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聖女とは仮の姿ッ  作者: 夜月ジン
魔神の残滓編
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巡りくるもの(2)

 その名を呼ばれた瞬間、意識がぐっと後ろに引っ張られる。

 軽い目眩を伴いながら、必死に目を凝らした視界には、私の後ろ姿があった。

 驚く間にそれはぐんぐんと遠ざかり、私から私を繋ぐ間に無数の光の帯が広がっていく。

 それらは星空、森、湖、見知らぬ都市、質素な部屋、豪奢なホール、薄暗い草むら──とにかく様々な景色を映し出していた。

 そしてそのすべてに、事切れた女の死体が転がっている。

 私の(・・)死体が、転がっている。

(ああ、そんな)

 脳内でありとあらゆる記憶が弾けて、チカチカと視界が明滅する。

 前後不覚になってふらついた私の首を、大きな手が鷲づかんだ。

「──っ」

 骨がきしむほどの握力に、思わず喘ぐ。

 息を吸おうとしたが、出来なかった。

「ビィスィ! 頼む逃げてくれ──ラフィカ!」

 間近で叫ばれた私の(・・)名前に、霞んでいた意識が呼び戻される。

 目を見開くと、私の首を掴む己の腕を、必死に引き剥がそうとするセルツェがいた。

「ラフィカ、頼む──っ」

『もう遅い、遅い、遅い! お前はまた、この女を殺すんだ!』

 奇妙な響きを伴った、掠れた低い声が、同じ口から紡がれる。

 セルツェの整った無表情は大きく崩れ、引き攣った笑みが口端を歪めていた。

 綺麗なアイスブルーの瞳が、暗い赤に穢されている。

 この瞳を、私は知っていた。

(どうして、すぐに思い出せなかったの!)

 己の間抜けさに、歯噛みする。

 何度も、何度も、何度も!

 この瞳を持つ様々な誰か(・・)に、殺されてきたというのに!

「──っ、シスル、ン!」

 世界に祈りとなって散った女神エテルノの思念でさえ、加護を与える者を選別するほど残っていたのだ。

 同等の存在だった魔神シスルンの思念が、残っていないわけがなかった。

 そして情けないことに、この答えに行き着いたのは、今回が初めてだった。

 いつだって私は、見知らぬ誰かに理不尽に殺されて人生を終えていた。

 身に覚えのない怨嗟の眼差しに戸惑いながら、殺されていた。

『前回は勝手に死なれて魂を見失ったが、まさか裏切り者と一緒に見つけられるとは。俺も運がいい! 今度こそ、魂もろとも握りつぶしてくれる!』

 高揚を隠さずに、シスルンが声高に笑う。

 その最中にも、ブレるようにセルツェの苦悩が見えた。

 彼も、思い出したのだろうか。

 彼も、同じだったのだろうか。

 何度も、何度も、この残りかすみたいな邪念によって、私に手をかけさせられてきたのだろうか。

 セルツェが今味わわされている絶望を思うと、いたたまれなくなった。

「冗談じゃ、ない」

 心臓ごと粉々に砕かれたビェスィの魂を、なけなしの力で集めてくれた女神の顔を覚えている。

 そこで、事の顛末を語られ、別れを告げられたことも。

 二柱の拮抗する力は反発しあい、先にシスルンが砕けた。

 魔神と成り果てたシスルンの力は神聖さを失っており、手駒としていたエメランを怨嗟から魔物に堕とし、そこから広がった瘴気が地脈を穢して世界中に広がった

 そのため、女神エテルノはひび割れていた己を癒やすのではなく、砕くことを選んだのだ。

 勝ち残った創世神として君臨するのではなく、世界を救うために散った。

 創世神たりえた女神の祈りは、瘴気を浄化する力となって世界に満ちた。

 女性に強くその力が顕現したのは、犠牲となった少女(ビェスィ)への悔恨からだろう。

 その結果、過酷な運命を少女達に背負わせたのは、皮肉としか言いようがないが。

 けれど、だからこそ。

 理不尽に殺され続けたこの魂に、かつてないほどの加護が与えられたのだ。

(今の私なら、この馬鹿げた連鎖を、断ち切れる)

 奇妙な確信が、私に勇気をくれる。

 少なからずあった恐怖を、決意が押し退けた。

『今度こそ、本当に最後だ』

 呪詛と歓喜に満ちた顔で告げながら、抗おうとしていた右手が私の首を掴んでいた左手から離れる。

 神の思念に、人の身で抗うのは難しい。

 それでも、セルツェは抗ってみせたのだ。

 前後不覚だったときに首を折られていたら、私とて死んでいただろう。

 彼の抵抗が私とシスルンの会話を生み、私の記憶を呼び覚ました。

 そしてだからこそ、シスルンは私の首を折るのではなく、別の選択肢を選んだのだ。

『俺の駒を誑かした罪を、その魂で購え!』

 かつてと同じように、私の心臓に向かって右手が突き出される。

 しかしそれは、私の体を微かに揺らしただけだった。

『!?』

 さすがに驚いたらしい男の右手を、ゆっくりと両手で掴む。

「悪いけど、今の私の肉体は、あのときの胸当てより頑丈なの」

 そう告げた私の顔は、おそらく聖女らしからぬ笑みを浮かべていたことだろう。

 何かを察してか首を掴む手の力が増したが、それよりも、私のほうが早かった。

第一の加護・浄化(さようなら)

