黒猫と白い靴下(短編 22)
この日の夕暮れどき。
芳太郎は農作業を終えたあと、村はずれの山間にある神社にやってきた。
とくに信心深いというわけではない。こまったときの神頼みというやつである。
銀杏の葉で黄色に染まった境内を歩き進む。
拝殿の前に立つと芳太郎は柏手を打ち、それから目をつぶり手を合わせた。
――神様、どうかオレに嫁さんを……。
明日、農協開催の合同お見合いがある。
このチャンスに、ぜがひでも人生のパートナーが見つかるよう、何度もお願いしますと唱えた。
――どんな女でもいいから……神様、オレにも嫁さんを……。
ずいぶんいいかげんな願いである。
芳太郎は農家の一人息子で跡取り。しかも見かけがまったくさえないということもあり、四十歳になった今でも独身。どこのだれでもいい、とにかく嫁に来てもらえるだけでもありがたかった。
――うん?
なにかが足先に触れた。
見れば真っ黒な子猫である。
拝殿の床下にでもいたのだろうか、その子猫は小さな体を芳太郎の足にしきりにこすりつける。
芳太郎はしゃがんで子猫を抱き上げた。
母猫とはぐれ、しばらく乳をもらっていないのだろう、子猫はずいぶんやせ細っていた。
――かわいそうに。
ここは人里から離れた場所。ほうっておけば野たれ死ぬのは目に見えている。
芳太郎は見捨てることができず、その黒い子猫を抱いて家に連れ帰ったのだった。
この日の夕暮れどき。
和江は会社からの帰り道、繁華街のビルの一画にある占いの店に向かっていた。
べつに占いを信じているわけではない。溺れる者はワラをもつかむというやつである。
冷たいビル風が吹き抜ける外階段を昇る。
二階にある店に入ると中は薄暗く、和江は占い師の女にうながされるまま椅子に座った。
「じつは私……」
占い師に向かって、これまで結婚相手に恵まれなかったことをひととおり話した。
「どうか私にもいい人を……」
明日、農協募集の合同お見合いがある。
このチャンスに、ぜがひでも人生のパートナーに巡り合えるよう訴えた。
「どんな男性だっていいんです。私と結婚してくれる人さえ見つかれば……」
ずいぶんいいかげんな訴えである。
和江はずんぐりとした小太り。さらに器量がよろしくないということもあり、四十歳を目前にしていまだ独身。どこのだれでもいい、とにかく嫁に行けるだけでありがたかった。
占い師は神妙な顔つきで数枚のカードをめくり、それらをテーブルの上に並べていった。
「明日は白い靴下をはいてください。そうすれば運命の人に出あうでしょう」
「白い靴下をですか?」
和江はおもわず問い返した。
足をできるだけ細く見せるため、和江が普段はいているのは黒っぽいものばかり。白い靴下なんて一足も持っていないのである。
「はい、必ず白い靴下を」
「わかりました」
和江は占いの店をあとにすると、さっそく商店街で白い靴下を買い求めたのだった。
翌日の正午前。
農協の大ホールに設営された会場では、合同お見合いの参加者らが緊張した面持ちで待機していた。
男性と女性、それぞれ二十名ほど。十メートルほどの間隔をおいて、向かい合った状態でパイプ椅子に座っている。
男性は地元で暮らす者たち。
女性は村の外から応募してきた者たちだった。
自己紹介が始まった。
芳太郎の目は、正面に座っている女性の足元に釘づけとなっていた。
長めの黒いスカートからのぞく白い靴下。
――まるでアイツみたいだな。
昨日の神社でのことを思い出していた。
アイツとは拾った黒猫のこと。家に帰ってから気がついたのだが、白い靴下をはいたように足の先が白かったのだ。
――こいつはもしかして……。
今にして思えば、人里離れた神社に子猫がとつぜん現れるというのは奇妙である。目の前の白い靴下の女性に、このとき芳太郎は因縁めいたものを感じた。
