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聖女とは仮の姿ッ  作者: 夜月ジン
覚醒編
9/72

誰が彼を救ったか

 淡い金髪が美しい少女が、緑色の瞳を驚愕に見開く。

 薔薇色だった唇が見る間に色褪せていき、口端から血の泡を噴き零した。

 胸部を護るはずだった板金鎧(プレートアーマー)は無残に貫かれており、そこから生えているような腕が自分の物だとわかっていても、何も出来なかった。

 消えゆく意識の中で、やめろと何度も叫んだが、彼の手は彼の意思を無視して、手のひらに握った温かなそれ(・・)を握り潰した。


◇ ◇ ◇


「──ッ」

 落下に似た衝撃とともに、俺は目を覚ました。

 心臓は早鐘を打ち、呼吸も酷く荒い。

 何度か瞬きをしつつ、体を宥めるために深呼吸を繰り返した。

 酷く怠い両腕をなんとか持ち上げ、手のひらを凝視する。

「俺、は……セルツェ。セルツェ・エテルノエル」

 怪我をして意識が朦朧としたときに言わされるように、自分の名前を確かめる。

 そうすると現実感が増して、少し体から緊張が抜けた。

「…………夢。夢か」

 視界に入っている天井が見慣れたものだった時点で理解してはいたが、確かめずにはいられなかった。

 それほどまでに、生々しい感触が手のひらに残っている。

(胸くその悪い)

 嫌な夢を見たと思いつつも、原因は察することができる。

 心臓は避けられたとはいえ、あの太さの角二本は、さすがに死を意識しないわけにはいかなかった。

 その恐怖が、あの奇妙な夢を見せたのだろう。

 普通に考えれば貫かれるのは自分になりそうな気もするが、夢に整合性を求めるのは時間の無駄だ。

 今はただ、生きていることに感謝するほうが有益だろう。

(……すごいな。完全に塞がってる、のか?)

 感覚がまだ鈍いのもあるが、手で探った限りでは貫かれた痕跡を見つけられなかった。

「聖女様々だな」

 思わずそう呟きながら、寝台からゆっくりと上体を起こす。

 何度か両手で顔を擦り、サイドテーブルに用意されていた回復薬を一息で飲み干した。

 柑橘系の酸味と蜂蜜の甘さを押しのけて、薬草独特の舌を刺す苦みが喉を焼きながら胃に落ちていく。そう経たずにじんわりと体の末端にまで熱が戻り、血行がよくなるのがわかった。

 隣に用意されていた水差しに感謝しながら杯に水を注ぎ、それも一気に喉に流し込む。

 一息つく頃には、大分体が楽になっていた。

「はぁ。滋養効果抜群とはいえ、この奇妙な味はなんとかならないものなのか」

 薬師曰く、「そのうち、この味が癖になってくる」そうだが、俺には一生理解出来る気がしない。 

 四肢に力が入ることを充分に確認してから立ち上がり、救護室の隅にある洗面台で顔を洗う。

 濡れ手で適当に寝癖を撫でてから、ふと気になって上着の裾をたくし上げた。

「え?」

 鏡に映した体を撫でてから、改めて肉眼でも見下ろす。

 脇腹を貫いた角の跡も、肋骨を砕いて肺を貫いた角の跡も、不気味なほど残っていなかった。

 脇腹に至っては、ずっと残っていた古傷すら消えている。

 よくよく見れば、再生された部分の皮膚の色が僅かに淡いが、数日もすれば馴染んでしまいそうな差だ。

 再生魔法は、ただでさえ膨大な魔力を消費する。

 ゆえに聖女は常に必要最低限を施す訓練をしているはすだが、その調節をする余裕がないほど、俺が瀕死だったということだろうか。

 何度も腹を撫でるうちに、自分が今、起き上がれている違和感に気がついて、思わず眉を顰めた。

「これ、は……本当に再生魔法か?」

 再生魔法は、施された側にも相応の消耗が起こる。欠損まで補ってくれたのは神聖魔法の恩恵だが、基本は肉体の回復速度を極限まで高めることで癒やす魔法だからだ。

 だが俺は今、立ち上がれているし、普通に歩けている。

 どう考えても、体に空いた穴を二つを埋めるだけの体力を消耗した状態ではなかった。

(回復もかけてもらっていた? いや、討伐は終了していたから、魔導師に無駄な魔力を使わせる理由がない。……どういうことだ?)

