第5話 雨の日も悪くない
その夜。
スーツ姿で現れた夏美はベロンベロンに酔っ払っていた。
熟柿の匂いを振りまきながら、千鳥足で彼女が向かったのは自宅ではなく……。
彼女が監視をまかされた異世界難民の収容所である。
「あー、 四季咲さん。 また酔っ払ってますね?
誰だこの人に酒飲ませたの!
ただでさえむちゃくちゃ弱いのに!!」
夏美を迎えた警備担当の男性職員は、その姿を見るなり顔をしかめた。
このあと何が起きるかを知っているからである。
「はぁい、よっぱらってまぁす! 牛さんの監視、お疲れ様れす!」
完全にふらつきながら夏美が敬礼すると、今日の当番であった若い警備員はそっと溜息を吐いた。
「また例のデカブツ君ですか?
これで今週は三回目ですよ……彼も気の毒に」
「牛君が、エッチな体しているから悪ひんれすぅー。
私が悪いんりゃありゃ……ありゃ……ひゃーっひゃひゃひゃ」
何がおかしいのか、夏美は突如として笑い出す。
実に始末の悪い酔っ払いだ。
「あいかわらずの筋肉フェチでセクハラ上戸っスねぇ。
……これで朝目を覚ますと何も覚えて無いってんだから始末が悪い」
「えぇー、何のことかわかんにゃーい。
でも、邪魔したら馬に蹴られて死んじゃいますからにぇー」
そう言い放つと、夏美はいつの間にか抜き放っていた聖剣を若い警備員に突きつけた。
「いや、聖剣突きつけるのマジでほんとやめてくださいよ。
突き刺さったら簡単に人が死んじゃいますから、それ。
はいはい、外に出てますからご自由にお楽しみください……ったく、やってらんねぇよな」
若い警備員は大きく溜息をつくと、シャッターの横の通用ドアを潜って外に出てゆく。
これから起きるであろう濡れ場を覗きたい気持ちが無いわけでもなかったが、それがバレた時に夏美が羞恥のあまり襲い掛かってくることを恐れた彼は、素直にドアを閉じた。
「はぁい、エロ牛さん、こんばんはー。
夏美さんですよぉー!
暑いから裸になっちゃいましょー!!」
怪しいテンションで寝ているジルベルトの横に立つと、夏美はまず自分の服を豪快に脱ぎ捨てて下着姿に変身した。
なお、彼女の職務中の恰好のほうがさらに露出度が高いのはここだけの話である。
続いて夏美はジルベルトの毛布を強引に剥ぎ取った。
当然、服を持っていない彼は素っ裸だ。
「今日もいいお肉してますねー!
うへへへへ、けしからん体しやがってぇー」
「ぐがっ!? はぐっ!?」
夏美に胸板をぺちぺちと叩かれ、ジルベルトがくぐもった声を上げる。
ちなみに彼は一度寝ると朝まで全く起きない体質のため、ここまでやっても眠ったままであった。
「ごったろう・じるべると・てぃたの・あすてりおん・やまださーん。
あははは、ながい名前ー。
起きろー。起きないと、抱きついちゃうぞぉー。
うへへへへ、あったかーい」
そしてジルベルトが目を覚まさないことをいいことに、夏美はジルベルトの裸の上半身に跨り、その逞しい胸に顔をうずめる。
もしもいま彼女が正気に戻ったら、その場で憤死してしまいそうな痴態だった。
「んー、眠くなってきひゃったろ。
おやひゅみなひゃい……」
そして唐突に彼女は目を閉じてゴロリと横になる。
やがて、倉庫の中には二人分の寝息だけが響き渡った。
翌朝。
「うわぁぁぁ、この感触は……また夏美さんがいる!?
って、あぁぁぁぁ、今日もなんか踏んずけたぁぁぁぁ!!」
今日は天気が悪いらしく、人の輪郭すら曖昧な薄暗さ中でジルベルトの悲鳴がなりひびく。
ついでに猫さまからの献上品を手で踏みつけるのもお約束だ。
「……昨夜はお楽しみでしたね」
起き上がったジルベルトに、若い警備員は明かりをつけながら疲れた目をしてそんな挨拶をしてくる。
「何なんですか、それ!
