19
固い棺のような箱に押し込められて、暗闇の中で私はずっと泣いていた。
知らない大人達の声がして、私を何処かへ売り飛ばすって話している。
恐くて恐くて、もう家族には会えないんだって思うと涙が止まらない。でも、声を出して泣くと、外から怒鳴り声が聞こえて、箱を蹴られてしまうから、私は踞ったまま声を殺して泣いた――。
真っ暗な闇に落ちていく。
身体の感覚が失われ、昔の記憶に苛まれてしまう。
でも大丈夫。これは昔の事。今は大丈夫。
そう言い聞かせても、身体は動かないし声も出せない。
「エヴァ――」
誰だろう。父の声でもないし兄の声でもない。
でも嫌じゃない。
頬にフワリと柔らかい何かが触れて、身体の感覚が甦る。
あの時もそうだった。
誘拐された私を助けてくれたのは、人ではなかった。
一匹の漆黒の狼が、怖い人達をみんな追い払って私を箱から出してくれた。琥珀色の瞳は優しい光を帯びていて、不思議と怖くなかった。
箱から出るとそこは真っ暗な森の中で、馬のいない半壊した馬車の中に私は取り残されていた。狼は私に身体を寄せて、そのまま朝まで私を暖めてくれた。
頬に触れる優しいそれは、あの時の温もりと同じだ。
だから、私はそれに手を伸ばし払いのけた。
「逃げて……。ここにいたら駄目……」
ここにいたら、人間に殺されてしまう。
翌朝、私は狼の唸り声で目を覚ました。
私を助けに来た兵士達が、狼に弓を放ったのだ。
やめて。って叫びたくても声がでない。
私を守るように覆い被さっていた狼の足から、血が流れていた。
庇うことも出来ないまま、狼は前足を引き摺りながら逃げていった。
「もう大丈夫だよ」
兵士はそう言って私に手を伸ばす。
さっきまで狼を射殺そうとしていた瞳を思い出すと、恐くて縮こまってしまった。
私を誘拐した人も、狼に傷を負わせた兵士も、皆恐い。
私は兵士の大きな手に抱き上げられた時に意識を失った。
安心したからじゃない。恐くて意識を手放してしまったのだ。
◇◇
ベリス侯爵はコルネリウスを追い出しエヴァを抱き締めると、一晩休めば落ち着くだろう、と言って部屋を後にした。
ベッドの上で猫のように背中を丸めて縮こまって、怯えたように浅い呼吸を繰り返し、エヴァは眠ったまま涙を流していた。
ダリアが暖かい布で顔を拭うも、その頬はまた涙で濡れていく。
エヴァは誘拐された時、隣国の兵士に助けられたそうだ。しかし、エヴァは狼に助けられたと言い、助けてくれた兵士が困るほど、彼らに怯えていたそうだ。
気休めになるかと思って尻尾で頬を撫でると、フッと顔の緊張が緩む。でもそれは一瞬でエヴァは何か呟きながら、涙を流して俺の尻尾を手で払った。
「ぇっ……。エヴァ?」
毎日モフモフ言っていたエヴァに拒絶された。
アルトゥールは嫌でも、アルジャンは絶対無敵だと思っていたのに。
エヴァは苦しそうに両手を握りしめていた。
左手の爪が右の手に食い込むほどに。
俺はエヴァの左手を掬い取って指を絡めた。
キュッと握り返す力は思っていたより弱いものの、緩んだ顔を見ると必要とされているのが分かった。
もう片方の手でエヴァの涙を拭うと、エヴァはまた、うわ言を言った。
「……アル……トゥール……」