 再生魔法で負傷が消えても、消耗していては戦線に復帰できない。

 そのため、任務中であれば魔導師による回復魔法が続けて施されるのが常だが、あの状況ではその必要がないことは明白だった

 肉体を再生させたあと、救護室に転がして自然回復──という選択で充分な状況だ。

(いや、隊長はそのつもりだったはずだ。でなければ、わざわざ回復薬が置かれていた意味がない)

 回復魔法が施された相手に、効果の劣る回復薬を用意するのは奇妙すぎる。

(聖女様が治癒まで施してくださったのを、隊長が見落としていた?)

 神聖魔力による治癒であれば、施術者の体力もある程度回復させることができる。

 それならそれで感謝しかない──と、納得しかけた頭を慌てて左右に振った。

(ちっとも良くはないぞ。ニフリト様はご無事なのか?)

 それは聖女ニフリトにとって、非常に負担の大きい行いだったはずだ。

 俺を涙目で見下ろしていた、金髪の少女の碧眼が脳裏を過る。

 今回の討伐に同行した聖女ニフリトと聖女ナジャの二名は、大型大角猪から噴出した瘴気の浄化に魔力の大半を消費していたはずだ。

 本来なら浄化に二名、不慮の負傷対応で一名、計三名が最低限必要な人数だった。

 着任の挨拶のとき、人手不足の不安を微塵も見せずに「浄化と治癒はお任せください」と、笑顔を見せた二人を思い出す。

 同時になんともいえない気持ちも蘇って、思わず奥歯を噛み締めた。

 なんというか、聖女が持つ独特の健気さや強さが苦手なのだ。

 負傷した騎士を治癒するために、魔力を消費しすぎて枯渇症状を起こした聖女を何度も見たことがあるのも一因だろう。

(そうだ、俺の治療だけじゃない。もう一頭いた大角猪の瘴気の浄化も必要だったはずだ)

 小物が出す瘴気であれば、すぐ霧散してしまうので問題はないが、二頭目の個体も通常の倍はあったので、放置は出来なかっただろう。

 どう考えても、聖女二人では手が足りていないはずだ。

 俺の記憶は、マールス隊長とセールイが二人がかりで角を体から引き抜こうとしてくれていた途中で切れている。

 あまりの激痛と失血で、気絶したのだ。

(あの後のことと、ニフリト様の状況を確認しないと)

 少し急いた気持ちで、救護室の扉を開ける。

 すると、扉口になぜかマールス隊長が立っており、踏み出した足を止められずに体当たりしてしまった。

「たいちょっ!?」

「おっとぉ?」

 不意打ちにも拘わらず、半歩下がっただけで衝撃を受け止めきったマールス隊長が、動揺によろめいた俺の体すら腕を掴んで支える。

 場違いな感心を頭の隅でしつつ、俺は慌てて一歩下がって頭を下げた。

「すみません!」

「もう目が覚めてたのか。というかよく立ち上がれたな!」

「それが、まったく疲労感がなくて」

「…………これが、若さか」

 半ば呆然とマールス隊長が呟いたが、絶対に違う。

 その否定が珍しく表情に出たらしく、マールス隊長は苦笑いした。

「冗談だ。どこに行こうとしてたかは知らんが、今は大人しく寝台に戻れ。回復薬を飲んだ直後は、なんとなく大丈夫な気がするもんだ。あと十歩も歩けばボロボロの体を自覚して廊下に転がるハメになるぞ」

 違う、そうではないのだと、自分の状況と抱いている違和感を伝えたかったが、言葉が選べず何度か口を開閉させた。

 結果、問えることだけが口に出る。

「……いえ、その、ニフリト様の状況を確認したくて」

 俺がぼそりと答えると、マールス隊長は納得したように大きく頷いた。

「ああ、なるほどな。それなら俺が話してやれるから、ほれ戻れ」

 くるりと体の向きを回されてしまったので大人しく寝台に戻り、端に腰かける。

 万が一を補佐するためにか、すぐ後についてきていたマールス隊長の気配を感じていたので視線を向けると、少し驚いたような眼差しが返された。

「よくまぁ、あれだけの再生魔法を施されておいて、そんなにしっかり歩けるもんだ。お前の気力には感心するし、己の為に無理をしたであろう聖女を気遣う気持ちもわかるが、まずは自分だぞ」

