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泣いている? 頬に触れたら確かに濡れていた。
私はどうして泣いているのだろう。
悲しいことなんか一つもないのに。
ただ当たり前のことを言われて、自分の幸せを再確認しただけなのに。
「目に……。目にゴミが入っただけですっ。放っておいてください!」
私はそう叫んで馬小屋へ向かって走った。
アルトゥールが私を呼ぶ声を背中に受けるも、決して振り返ることはしなかった。
◇◇
「兄様っ。何故引き留めなかったのですか!? コルネリウスの馬鹿にあんな酷いこと言われて……涙まで流していたのに」
「コルネリウス? 奴の言葉は聞いていなかった。それより、エヴァがどうしてあんな顔になっていたのか。気がかりで……」
エヴァのあの顔は久しぶりだ。
たった一日離れただけで、一体何が起きたのか。
「兄様はお顔で女性を選ぶのですか? 俺も驚きましたが、狼だった兄様を助けてくれた心優しいエヴァ様に……酷すぎますっ。見損ないましたっ」
「そうじゃない。エヴァがよく、ああなることは知っている」
「へ?」
そういえば、ユスにはちゃんと話していなかった。どうせ気にしないだろうと分かっていたから。
「昨日のエヴァも、今のエヴァも、どちらも変わらないエヴァだ。魔法なんかで偽ってなどいない。だが……」
「じゃあなんで……。って、何故ニヤついているんですか!?」
「う、うるさい。俺はエヴァと話があるから、ユスは屋敷で待ってるんだぞ」
「……はい」
「付いてきたら殺す」
「なっ!? 分かってますよっ」
俺はユスを睨み付けると馬小屋へ急いだ。
エヴァのあのクマ。久しぶりに見た。
もしかしたらではあるが、俺が一緒にいなかったからああなったのかもしれない。
一人で寂しくて眠れなかったのだろうか。それとも、求婚なんてしたから悩ませてしまったのか。
兎に角、俺の事でああなったに違いないことは確かで……そう思ったら口角が勝手に上がってしまう。
口ではあんな事を言っていても、寂しそうな瞳で涙なんか流して。
あの場にユスがいなければ、抱き締めてそれから……。いや、落ち着け。触れないでほしいと言われたばかりじゃないか。
駄目だ。嫌われたくない。
◇◇
ノワールと二人、湖畔の木漏れ日の下、お昼寝日和で暖かくて気持ちいいはずなのに……。
全然そんな気分にはなれなかった。
涙が止まらない。
これはアルトゥールのせいだ。
隣にいて欲しいなんて言うからよ。
私は嫌だって言ったのに、しつこいから。
……でも、だったら何故泣いているのだろう。
放っておいてと言ったのに、アルトゥールが追いかけてきてくれなくて、それがとても悲しい。
隣にいてなんて言うくせに、どうして隣に居てくれないのか。そんなことばかり考えてしまう。
私は変だ。きっと寝てないからだわ。
コルネリウスが言った様に、私は誰の隣も相応しくない。人間嫌いだって、治っていないのに。
私は彼の隣にいていい様な人間ではないの。
でも、それって……私は彼の隣にいたいということなのかしら。
いいえ、絶対に違う。
もしかしたら、これは呪いなのではないかしら。
アルトゥールは私に固執しすぎている。
きっと、狼に変えてしまう呪いの効果なのだわ。
ずっと一緒にいたから、私もその呪いが移って……。
「エヴァ?」
背中から彼の声がした。追いかけてきてくれた。
ホッと肩の力が抜けていく。
って喜んでどうするのよっ。
こんなクマと涙でぐちゃぐちゃの顔を見られるのが嫌。
嫌われたく……だから、何で嫌われたくないなんて思ってるのよ。私の馬鹿。
ノワールの身体に隠れるように踞る私の隣に、アルトゥールが腰を下ろした。
どうしましょう。顔は見せたくないし……そうだわ。
寝たふりをしましょう。
◇◇
「エヴァ。寝てる……のかな?」
草原の上で丸くなって顔を伏せるエヴァに俺が声をかけると、彼女は小さく頷いた。
寝たふりをしているのだろうけど、頷いたら意味かない。
何だこの可愛い生き物は。
これは、気づかないであげた方がいいのだろうか。
俺はローブをエヴァにかけて隣に寝転んだ。
誤字報告ありがとうございます。
とても助かっております!




