼︎ 我が狭間研究所に栄光あれ‼︎ この研究は世界を席巻するぞ‼︎ この狭間正介と狭間財閥が世界の覇権を握るのだ‼︎ ガッハッハッハッハッ‼︎」
上機嫌の狭間正介は豪快に笑い、グラスのワインを一気に飲み干した。
坪倉は浮き足立つ狭間を嗜めるように厳かに口を開いた。
「狭間オーナー、研究はこの1年を通して987例中、漸く1例が成功を収めたに過ぎません。
我々の研究はこれからですよ」
渋面を浮かべながら狭間は坪倉の意見に頷いた。
「うむ、まあそうだな」
高遠は眼鏡の奥を光らせ、そんな坪倉を訝しげに見つめる。
「どうしました? 坪倉先生? 浮かない顔ですね」
坪倉は研究員たちを見回し意を決して重々しく口を開いた。
「……こんな化け物を作っていったいどうする気だね? 君たちの目的は医療の躍進などという高尚なものではあるまい。もはや私の目は誤魔化せんぞ」
覚悟の進言である。
坪倉は彼らの返答如何では本日研究所を辞めるつもりでいた。
しけし、高遠も狭間もそんな坪倉の熱意に関わらず馬鹿にしたように肩をすくめるばかりであった。
「おやおや、今日は怖いですね坪倉先生」
「ふう、水差し名人じゃの君は」
そうして高遠は微笑みを浮かべじっと坪倉の目を見つめ返した。
「ええ、あなたの仰る通り我々の研究目的は医療だけではありません。人間に動物の因子を取り込んだキメラは驚異的な身体能力と元となった生物の特性を得る……
分かりますか? 先生?
彼らは強力な軍事兵器となり得るのです!
キメラを使えば世界をひっくり返すことも不可能では無い!」
……それは驚くべき告白であった
一応の予測はしていたとはいえ、坪倉は衝撃を受け、また狭間や研究員たちを見回す。
高遠のとんでもない告知に関わらず全員が酒を飲み黙々と食事を口にする。
知らないのは坪倉のみであったのか……
呆然とする坪倉の側にいつの間にか黒袴の狭間が笑顔で立っていた。
そしておもむろに机の上に封筒に入った文書を置いた。
「……!」
それは先般この研究所の危険性を察知した坪倉が警察や政府機関に送ったこの研究所の違法性を書き並べた文書であった。
きっ、と睨み返す坪倉に狭間は何気ない様子で手を差し伸べる。
「さあこの狭間の手を取れい! 坪倉よ! 貴様が始めた実験じゃろうが? 今さら止めるなどとは言わせんぞ?」
ふと背後に迫る影に気付き坪倉は振り返る。
研究員たちの何名かが手に銃を持ち銃口を坪倉に向けていた。
狭間は笑う。
「……今この場で頷けば警察関係への貴様の告発文書は不問に処してやろう
無駄じゃぞ? 我が狭間財閥の情報網は政府機関にも伸びておる。危ないところだったが貴様の告発文書はまだ誰の目にも触れてはおらぬ」
坪倉の告発文書は誰の手にも届かなかったわけだ。
睨み返し坪倉は椅子から立ち上がる。
「…….高遠浩介 ……狭間正介
お前らは間違っている‼︎ いや狂っている‼︎
世界を制するだと? キメラを使ってテロでも起こす気か?