 手近な椅子を引っ張ってきて腰かけながら、マールス隊長が告げる。未だに言葉が思いつかない以上は頷くしかなく、俺は頭を下げた。

「はい」

「ニフリト様なら大丈夫だ。気を失いはしたが、枯渇症状はでていなかった。一晩休めば目を覚まされるだろう」

「えっ、それは……すごい、ですね」

 本当に、心の底から驚愕して、珍しく大きめの声をあげてしまった。それに同意するように、マールス隊長も頷く。

「俺も驚いている。大型の魔物の浄化に、広範囲の再生魔法を二カ所も施して魔力が枯渇しないなんて、とんでもない魔力量だ。よほど女神エテルノの加護を強く受けているのだろう。ナジャ様に至っては、卒院式もそこそこに駆り出してしまった初任務だったが、立ち回りも素晴らしかった。学院時代の研修で冒険者部隊と同行したときも非常に優秀だったというから、今後が楽しみだな」

「そういえば、彼女たちは大物討伐への同行は初めてだったんですよね。とてもそうは思えない行動力と判断力でした」

「ニフリト様も、お前の治療を一度失敗した時はかなり動揺していたが、持ち直したしな。ミルクーリー家の令嬢だという時点で尋常ではない努力をしてきたのだろうと思っていたが──。まったく、すごい逸材が二人も現れてくれたことに感謝しないと」