自己紹介がその女性の番になる。
「佐藤和江と申します。隣の町に一人で住んでおりまして、そこにある小さな会社に……」
芳太郎は彼女の言葉を、ひとつとして聞きもらさないよう耳をそばだてていた。
和江は鋭い視線を感じていた。
その視線は正面に座っている男のもので、さっきからずっと自分の足元に注がれていた。
――あの人、靴下を見てるんだわ。
昨日の占いのことを思い出した。
白い靴下をはくことで運命の人に出あう。占い師の言葉が現実のものとなりつつあるのだ。
――これはもしかして……。
今にして思えば、お見合いの場に白い靴下をはいていくなど奇妙である。白い靴下に目を向ける男性に、このとき和江は運命のようなものを感じた。
自己紹介がその男性の番になる。
「竹田芳太郎といいます。農家をしておりまして、おもに大根を……」
和江は彼の言葉を、ひとつとして聞きもらさないよう耳を傾けていた。
全員の自己紹介が終わった。
参加者たちがあらかじめ決められたテーブルへと移動する。
五卓ある丸テーブルには、村特産の野菜のほかに肉や魚のオードブルが並び、飲み物はジュースやノンアルコールのビールがそろえられていた。
芳太郎と和江は別のテーブルになった。
ただし移動は自由。テーブル間を渡り歩き、言葉を交わして相手の品定めができる。
立食パーティが始まった。
男たちがすぐに移動を始める。
女たちがそれを受け入れる。
あちこちテーブルでにこやかな談笑が始まった。
芳太郎は先ほどから、彼女のテーブルに移動することをためらっていた。
――どうしよう……。
彼女の白い靴下に因縁めいたものを感じたのは妄想ではないかと思うと、わざわざテーブルを移動してまで話しかける勇気が湧いてこない。
時間が刻々と過ぎてゆく。
さいわいにもパーティが始まってから、だれ一人として彼女に言い寄る男はいなかった。とはいえ、彼女と話さない限り結ばれることはない。
――このままじゃ……。
あせりが胸の内に膨らんでくる。
――よしっ!
芳太郎は意を決すると、勇気をふり絞り、彼女のいるテーブルに向かった。
彼女の前に立ち声をかける。
「あのー」
「はい……」
彼女はびっくりしたような表情を見せた。
和江は先ほどから、自分に視線を注いでいた男が来るのを待っていた。
――どうして?
自分のかんちがいだったのだろうか、運命を感じた男はいつまでもやってこない。かといって、自分から彼の元へ行くのもはばかられた。
時間が刻々と過ぎてゆく。
さいわいにもパーティが始まってから、彼はほかの女に言い寄ることはなかった。とはいえ、彼と話さない限り結ばれることはない。
――このままじゃ……。
あせりが胸の内に膨らんでくる。
――もうダメかも……。
和江があきらめかけたときだった。
彼が突如としてテーブルを離れ、自分のいるテーブルに向かって歩いてくる。
男が自分の前に立ち声をかけてきた。
「あのー」
「はい……」
和江は胸の高まりを隠せなかった。
合同お見合いが終了した。
この日、ただちにカップル誕生とはならない。参加者のプライバシーもあり、テレビのバラエティ番組のようにはいかないのである。
全員が会場を出る際、意中の異性の名前をカードに記入して箱に入れた。
カードには枠が三名分。
原則、一番に書いた相手が第一希望となる。もちろん希望の者がいなければ白紙で提出してもよく、一名だけ書くこともよし。
あとは農協が主導する。
名前が書かれたカードをもとに、希望が合致した者同士を引き合わせることになっていた。
芳太郎は子猫を膝に抱き、白い靴下の女性のことを思い返していた。
――手と足、それに尻もでかかったな。
農家の嫁として望まれるのは、女性としての見かけより力仕事ができる体である。