夏美さんが布団にいた朝はみなさん同じ事言いますけど、僕には全く覚えがないし!!」
必死に言い訳をするジルベルトだが、警備員はヘラヘラと疲れた笑みを浮かべるだけであった。
まぁ、ここまではいつもの光景なのだが、今日はそれだけですまなかったのである。
「ぬ、抜けない!?」
そんな声に振り返ると、夏美が床にしゃがんだまま何かを引き抜こうとしていた。
まだ下着姿のままであるのに、それすら気にならないほど追い詰められているようである。
「どうしたんですか?」
「聖剣が……聖剣が抜けないの」
見れば、彼女が愛用している剣が地面に刺さり、柄の部分しか見えていない。
おそらく昨日服を脱いだときに剣も放り投げて、そのまま地面に刺さってしまったのだと思われるが……よくもまぁここまで深く刺さったものである。
「大丈夫。 力仕事なら任せて……」
そういいながらジルベルトが手を伸ばし、聖剣を引き抜こうとした瞬間である。
バチッと音がして彼の手が弾かれた。
「ダメなの。 この聖剣は所有者以外が触ろうとすると、拒絶するようになっていて……」
だが、夏美の細い腕ではここまで深く突き刺さった剣を抜けると思えない。
いったいどうすればいいのか。
剣にロープをくくりつけて、重機にでも引かせれば大丈夫だろうか?
しかし、夏美の脳裏には聖剣に拒絶された重機が壊れてしまい、弁償するだけになる未来しか浮かばなかった。
「うーん、困りましたね。
じゃあ、切っちゃいましょうか」
「切る?」
突然の台詞に、夏美は思わず問い返す。
すると、ジルベルトは笑顔で頷いてさらにこんなことを言い出したのであった。
「はい。 まず夏美さんは剣を握ってください」
「……はい」
言われるままに聖剣の柄を握ると、ジルベルトの手が彼女の両手を包み込んだ。
「あ、あの、このままヤマダさんが強く握ったりすると、私の手が……」
ミノタウロスの握力で握りしめられれば、彼女の華奢な手など一瞬で砕けてしまうだろう。
いや、それ以外の理由でも夏美は困っていた。
彼女の長い髪に隠れた耳が真っ赤に染まる。
だが、そんな彼女の様子に気づかずジルベルトは笑いながらこう言った。
「大丈夫。 こうするんですよ。
引いてダメなら、別の方向に引いてみましよう。
聖剣はたぶんその動き自体が魔術のようなもので補正されていると推測できます。
だからこうやって動かすことでなんらかの補正が働いてもおかしくないは……ず……」
そう言って手を横に動かすと、聖剣は床を豆腐のように切り裂きながらあっさり動いたではないか。
「あ、すごい。 これならばいけそう」
「そのまま円を描くように……いい感じですね。
このままゆっくり全体を上に出しましょう」
だが、二人が気持ちよく剣を動かしているところに、それを見ていた若警備員から警告が飛んできた。
「あ、不味い! ストップ!!」
しかし、時すでに遅し。
ブツンと音が響いて周囲が薄暗くなった。
「あーぁ、電源ケーブルが切れちまった」
警備員のぼやく声に、ようやく何をしてしまったか二人が気づく。
どうやら聖剣で電源ケーブルを切ってしまったようだ。
「ありゃあ……やってしまいました。
どうにも締まりませんねぇ」
すっかり暗くなった倉庫に、ジルベルトの情けない声が響く。
彼の視線の先には、懐中電灯をつけて電源ケーブルの修理が出来ないかと様子を伺う警備員の姿があった。
「そうですね」
そんな台詞と共に、ジルベルトの背中に柔らかい感触が触れる。
――え、これは!?
それが夏美の背中であることをジルベルトは悟った。
「あの、四季咲さん?」
「暗いから、お互いに動き回ると危ないですよ。
怪我をしないように、修理が終わるまでこうしているのが安全でしょ?」
確かにそういわれればその通りである。
夏美からぶつかるならともかく、ジルベルトのほうから人にぶつかれば確実に怪我をさせてしまうからだ。
「晴れた日ならばよかったんですけどねぇ。
いやぁ、ついてない」
そんな彼を嘲笑うかのように、外から激しい雨の音が響き始めた。
だが、そんな彼の背中で、夏美は誰にも聞こえないほど小さな声でそっと呟く。
「雨の日も、そんなに悪くないですよ」
頬を赤らめた彼女の姿を、分厚い雲の作り出す影がそっと隠した。
彼女の温もりを感じながら、ジルベルトは心の中でつぶやく。
こんな幸せなことが待っているのならば……。
たしかに雨の日も、そう悪くは無い。