巡り来るもの
「──へぁ?」
セルツェが部屋を後にしてから、十分はただ扉を見つめたまま突っ立っていた気がする。
突然の告白への驚きが、爪先からじわじわとせり上がり、ようやく頭に届いたことで出た言葉が、先ほどの間抜けな一言だった。
けれどその一言をきっかけに、唇から言葉が零れ出す。
「え、ええと、え? セルツェが、私を、好き? え?」
見目は文句なく麗しく、けれど感情表現が苦手な、ちょっと可哀想な男の人。
少しずつ、中身の誠実さや優しさを知って、それを理解してくれる女性が現れると良いなと思っていた。
最初は、間違いなくそう思っていた。
「セルツェが、私を──? 私が、彼をじゃなくて?」
口に出して先ほど告げられた言葉を反芻しても、頭が混乱する。
今はそんな余裕などないと押し退けたのは、セルツェに惹かれている自分を自覚していたからに他ならない。
成し遂げたいことを成し遂げるために、彼への気持ちに心を占められてしまわないようにと、意識を逸らした。
そして邪竜討伐を成した今、その達成感と反省点とで気持ちが一杯だったところに、不意打ちかつ予想外の一撃を見舞われて、呆然としている。
「……彼が、私を好いてくれている可能性なんて、全然考えてなかった」
人として好感を抱いてくれているとは思っていたが、それは友人としてだとしか思わなかったのだ。
淡い恋心を自覚していた頭ですら、微塵もその可能性を想像すらしなかった。
「だって、彼の前での私って──えぇ?」
どんなに思い返しても、女性らしさとはかけ離れた行動しかしていない。
というか、大抵、杖で魔物を殴り倒すか、怪力を披露している場面しか思い出せない。
あんな姿を見せられて、一体、私のどこに惹かれてくれたのだろうか。
「……セルツェって、頭がおかしいのかしら」
混乱するあまり失礼なことを言いつつ、思考が回り始めたからか、そわそわしてじっとしていられなくなる。
手を口元に持ってきたり、無意味にソファの周りをぐるぐる回ったりしているうちに、心の隅に置いていた箱の蓋が唐突にぱかっと開いた。
途端、筆舌に尽くしがたい羞恥と喜びに肌が粟立つ。
思わず身震いして、大きく息を吸った。
混乱から抜け出した思考が、先ほどの彼の様子を反芻させる。
生真面目な態度はいつも通りだったのに、なぜか、彼の緊張と好意が、肌で感じとれるほど伝わってきていた。
だからこそ、本気だとわかったし、だからこそ、混乱したのだ。
(信じられない。セルツェが、私を、好いてくれてる!)
先ほど吸った空気が、奇声となって出てきてしまいそうになる。
慌ててソファからクッションをひっつかんで、顔に押し当てた。
「──っ──っ!!」
民衆の前に出るからとしっかりされた化粧のことなど、気にする余裕はない。
奇声をクッションに吸わせても高揚が収まらなくて、寝室に駆け込んでベッドにダイブした。
そのまま気の済むまでのたうちまわり、衝動を発散させる。
かつての自分ならクッションをもみくちゃにしていただろうが、今の私では八つ裂きにしてしまうので、ぎゅうと抱き締めるに留めた。
落ち着くために、深呼吸を繰り返す。
何度目かで、ようやく煮えるようだった思考が落ち着いてきた。
「────あら?」
ふっと意識が戻り、自分が眠ってしまっていたことを知る。
失念していたが、疲弊はしていたので、うつ伏せのままゆっくりと深呼吸を繰り返している内に眠ってしまったらしい。
すっかり落ち着いている心を確かめるように大きく息を吐き出してから、むくりと起き上がった。
乱れた髪を手で梳き上げて、もう一度息を吐く。
冷静になったせいで、誰も見ていないのに少し恥ずかしくなった。
窓に目を向けると、すっかり日が傾いていた。
まだ少し熱い頬の熱を手のひらに吸わせながら、ベッドから下りる。
姿見の前に移動し、ローブの乱れを直していたところで、居間の扉が開かれる音がした。
(え?)
