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狭間研究所の手術室の台には人間である被験体が載せられ、術着とマスクをつけた坪倉と研究員数名が一言も発さずに術式の準備をする。
……今より禁忌の手術が開始されようとしていた
坪倉が被験体の前に立ち手袋をはめた両手を前にかざすと沈黙を破る。
「これよりキメラ手術を始める。カラスの因子を被験体F12番の脳と脊髄に移植。ぺアンとメスをここに」
「「「はいっ‼︎」」」
研究員たちは一斉にその言葉に返事する。
流れるような手捌きで坪倉は被験体の頭部にメスを入れ、その内部を明らかにしていく。
吹き出す血を機械により研究員に処理させ、黙々と凄まじい集中力で坪倉は被験体を刻んでいった。
被験体をほぼ真っ二つに割ると大脳を取り出し更に二つに割り、脊髄と脳幹を取り出す。
脊髄に更にメスを入れるとカラスの因子を結合させた。
術式が終わり意識の戻らない被験体をじっと観察し続ける研究員の1人が静かな声で報告を続ける。
「被験体F12番、バイタル安定しません。体温低下。アドレナリンを投与しますか?」
「待て。F12番にはS71ブラチオを投与。以後経過を報告せよ」
「「「はい‼︎」」」
坪倉晋太郎は大いに葛藤したが結局、狭間研究所に残る道を選んだ。
医学の発展のため、ひいては眠り続ける姪の莉里の為と自分に言い聞かせそれから数えきれない程のキメラ手術を行った。
次々と行われるキメラ手術による被験体の変化や反応は様々だった。
「B45番の大脳に器質的変化が見られます。他にも死亡前の脳波にも異常が……」
「よし、私自ら解剖しよう」
「L69番の右手に器質的変化! まるで蜘蛛のような形状に変化しています! これはすごいですよ! 先生!」
「……ふむ しかし因子を受け入れた者は例外なく死亡してしまうな」
数十体ほどの手術を行い、データを取ると次々と術式の内容を最適化していく。
しかし、キメラ手術を受けた被験体は例外なく死亡するのが常であり、長いものでも10時間生きられればいい方であった。
ある日、久々に自宅に帰った坪倉は地下室の莉里に問いかける。
坪倉は改めて狭間研究所での日々を思い返し、己の悪魔の所業とその日常に慣れ始めた自分に恐怖する。
「……兄さん ……莉里 私は自分が恐ろしい…… あなた達の為と言いながら私は結局は自分の理論を実践する場を探していただけなのだ……
日に日に人体を切り開きあのような悍ましい実験を繰り返す事に慣れるどころか楽しさまで覚えてしまっている……!
私は悪魔に魂を売ってしまったのだ……‼︎」
そうして坪倉が狭間研究所で実験を始めて一年ほどが過ぎた頃だった。
術式を終えた被験体の一体に今までにない変化が生じた。
「坪倉所長! 高遠室長! 来てください! 被験体O43番に今までにない著しい変容が‼︎」
「何だと⁉︎ 見せてみろ‼︎」
特に興奮し、駆け寄るように被験体の安置されている隔離室を覗き込んだのは高遠であった。
モニターにアップで映しだされる被験体のパーツを一つ一つ見ながら高遠は眼鏡の奥に怪しい光を宿し笑みを浮かべた。
その被験体の顔は全体にうっすらと毛が生え、その腕や足もコウモリのような形質変化を見せていた。
隔離された実験室で被験体は手術台から降りてフラフラと歩き始めるとカメラに向かって何かを喚き始めた。
高遠はニンマリと笑みを浮かべ満足そうに笑い声を上げた。
「コウモリの形質を受け継ぎ、どうやら人間の知性も残っているようだ……!