 喉への圧迫で掠れてはいたが、まず間違いなく、最大限の威力を持って、神聖魔法が発動する。

 セルツェの体から瘴気が光の粒子となって噴き出し、シスルンの残滓は、一欠片も残すことなく大気に散った。

「この世界に、貴方はいらないわ」

 彼と女神エテルノのおかげでこの世界があるのだとしても、命を駒としてしか見ず、世界の安定よりも勝敗に執着した時点で、そもそも創世神として失格だ。

 人の身でこんなことを思うのはおこがましいのかもしれないが、この世界に生きる一つの命として、異を唱えないわけにはいかない。

「──ぉ、わ!」

 セルツェの腕から力が抜けて、持ち上げられていた体が床に着地する。

 力はあれど、バランスをとる間もなく倒れ込んできた長身男性を支えるには私は小柄すぎて、大きく傾いだ。

 そのまま押しつぶされる形で床に転がると思ったが、私も、セルツェも、倒れなかった。

 腰に回された腕と、咄嗟に踏み出された右足が、私と、彼自身を支えたからだ。

「セル──っ」

 名を呼びきる前に、驚くほど強い力で抱き締められる。

 耳元に押し付けられた唇が、何度も何かを言いかけては息を詰まらせていた。

「くすぐったいわ」

「──っ、すまない」

 思い詰めていたくせに、私の一言に狼狽して、情けない声を出す。

 それでも私を抱き締める腕が緩まなくて、笑ってしまった。

「セルツェ、私じゃなかったら、潰れてるわよ」

「! すまない」

 はっと息を詰めて謝るくせに、やはり腕が緩まない。

「すまない、すまない。ラフィカ……ビェスィ」

 密着した胸元から伝わってくる早い鼓動は、抱擁からくる甘い物ではないことを、微かに震えている体が教えてくれている。

 思い出してしまった以上、愛する人を手にかけた記憶に苦しむことになるのかもしれない。

 けれど、しっかりと切り離して考えてもらなければ、病んでしまう。

 そのことを伝えたくて、私も彼の体に両腕を回した。

「謝らないで、セルツェ。私は私だし、貴方は貴方だわ」

「──しかし」

「なぁに? じゃあ貴方は、私がビェスィと同じ魂を持っていたから、好きになったとでも言うの? 私に、貴方をシシィ(・・・)と呼んで欲しい?」

「違う!」

 予想外の勢いで体を剥がして、強く否定してくる。

 ようやく再会できたアイスブルーの瞳が愛しくて、目元を指先で撫でた。

「だいたい、君に惹かれたのは記憶がない時だし、戻った今でも、俺が惹かれたのは、他の誰でもなく君だ」

「なら二度と、かつての記憶のことで、私に謝らないで」

「……わかった」

「誓って」

 未だに陰る表情に渇をいれたくて、より強い約束を求める。

 セルツェは息を呑んで、私がどれほど強くそれを願っているかを。そして、彼を心配しているかを理解したようだった。

 気持ちを切り替えるようにゆっくりと目を閉じてから、一歩下がって膝をつく。

 そこまでは求めていなかったのでやめさせようとしたが、手を取られて見上げられ、身動きがとれなくなってしまった。

 凍った湖面のように美しい瞳から伝わってくる痺れるような熱に、魅入られてしまう。

「不安にさせて、すまなかった」

「ちが、不安だったんじゃなくて、不満だったの!」

「ラフィカ。俺は、君が君だったから、好きになったんだ。愛している」

 真摯な告白に、見る間に顔が熱くなる。

 猛烈な恥ずかしさと同時に、奇妙な安堵があることに気づかされて、思わず唇を噛んだ。

(今の今まで鈍かったくせに、ここで私より私の気持ちを理解するとか、ずるくない!?)

 私はどうやら、彼を心配する傍らで、不安にもなっていたらしい。

 世界を変えようと決意するほど惹かれ合ったことを思いだしてしまったがゆえに、無意識に今の私に対する彼の気持ちを疑った。

(だから私、過去を気にする彼の態度に、苛ついてもいたのね)

 瞳が潤むほど熱くなった頬を、片手で押さえる。

 手の甲に熱を移そうとしたが、なんの意味もなさなかった。

「へ、返事は、すぐじゃなくてもいいって」

「君は俺と違ってわかりやすいから、我慢できなくなった」

「なっ」

 驚いたところで、セルツェが立ち上がる。

 思わず逃げた一歩より大きく踏み込まれて、あっさりと抱き込まれてしまった。

 大きく見上げた私を見てから、一瞬考える間を経て、ひょいと抱え上げられる。

「せ、セルツェ」

「キスをしても?」

 その一言で、なぜ抱え上げられたのかを知り、私の顔から火が出た。

 絶対に出た。たぶん。

 両手で顔を覆ったのに寄せられた唇が、己のわかりやすさと彼の確信を物語っている。

 実際、私はその口づけを拒むことなどできなかった。

 だって、私だって、セルツェを愛している。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

やっとここまで書けました。

よろしければ、星や評価をいただけると嬉しいです。

次回、最終話です。

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