いや、そもそもこの研究所と実験自体が犯罪だ‼︎ 今すぐこんなことはやめるんだ‼︎」
狭間と高遠はふう、と息を吐き呆れた目で坪倉を見つめ返した。
「……やれやれ」
「残念ですよ、坪倉先生。我々は同志であると思っていました。あなたは時折反発するような目を向けていましたがいずれ我々の志を理解してくれるものだと信じていましたよ。何故ならあなたもこちら側の人間だ」
拳を握りしめ坪倉は叫んだ。
「……違う‼︎ 私はお前たちとは違う! このキメラ手術に嫌悪感を抱きながらも私は医療の発展の為ならばと歯を食いしばり耐えてきた! だと言うのにお前たちはキメラを軍事転用するという! そんなことは認められない……‼︎」
高遠は表情の消えた笑みで立ち上がり懐から拳銃を取り出した。
「やれやれ、もはや話し合いも出来ないようですね。さようなら、坪倉先生。貴方の研究は我々の野望の糧となりました。大いに感謝してますよ」
そして引き金を引くとともに鈍い音が部屋へと響く。
「……グッ! ……うぅっ‼︎ 高遠……!」
撃たれた腕を押さえながら坪倉は駆け出し、廊下へと逃げ出す。
狭間は杖を振り上げ叫んだ。
「クソッ! 逃げたぞ‼︎ 高遠くん! 早く坪倉を殺せ‼︎」
「……わかってますよ、狭間様。お前たち、武装して坪倉先生を撃ち殺せ」
そうして研究員たちは一斉に立ち上がり銃を手にする。
「「「はっ‼︎」」」
暗い廊下を駆ける坪倉は痛む腕を押さえながら先を急いでいた。
警報が鳴り響き、背後からは追跡の足音が聞こえる。
シャッターにより次々と逃走経路を塞がれているようだ。
「グッ……! くそっ! これまでか……」
坪倉が観念したその時だった。
こちらに近づくエンジン音と共にシャッターが轟音と共に破られる。
濛々と立ち込める煙の中から現れたのはバイクに乗りヘルメットで顔を隠した何者かであった。
「ドクターツボクラ! こちらへ‼︎」
「……きみは」
「早くこちらへ! 後部座席に乗ってください‼」
少女らしき声が坪倉を急かし、その手を引っ張る。
それは聴き慣れた声であった。
迷っている暇はない。
バイクが入れるほどの広い廊下を2人は駆け抜けた。
後一歩のところまで追い詰めていた研究員たちは彼らの後ろ姿を歯噛みして睨む。
「おのれっ‼︎ なんだあいつは⁉︎ 逃すな! 坪倉とあの侵入者を生かして帰すな‼︎」
研究所の特殊な廊下をバイクで全力で駆け抜け、漸く出口の明かりが見えてきた。
坪倉は少女の腰に掴まりながら問いかける。
「……きみは 莉里……なのか?」
抑揚のない声で少女は答えた。
「正確にはあなたの姪である坪倉莉里を素体とした自律型アンドロイド・リリアです。そうインプットしたのはドクター、あなたですよ」
アンドロイド・リリア……
先日、坪倉が最新理論を応用し姪である莉里に施した外科手術は彼女をアンドロイドへと変貌させた。
術後、尚も莉里が素体となったリリアは動かず坪倉家地下で眠っていた。
最新のAIを脳に組み込む事により莉里という人格は失われてしまったが、リリアはこうして坪倉の危機へと駆けつけたのであった。
「……そうだったな リリア、私をここから逃がしてくれるか?」
「もちろんです、ドクター。
私はその為に来ました。
しっかりつかまっててください」
「……ああ」
そうして坪倉の改造した特殊なバイクは研究所の扉から外へ出ると共に飛び上がる。
追っていた研究員たちは驚いて空を見上げた。
「な、なんだぁ⁈ あのバイクはぁ⁉︎」
「宙を飛びやがった……‼︎」
共に追ってきた高遠は研究員に運ばせた檻を開けるとそのキメラに命令を下した。
「いや…… こちらにはキメラがいる! バットキメラよ! やれ! 坪倉先生とあの娘を殺せ‼︎」
「キキイ!」
バットキメラは奇声と共に飛び上がると空を飛ぶ2人へと迫る。
リリアはチラと後ろを振り向いて坪倉にいった。
「コウモリのキメラが来ます! ドクター! できるだけ伏せてください」
「……奴はアブラコウモリの因子を人体に組み込まれたキメラだ
2メートルのハイイログマを怪力と爪で殺害する程の化け物だぞ……
交戦は無理だ…….!」
「お任せ下さい、ドクター。コウモリですね? 逃げ切ることなら出来ます」
そしてあえてスピードを落としバットキメラにせりかけると、リリアは懐から妙な形状の銃を取り出した。
「アッ‼︎ ブァァァァァ⁉︎」
リリアは坪倉の開発した熱線銃を放つ。
赤いレーザーを発射しコウモリの翼を焼いた。
バットキメラは悲鳴を上げ地へと落ちていく。
リリアは再びアクセルを踏み込むと坪倉をチラッと見遣った。
「さて、最高速で逃走します。しっかりつかまってくださいドクター」
「……わかった」
2人を逃した研究員たちを叱責しながら狭間は杖を振り上げ怒る。
「クソッ‼︎ 逃したわ‼︎ ええい! 追え! 追え! 奴を逃がすと厄介じゃぞ‼︎」
そんな狭間を嗜めるように高遠は余裕の笑みで穏やかに語りかけた。
「……まあまあ 狭間さま、そう慌てなくてもいいのではないですか? 奴はもはや我々の後ろ盾を失った。何の力もない1人の男などいずれ人海戦術で捕まえてみせますよ」
「ううむ、そうならば良いのだが……」
空の上を走り遠ざかるバイクを彼らは見つめ続けた。