……素晴らしい‼︎ 早速闘争実験を始めたまえ‼︎」
闘争実験……
被験体を別の動物と戦わせようという高遠の提案に坪倉は慌てて反対の意を唱えた。
「待ちたまえ‼︎ 高遠くん! あの被験体が食われたらどうする⁉︎ 機を待つべきだ!」
しかし、余裕の笑みを浮かべ肩をすくめた高遠はその申し出を退ける。
「機とは何です? 坪倉先生。このキメラ手術はね、手技を施せばすぐにその身体を動かし人類の身体能力を超える。そう言う類のものでなくてはならないのですよ。
それに心配しなくても相手の熊の頭には爆弾を仕込んでありますので貴重な実験体を失うことはありません」
「……高遠 お前……」
唖然とする坪倉を余所に高遠は研究員たちに指示を飛ばす。
「さあ、やれ‼︎」
「了解しました」
やがて実験室の扉が自動で開き、四本足の肉食獣が唸り声を上げながら入ってきた。
その鋭い眼光は呻き続けるコウモリ人間を睨み食料と判断した。
肉食獣は徐々に距離を詰め始める。
高遠は楽しそうにモニターでコウモリ人間と熊の様子を眺め固唾を飲む坪倉に話しかけた。
「体長2メートル体重270キロのハイイログマにアドレナリンを打ち込んであります。さて、コウモリ男はどのように戦ってくれるのか……」
ハイイログマを視界に捉えるとギギ……、とコウモリ人間は何らかの声を上げ姿勢を低くして部屋を這い回る熊を睨め据えた。
やがてハイイログマの鳴き声は恐ろしい威嚇の声へと変貌し、300キロ近いその肉食獣はコウモリ人間へと一気に飛びかかった。
「……まずい! 高遠くん! 早くハイイログマの頭の爆弾を爆発させろ!」
坪倉が余裕の笑みを浮かべ続ける高遠にそう言った瞬間だった。
ーーーブギャァァァァァ‼︎
モニターから恐ろしい咆哮が轟いた。
坪倉は慌ててモニターを見つめるがそこには予想に反する光景が映っていた。
ハイイログマが前脚の一つを捩じ切られ地に臥し悶絶する。
コウモリ人間は血走った目で手にしたハイイログマの前脚を齧るとやがてその背に形質変化がおこる。
コウモリのような羽が生え始め、いつの間にかその生物は人間とコウモリが一つの身体に同居しているような正にキメラへと変貌した。
更に狂気の笑みを深める高遠に対して坪倉は唖然とする。
コウモリキメラは翼を使って飛び上がると滑空の勢いのまま、地を這うハイイログマへと爪の一撃を喰らわせた。
絶叫が室内へと響き、喉から鮮血を迸せたハイイログマはやがて痙攣を始め意識を失う。
コウモリキメラはハイイログマの身体を捕食し始めた。
狂気の笑い声を上げながら高遠は坪倉を振り返る。
「どうですか? 坪倉先生‼︎ この1年間で1番の成果ではないですか⁉︎ あなたも大いに喜ぶべきだ‼︎
ハッハッハッハッハッ‼︎」
冷えていく心と研究の成果が実ったという事実の内混ぜになった複雑な心境で坪倉はモニターの凄惨な様子を見つめながら呟いた。
「……確かに大きな成果だ これがコウモリ人間…… キメラの誕生か……」
数日後久々に自宅に帰宅した坪倉は地下室で眠る莉里を前に懺悔を始める。
苦悩に満ちたその表情は莉里との訣別を決意していた。
……あのような実験を重ね蘇生させたとしても莉里は喜ばない
いや、脳死の時点で莉里はもう亡くなっていたのだ。
「……兄さん ……莉里 済まない……! 今日私は遂に禁忌を侵してしまったよ……! 必ずこの償いはしなくてはならない…… 莉里…….! 済まない! どうか私に力を貸してくれ‼︎」
決意した坪倉は凍り付けの莉里を装置から外し解凍する。
そして手術台の上へと載せた。
「済まない……! 莉里……! 私と兄さんが間違っていた……‼︎ お前が事故に遭い脳死と診断された時点で安らかな眠りにつかせてやるべきだったのだ! ……しかしこの償いは私とお前の手で行わなくてはならない!」
涙を拭いながら坪倉は一心不乱にキメラ手術とは別にもう一つ、頭の中に構想していた手術を莉里の身体へと施していく。
この手術が終われば莉里の自我は失われるだろう。
「……済まない! 莉里……‼︎ 奴らはかならず止めなくてはならない……!」
先日の高遠の実験中の様子から坪倉は確信した。
奴らの真の目的は医療の発展などではない。
もっと別の恐ろしい目的があるのだ……