よみがえる野心
遠のく足音を聞きながら、再びマールス様と対峙する。
「さて、あとは純粋な疑問だけが私の中に残るわけだが……。魔導具が原因ではないというなら、お嬢さんが見せたあの馬鹿──すごい力は、一体なんなんだ?」
完全に馬鹿力って言おうとして言い直したというか、ほぼ言っていたというか──。
一応、女に対して使う単語ではないと思い直したのだろうが、いかんせんマールス様は単語の選び方が荒いというか、平民のようだ。
侯爵子息であるにも関わらず、これほど砕けた物言いが板についているのは、王立学園で思春期を過ごし、そのまま騎士になったからだろうか。
(一応、私が女だからか、一人称を『私』にしたりと、ご自身なりに品よくあろうとしてはいるみたいだけれど)
その切り替えを器用にこなせるタイプではないらしい。
かつての自分の周りには、「完璧な貴族」が揃っていたので、なんとも複雑な気持ちになった。
(前世の私が死んでから、単純計算で百年は経っているものね。貴族のありようも変化しているのかも?)
百年という単語に途方もない時の流れを感じて、少し不安になる。
混ざってしまった記憶を整理するためにも、一度過去と現在の変化を摺り合わせる時間を、自分の中で取らなければならないだろう。
「ラフィカ嬢?」
名を呼ばれたことで、いつの間にか逸れてしまっていた意識を引き戻される。
慌ててマールス様に向き直り、口を開こうとして──私は再び押し黙った。
素直に真実を告げるべきか、誤魔化すべきか、ずっと考えているが答えが出ないのだ。
魔導具の誤解が解けなかった場合は、問答無用で力を見せるしかなかったが、それが解決した今、選択肢は二つある。
(言ってしまえば良い気もするけれど、まだ発露したばかりで私という存在の有用性を上手く提示できる気がしないのよね)
そう、そうなのだ。
魔力が少ないという致命的な欠陥を補って余りある膂力を手に入れた──はずだが、私自身がその力を把握できていない。
つまり、「騎士団にスカウトすべきじゃないですか?」と自らを売りこむには、誇示できる要素がなさすぎるのだ。
めちゃくちゃ怪力です! と言えば最初は驚いてくれるだろうが、それだけで騎士になれはしない。
というか、加護の程度によっては私ごときの膂力など、強化魔法を肉体に施した屈強な男性騎士とそう変わらない可能性だってある。
万が一そうだった場合、赤っ恥だけかいて門前払いという最悪のパターンが待っている。
手にした能力をしっかりと把握し、いかに魔物と戦う上で活かせるのかを示してこそ、道は開かれるのだ。
(マールス様が私の可能性に期待して、育てるつもりで迎えてくれる──という可能性に賭けてみるのもありだけれど)
今は誤魔化しておいて、有用性を示せるよう能力を磨きつつ、冒険者として昇格し「ここに! スカウトすべき! 冒険者が! いますよ!!」と活躍したほうが、騎士になれる確率は圧倒的に高い。
(ああ、泉の女神の加護を発露したことで、諦めていた野心に火がっ)
私の中で、私が騎士になるための打算と計算が繰り返される。
しかしそれは、計算に必須である「能力の上限値」が欠落していることによって、空回りするばかりだった。
(やばい、今すぐ帰って実検したい)
「なにか、言えない事情でもあるのか?」
再び声を掛けられ、またしても自分の世界に引き込まれてしまっていたことに気づく。
さすがに無礼極まりない態度だったが、真剣な顔だったお陰で「答えあぐねて困っている」と受け取って貰えたようだった。
欲望にまみれていただけだが、その心遣いにがっつり乗っかる。
「いえ、その……そもそも答えようがない、のです」
「うん?」
伏し目がちに答えると、マールス様が片方の眉を器用に持ち上げた。椅子の背もたれに体を預けながら、先を促される。
「おそらくは、タイミングが良すぎたせいで誤解をされているのかと。私は身につけていた魔導具を利用した力しか、発揮しておりません」
「いや、しかしだな? 俺を含めた騎士三人がかりで抜けなかった角を抜いたんだぞ?」
「それこそ、騎士の方々が先に、角と癒着していた肉を剥いでくださっていたからだと思います。今思えば、命の恩人の危機に焦る余り出過ぎた真似をしたと、背筋が凍る思いです。角が抜けていなかったらと思うと、ぞっとします。死が迫る状況で、無駄な時間を浪費させてしまうところでした」
「……むぅ。最初に、セルツェ──ああ、あの串刺しにされていた騎士の名なんだが、セルツェを大角猪の頭ごと脇に退かしもしただろう?」
「それこそ、脇に逸らす程度であれば、魔導具で強化した膂力で充分です」
実際は持ち上げて脇に転がしているが、私の手元は死角になっていたから、マールス様にその違いを判断出来る要素はない。
一応、記憶を上塗りするように、身振りでひょいと脇に押す仕草をした。
方向を逸らすだけなら、さほど力が必要無いことを理解していないわけがないので、マールス様は押し黙った。
口元を左手で覆い、固く瞼を閉じる。
じわ、と目尻が赤くなった気がして、私は目を瞬かせた。
「マールス様?」
「いや、私はあのとき相当焦っていたんだな、と思い知らされて……恥じている」
赤くなっていると感じたのは、気のせいではなかったらしい。
見当違いではない指摘を勘違いだと誤解させた罪悪感はあるが、数年以内に優秀な騎士が隊に入るので許して欲しい。