――大根を抜くの、おふくろの倍はいけそうだな。
そんなことを考え、芳太郎はつい顔をほころばせていた。
だが、それも嫁に来てもらえてのことだ。
――あのとき、もっと話せばよかったな。
芳太郎はおおいに悔やんだ。
彼女とは長く席をともにしていたのに、実際に話していた時間はほんのわずか。その会話もほとんどはずむことがなかった。
子猫が腕の中でニャーと鳴いた。
――まあ、よしとしなきゃあ。
芳太郎は子猫を見て思い直した。
子猫の白い足。
それが縁となり、因縁ともいえる女性に出会えたのだ。
カードには佐藤和江と彼女の名前だけを書いた。
あとは農協からの連絡を待つだけである。
子猫がまたニャーと鳴いた。
和江は着替えをしながら、唯一話しかけてくれた男性のことを思い返していた。
――まじめで、優しそうな人だったな。
結婚して生活をともにするなら、なにより大切なのは人柄。そしてお金に苦労しないことである。
――農家だっていってたけど、田んぼや畑をいっぱい持ってそう。
そんなことを考え、和江はつい顔をほころばせていた。
だが、それも嫁に行けてのことだ。
――あのとき、もっと話せばよかったな。
和江はおおいに悔やんだ。
彼とは長く席をともにしていたのに、実際に話していた時間はほんのわずか。その会話もほとんどはずむことがなかった。
――まあ、声をかけられたんだから。
和江は白い靴下を見て思い直した。
占いの白い靴下。
それが縁となり、運命ともいえる男性に出会えたのだ。
カードには竹田芳太郎と彼の名前だけを書いた。
あとは農協からの連絡を待つだけである。
着替えが終わり最後に白い靴下を脱いだ。
その後。
二人は結婚し、やがて子供にも恵まれた。
芳太郎は和江に話していない。
あの日、村はずれの神社でお願いしたこと、そして黒い子猫のこと。
和江は芳太郎に話していない。
あの日、占いの店で占ってもらったこと、そして白い靴下のこと。
三年の月日が流れた。
この日。
芳太郎は早朝から両親と三人で、いつものように霜が積もった畑に出て農作業に精を出していた。
父親がひたいの汗をぬぐいながら、芳太郎に向かって愚痴るように言う。
「こまったもんだ。百姓の家に来て、土いじりひとつしないんだからな」
母親も追って言う。
「そうよ、そろそろ畑に出てもらわんと。あんたもよくわかってるでしょ。この時期、猫の手も借りたいぐらい忙しいのは」
「まだコウに手がかかるから……」
芳太郎は顔をしかめて言葉をにごした。
――今晩、アイツに話してみようか……。
老いた両親を見てそうも思った。
長時間の畑仕事は過酷である。和江が少しでも手伝えば、そのぶんだけでも両親は楽になれるのだ。
和江はコウに朝食を食べさせ終わると、いつものように庭先で洗濯物を干しにかかった。
「ママ―」
コウが声をあげてかけ寄ってくる。
「そんなに走ると転ぶわよ」
「パパは?」
「畑でお仕事よ、ジイジとバアバとね」
和江はコウを抱き上げた。
コウは三歳になったばかりだが、最近は覚えたての言葉でずいぶんしゃべるようになった。
「ねえ、パパのとこに行ってみようか?」
「うん」
「じゃあ、これを干し終わったらね」
「わーいっ!」
コウが庭を飛び跳ねて、畑に行ける喜びを小さな体からあふれさせる。
――今晩、あの人に話してみようかな。
コウを見てそう思う。
コウにはまだ手がかかるが、世話をしながらでも大根を抜いたり、それを洗ったりする作業は自分にもできそうで、和江は最近、畑仕事も悪くないと思い始めていた。
洗濯物を干し終わった和江はコウの手を引いて、芳太郎がいる畑へと向かった。
白い靴下が庭先で風にゆれていた。
黒猫が陽だまりで丸くなっていた。
春はもうすぐである。




