第8話 月の召喚
星霊に何かをしてもらうなら、祭壇を築いて祭り上げるのが一番。
……教科書に載っていたそんな言葉を頼りに、夏美さんの運転するトラックに乗って山から帰ってきた僕は月の星霊を祭る祭壇を作ることにしました。
「えっと……星霊の祭壇を築くのに適した場所は、その星霊によって違います。
ふむふむ、月の星霊の場合は……あぁ、港や桟橋がいいのですか。
どうやら水に深く関わるところは基本的に相性がいいみたいですね」
あとは自分の住居や井戸などといったライフライン関係も相性がいいみたいです。
幸い僕が住んでいる場所はあまり使われていない寂れた埠頭の倉庫ですので、ちょっと外に出ればすぐに儀式の準備が整います。
逆に太陽の星霊なんかは派手で賑やかな場所を好むので、人気の無いこの埠頭は向いていないみたいですね。
「それから、魔法陣を書く必要があるのか。
色は月を象徴する銀か白。
魔法陣を描くときは、線をまたいだりして霊的に汚さないように気をつけてと。
このあたりの基礎は世界が違っても同じですねぇ」
防御用の魔法陣を描いた後で自分が魔法陣の外にいることに気付いて、魔法陣全部無駄になった……なんて笑い話は初心者魔術師あるあるです。
僕は夏美さんに買ってきてもらった白い塗料に刷毛を突っ込み、クレソンと葛の束をのせた台を囲むように円を描きました。
今回の術式は魔法陣の中に星霊さんを呼ぶタイプなので、逆にうっかり魔法陣の中に入ったまま魔法陣を描かないようにしなければなりません。
「えーっと、次は季節と月、儀式を行う時間を守護する神や天使の名前を書くのですね。
夏の太陽がAthemayで、夏の月がArmatus、夏の天使がGargatel、Tariel、Gaviel、夏の宮の頭領がTubiel、夏の地霊がFestativi……と、これでよし。
祭壇の準備はこれでいいですかね?」
僕は夏美さんを振り返って確認してみたのですが、返ってきたのは困惑したような顔でした。
あ、夏美さんは魔術に詳しくはないんでしたっけ。
やってしまいました。
「ゴメンなさい。 そういうのはさすがに専門家でも無いとわからないですね。
……というよりも、ヤマダさんがここまで出来るほうがおかしいですよ。
やたらと手馴れてません?
特に魔法陣の描き方とか、私の目からは完璧に見えます」
「魔王城でも似たようなことよくやってましたから」
ええ、足りなくなった下っ端魔物を喚起したり、防御用の結界を修復したりするのに必要なので魔法陣はしょっちゅう描いてましたよ。
このぐらいは、大魔王配下の設備部門主任として、たしなみ程度です! ふふん。
「ところで夏美さん。 今何時ですか?」
「もうすぐ二時ですね」
「では、プラネタリーアワーが月の時間に差し掛かったばかりですね。
ちょうど良い頃合か」
資料によれば、一日の中でも惑星の力は増減するそうです。
そしてその時間にどの惑星の力が強いのかの時間割をプラネタリーアワーというのですが……詳しく説明しても面白く無いので割愛しますね。
「では、行きますよ」
僕は予備儀式を滞りなく終わらせると、乾燥させたアロエの葉に火をつけ、月の星霊を呼ぶ儀式の呪文を唱え始めました。
「我をして、汝……強大にして善良なる天使を呼び、契りを結ばん。
これらの御名、アドナイ、アドナイ、アドナイ、エイェ、エイェ、エイェ、カドス、カドス、カドス、アキム、アキム、ヤー、ヤー、マラナタ、アビム、イェイアにより、天と地の海と湖と水を第2日目に創られ……」
不意に空が曇り始め、風が冷たくなってきました。
これは月の精霊が集まってきたことによるものでしょう。
「……第1天を支配し、偉大にして誉れ高き天使Orphanielに仕えし天使たちの御名によりて。
満ちたる星、今天の月の御名により、先に述べた全ての御名によりて。
我は汝を、月曜日、二日目の主たるGabrielを召喚す」
魔法陣に青い光が灯り、供物として捧げたクレソンがオレンジの炎に包まれて燃え上がりました。
これは月を司る天使がここに降りてきたというサインで間違いないと思います。
「月の星霊たちよ、 汝の全ての形において、逆巻く嵐と共に来れ。
而して天使Gabrielの力に従いその導きに頭を垂れよ。
汝ら、我がために働き、この願いを満たすべし。
我が願いは、葛から糸を紡ぎ、衣服を作らん事!」
召喚した天使の名において月の星霊に呼びかけた瞬間、魔法陣の上に無数の銀色をした光玉が生まれ、積み上げた葛の束が宙に舞い上がります。
さらに葛が一瞬でバラバラに分解されると、瞬きするほどの時間で真っ白な布に再構成されました。
よし、成功です!