「そうですね」

 マールス隊長の笑顔につられて頷いたが、不意にがしっと両肩を掴まれて、体が強ばった。顔から笑みが消えており、酷く真剣な眼差しが向けられる。

「隊長……?」

「今回は、ニフリト様がいたから助かった。同行していたのが彼女でなければ、お前は死んでいた可能性が高い。わかるな?」

「……はい」

「お前がしたことは、正しい。間違いなく。だが、俺は魔物討伐部隊の隊長として、一度だけ言わなければならないことがある」

「はい」

「二度と、一人を救うために命を投げ出すな。お前の命は、数多の人々を救うためにある」

 その言葉は、マールス隊長の性格を思えば衝撃的なものだった。

 それでも、言わなければならない一言だったのだ。

 騎士はいつだって人手不足だし、魔物は日々増え続けている。

 第三部隊の中で、自分が要の一人になっている自覚はある。

 俺がいるかいないかで、マールス隊長が選べる作戦が大きく変わるし、討伐における危険度も変わる。

 それ故に、この残酷な一言を言わねばならなかったのだ。

 その口惜しさは、肩に食い込む指が物語っている。

 だからこそ、俺は真剣に言葉を選んで──返した。

「申し訳ありません。また同じような事があったときは、必ず片方は避けます」

「…………」

 冗談に思われないよう真面目な顔で答えると、五秒ほど部屋に沈黙が満ちた。

 そして不意に、ふっとマールス隊長の指先から力が抜ける。

 怒りに近い表情だったそれがへにゃと緩んだが、次の瞬間には明確に怒りの顔になり、俺は頭突きを喰らっていた。

 ゴヅッと凄まじい音が額で弾け、目裏に火花か散る。

「いっ!?」

 額を押さえようとしたところでマールス隊長に突き倒されてしまい、そのまま寝台に転がった。

 見上げると、隊長は俺よりも痛そうに額を押さえていた。

「くそ、石頭め」

「す、すみません」

 思わず謝ると、忌々しげに睨まれたので押し黙る。

 マールス隊長は暫く額を撫でたあと、はぁと嘆息した。

「まったく。次は無傷で助ける! くらい言えないのか」

「それはさすがに。俺の実力では、相手によるので。ただもう少し、死なないよう気をつけます。その、俺は別に、死ぬ覚悟で彼女を護ったわけではないので」

「言い方! まぁ、死ぬ気はなかったってことは、信じてやる。心臓は逸らしてたしな。だが、聖女様の力は頼りにした。そうだな?」

「……はい」

「俺の指示以外で、二度と聖女様を頼りにした動きはするな」

「…………はい」

「間が気になるが、今日は見逃してやる。もうこのまま休め」

 言うなり椅子から立ち上がったマールス隊長を追うために起き上がろうとしたが、ドスッと額に人差し指を突き立てられて押し戻された。

 先ほど頭突きを喰らった部分なので、地味に痛い。

「休めっつってるだろうが。そのまま寝ろ!」

「……いえ、ですが、本当に俺に疲労はなくてですね」

 ようやくこの話題に触れられそうな流れになったので、かろうじて口を挟む。

 しかしマールス隊長から返されたのは、呆れ顔だった。

「まだ言うか。廊下で倒れて俺に手間をかけさせたいと?」

「違うんです、本当に。信じてください!」

 告げながら勢いよく寝台から立ち上がると、さすがにマールス隊長も違和感に気づいたらしく、目を瞬かせた。

「……どういうことだ?」

「おそらく、再生魔法の後で治癒魔法も施してくださったのではないかと」

「いや、いやいや。それはない! 再生魔法を施し終わった直後に、ニフリト様は昏倒されたんだ」

 その言葉が、セルツェが脳内でもしやと思っていた可能性を肯定した。

「隊長、ニフリト様が俺に施されたのは、再生魔法ではなく……その、蘇生(・・)魔法だったのではないでしょうか?」

「……は? まさかそんな。いや、待てよ。蘇生魔法を扱えるという報告は受けていないが──お前が瀕死だったことで、咄嗟に発動させた可能性はある……のか?」

 蘇生魔法は再生魔法と違い、施される側に一切の負担がない。

 聖女の魔力によって文字通り対象を復活させる、神聖魔法の究極だ。場合によっては死者すら蘇らせることがあるという、大魔法。

 だが再生魔法の比ではない魔力量と、その出力に耐えうる肉体が必要となるため、世界でも数人しか扱える聖女はいない。

「聖女に関しては、俺たちでは知識が乏しすぎるな。後で教会に連絡を取っておいて貰った方がいいかもしれん。ニフリト様も無自覚であったならば驚かれるだろうが、悪いことではないしな」

 顎髭を指先で擦りつつ、マールス隊長が思案に眉根を寄せる。

「その間に、俺はラサーさんを呼んできます。魔力枯渇が起きていないことは奇跡ですが、肉体への負担は相当あるはずです。改めて診てもらったほうがいい」

「そうだな、頼む。ナジャ様に診て頂きたいところだが、彼女にも休息が必要だ。ああ、使った寝台は整えておけよ」

「あ、はい」

 先に部屋から飛び出そうとした俺に釘をさしつつ、マールス隊長が一歩踏み出したが、勢いよく扉が開けられたことで二歩目が止まった。

 俺とマールス隊長が呆気にとられつつ視線を向けると、そこには真っ白なローブを身に纏った聖女が立っていた。

「ニフリト様!?」

「マールス様! あの少女はどこに!?」

 マールス隊長の驚愕を遮って、喰い気味に詰め寄ってくる。年若い聖女は少し興奮気味に、長い金髪を揺らした。

「あの少女、とは?」

「この方を治療した子です! 灰色の髪の! ここに同行させられたと聞きました」

 聞き捨てならない言葉に、さっとマールス隊長の顔から困惑が消える。

「どういう事です? セルツェを治療したのは聖女である貴方では?」

「とんでもない! 私はまともに魔法を扱える精神状態ではありませんでした。それに、あれほどの傷を一瞬で癒やすほどの魔力もありません! 彼女が、彼を助けたのです!」

「落ち着いてください、聖女様。その話は冷静になさるべきだ」

 取りすがってきていた腕にそっと触れながら、マールス隊長が聖女ニフリトを宥める。

 二秒ほどマールス隊長と見つめ合ってから、聖女ニフリトは我に返るように一歩離れて、胸元を両手で押さえた。

 彼女が深呼吸を二度ほど繰り返す間に、畳み終えた掛け布を寝台に置く。

「申し訳ありません。はしたない姿をお見せしました。──あの場で言及しようにも気を失ってしまったので、気が急いて」

「いえ、それよりもまず、貴方のお体は大丈夫なのですか?」

 椅子に座るよう促しつつマールス隊長が問うと、聖女ニフリトは素直に腰かけ、頷いた。

「体力的な消耗はありますが、魔力は問題ありません。気を失ったのは、ひとえに私の未熟さゆえでございます。騎士様も申し訳ありません。お休みが必要なところを、騒ぎ立ててしまい」

「いえ、実は肉体的な疲労はないのです」

「え?」

「セルツェ、今その話はいい。ニフリト様のお話を聞くのが先だ」

「そうですね、申し訳ありません。ニフリト様、どうか続けてください」

 俺が促すと、マールス隊長も頷く。

 聖女ニフリトは戸惑いからか俺たちを交互に見つめたが、隊長が改めて促すと口を開いた。


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