「いえ、部下が瀕死の重傷を負っていたのです。平静でいられるよりは、人間味があって安心します」
「む。それで事態を見誤るようでは、隊長としては失格なんだが……」
一度言葉をきり、はぁーと盛大なため息をつく。
それを最後に気持ちを切り替えたらしく、再び向けられたマールス様の顔からは赤味が引いていた。
「なにはともあれ、ラフィカ嬢には本当に迷惑をかけた。私に可能なことであれば、なにか一つ詫びをさせてほしい」
見事な赤髪をくしゃりと乱しながら、どこかしゅんとした様子で提案される。
さすがにそれを受けるほど烏滸がましくはなれなくて、私は首を左右に振った。
「とんでもありません。命を救われたことに比べれば、此度の誤解など些事です」
「だが」
「ふふ、実を言いますと、マールス様とこうして対話できていることを、私は猛烈に喜んでいるのです」
「……喜ぶ? 私と話せて、か?」
「はい。騎士を諦めて冒険者になった身なので、魔物討伐部隊は私の憧れなのです。その憧れの部隊の隊長であるマールス様とお話ができるなんて、生涯の運を使い果たした気分です。誤解が晴れたからこそではありますが、濡れ衣万歳!! という感じです」
言葉と表情に喜色が滲んでしまった上に早口になってしまったが、嘘ではないということは伝わっただろう。
マールス様の表情から察するに若干引かれている気がするが、今はそれで構わない。
「お、おう……。騎士として、そう思ってもらえることは光栄だ。これからも、冒険者として精進してくれると有り難い」
「はいっ」
私が元気が良すぎる返事をすると、マールス様は微かに唇を笑ませつつ席を立った。それにならい、私も腰を上げる。
(ああ、奇跡の時間が終わってしまう)
酷く惜しい気持ちが湧いたが、数年後には彼を隊長と呼んでいるはずなのだからと、自分に言い聞かせた。
「本当に、詫びはいらないのか?」
城下町の西門まで私を送ってくれるという騎士を紹介してから、マールス様が念を押すように問いかけてくる。
どうにも彼の気が収まらないのだろうと知り、私は咄嗟に思いついた言葉を告げた。
「では、命の恩人であるセルツェ様に、元気になられたお礼をさせてほしいとお伝えください。その……お嫌でなければ、お食事でもと」
少し頬を赤らめて、斜め下に視線を落とす。
わざとらしい私の仕草に、マールス様は「お?」というわかりやすい顔で反応してくれた。
「あっ、お詫びの代わりにとお願いしましたが、命令はしないでくださいね!?」
ダメ押しもしておくかと、少し慌てたように付け足す。
マールス様の罪悪感を払拭するための餌にして申し訳ないが、実際に現れたとしても、本当にお礼をすればいいだけなので問題はない。
「ああ、わかった。必ず伝えよう」
こういう話題が好きなのか、酷く楽しそうな顔で、マールス様は私を見送ってくれた。
目くらましの魔法がある以上、付き添いを断るわけにもいかず、私は一人の騎士と歩いていた。
案内についてくれた年若い騎士は、一言で言うと「よくしゃべる男」だった。
ウニクス・スカシュー様。
私が萎縮しないようにと気遣ってか、そもそも騎士にはミドルネームを名乗る習慣がないのか、紹介された時に省かれてしまったので身分はわからない。
短く切りそろえられた明るいオレンジの髪と、栗色の瞳。その明るい色彩のままの性格なようで、様々なことをペラペラと喋っている。
主に、セルツェ様について。
まだ騎士になって半年であること。
元冒険者で、剣技も優れているが魔導師としても優秀であること。
雪林檎が好きだということ。
(私が気のある素振りを見せたのを見ていたから、気を遣ってくださっているのよね)
正直、どうでもいいというか、元冒険者から騎士になったとか羨ましすぎて、噛み締めた奥歯が砕けそう。
「あとはね、これ、すごく大事なことだと思うんだけど」
「まぁ、なんでしょう?」
殿方の詰まらない話を、さも興味津々だという体で聞くことなど、前世の記憶などなくとも造作もない。
ましてや後に同僚となる相手とあらば、好印象を抱いて貰っておくに限るので、私は全力で笑顔を向けた。
「あいつね、めちゃくちゃ美形だけど、女性に対しても引くほど愛想がないからモテないんだ! だから、安心してね!」
女にうつつを抜かす気がないと言われて、なにを安心すればいいのか。
というか、顔なんて殆ど見ていなかったので、美形と言われるとちゃんと見ておけばよかったと一瞬思ってしまったではないか。
(褐色の肌色が珍しくて、そちらに気を取られていたのが原因ね。悔しいわ)
私とて、年頃の乙女なのだ。美形は拝みたい。
「まぁ、そうなのですね。今は女性のことよりも、騎士としての使命を優先されているのかしら。少し残念ですが、立派な御方ですね」
とりあえず、私は今、ほんのりとセルツェ様に好意を抱いているという設定なので、当たり障りのない返事を返す。
だがこの一言が、とてもスカシュー様のお気に召したらしく、「絶対に行かせるからね!」と笑顔で確約されてしまった。
いや、正直に言えば、興味のない男との食事なんて面倒くさいのでやめてほしい。
愛想がないと言うのなら、尚更。
無理強いはしないでくださいと何度か念押しをしたが、私は知っている。
こういうタイプの人間が、お節介を自重しないということを。