「……平和とともに汝らの居場所へと帰れ。
平和が汝らと我らの間にあらん事を。
而して汝らが再び呼ばれし時は速やかに現れるべく備えよ」
呼び出した存在たちを送還する儀式を成功させると、僕は祭壇に駆け寄り、儀式魔術によって出来上がった布を手に取りました。
そしてそれを手に、夏美さんを振り返ります。
「見てください、できあがりましたよ!」
すると、なぜか夏美さんは呆れたような顔をしています。
「……本当に魔術だけで作っちゃったんですね。
見たところ三角形が一枚、長方形の布が2枚、あとは帯かしら?」
「はい。 三角のほうが下着で……あ、ちょっと後ろ向いていてくださいますか?」
夏美さんが後ろを向いたのを確認すると、僕は腰に巻いた布を外して下着を手にとりました。
まずは三角形の布の両端を持って。
後ろから腰に巻いて、垂れ下がった部分を股の下に潜らせて、腰に巻いた布に挟み込んで……よし、やっとの事で文明を取り戻しました!
やっぱり、下着は重要ですね。
「ふぅ、ひと心地ついた。 あ、もうこっち見ても大丈夫ですよ?」
「あぁ、なるほど。 フンドシみたいな感じなんですね。
古代エジプトの人みたい……その、さすがに下着一枚の姿では目のやり場が……」
下着を着けた僕を見て、夏美さんは赤い顔で後ろを向いてしまいました。
えー、ずっと布一枚巻いただけで生活していたんですから、いまさらそんな顔されても困るんですが……。
女性の心はよくわかりません。
「そういえば、フンドシって言ってましたけど……こっちにもこんな感じの下着あるんですか?」
上に着るトーガを体に巻きつけながら、僕はふとそんな疑問を口にしました。
「今ではあんまり見ませんけどね。
古い時代では、それが主流だったそうです」
なるほど、今の下着はどんなものがあるのか気になりますが、それはまた今度でいいでしょう。
「ちなみに、僕のいた世界の平民はこんな感じの下着一枚で暮らしてますよ。
上流階級になると、上から貫頭衣を着たり、下にもう一枚衣服を着用するようになります。
こちらの世界はどうか知りませんが、僕のいた世界では衣服はその身分を表す役目がありましたからね。
僕の場合は下半身につける下着と、体の左半分を覆うトーガが許されてました。
これでもけっこういい身分だったりします。
さすがに寒い地方はまた違うみたいですけどね。
……着替え、終わりましたよ」
僕は帯びを締めてトーガを着終わると、改めて夏美さんに話しかけました。
すると、彼女は一瞬目を大きく見開いて、続いて急に腹を抱えたまま下を向いてしまったのです。
「ブフゥッ!? ヤ、ヤマダさん?」
「ど、どうしたんですか、四季咲さん」
すると、夏美さんは僕のほうを見ないように顔をそらしたまま、衣服に覆われていない僕の右胸を指差したのです。
「む、胸……胸が」
僕の胸がどうなったのでしょう?
気になってしたを向いた瞬間、僕は自分がとんでもない状況にあることを知ってしまったのです。
……って、なんですかこの色!
「ぼ、僕のおっぱいが銀色になってる!?」
なにこれぇぇぇぇぇぇぇぇ!