ノックもなしに誰かが扉を開けたことに、驚きと強い警戒が湧き上がる。
訝しみつつ寝室から居間を覗くと、見慣れた女性が立っていた。
私の世話をしてくれている、部屋付きの侍女だ。
(ドゥガ? どうしてノックもせずに)
彼女じゃなければ、部屋の掃除に来たのだろうと思ったかも知れない。
本来であれば、私はまだ部屋に戻っていないはずだから。
しかし、彼女は先ほどお茶と軽食を用意してくれているので、私が部屋にいることを知っている。
「ノックもなしに、侍女が客人の部屋に入るなんて。何を考えているの?」
正体を知ったことで、警戒よりも不快感が勝り、叱責する言葉が口をつく。
私の言葉に反応して、部屋を見渡していたドゥガがゆっくりと振り返った。
目が合った時の違和感を、どう言葉にしていいかわからない。
ただ、先ほどとは違う意味で、肌がざわりと粟立った。
「みつけた」
彼女の唇から零れたのは、低く、暗い、男の声だった。
驚きに目を見開いた私を見て、ドゥガが蔑むように目を細めた。
「勝手に死ぬから、捜すのに苦労したではないか。お前は本当に、私の手を煩わせる」
「何を、言って」
ドゥガから男の声が出ている違和感もすごいのに、発言まで意味不明となると、恐怖しかない。
「貴方は──」
誰と問う前に、視界がぶれた。
「うっ」
息が詰まる衝撃を背と頭に受けて、驚く。
彼女の背景が飾られていた絵画から天井に変わったことで、飛びかかられて床に倒れたのだとわかった。
驚きを言葉にする前に、首に細い指が絡む。
私に馬乗りになったドゥガが、両手で喉を強く圧迫してきていた。
呼吸を妨げられた苦しさで、眉間に皺が寄る。
(ああ、なるほど。頑丈になってるだけだから、首は普通に絞まるのね)
妙な冷静さを発揮しつつ、逆光に陰る彼女の顔を改めて見上げる。
瞳の奥に暗い赤色の輝きがあり、彼女がいつもの彼女ではないことを物語っていた。
(誰かが彼女に化けているのか、彼女が操られているのか)
魔法の知識が乏しいせいで、見抜けない。
己の無知さを悔やみつつ、彼女の手首を引き剥がすために掴む。
「貴方は誰かと、聞いてるんだけど!?」
手を引き剥がすと同時に起き上がり、押し倒し返す。
赤い瞳が微かに見開かれ、表情が歪に歪んだ。
「ちっ、今世は余計な加護を得ているな? 忌々しい女め!」
「今世? ──っ」
告げられた言葉に気を取られた途端、腹を蹴り上げられる。
ダメージはないが体は軽いため、私はあっさりと壁際まで吹っ飛んだ。
棚の上に飾られていた花瓶やら小物ならをなぎ倒し、派手な音をたてて床に倒れ込む。
「いっ、つ」
痛くないのに、状況で声が出てしまった。
顔を上げると、ドゥガがゆっくりと近づいてくる。
本当に、意味がわからなかった。
この、ドゥガではない誰かは何者で、私を狙う理由はなに?
(なにがどうなってるの?)
混乱しつつも、状況を把握するための言葉を必死に捜す。
「答えなさいよ。貴方は誰? 何者かと聞いた方がいい?」
手が届く一歩手前まで来た何者かを、声音で牽制する。
ドゥガは足を止めたが、眼差しは憎しみを込めて私を睨んでいた。
「誰、だと? 前世で勝手に死んだだけでは飽き足らず、ようやく捜しだして会いに来てやった俺が誰かわからないとは──!」
「──っ」
私の目では追いきれない素早さで、再び首を掴まれる。
壁に押し付けられた背中がずり上がり、足が浮いた。
「──っ、離してっ」
ばたつかせた足に蹴られて怯んだ体を、思い切り突き飛ばす。
ドゥガは蹈鞴を踏んで、そのままテーブルを巻き込みながら床に倒れた。
水差しの破片で切った腕から、なぜか血が零れない。
それは少なくはない動揺を、私にもたらした。
「貴方、なんなの……その体は、ドゥガのものじゃ、ないわよね? 貴方がドゥガに、化けてるのよね!?」
短い期間ではあったが、ドゥガは本当に気の利く、良い侍女だったのだ。
数えるほどしか見たことがないのに印象的だった、柔らかい微笑みが脳裏を巡る間に、無情にも、傷口から微かな瘴気が漏れ出す。
それは瞬く間に傷口を焼き爛れさせた。
「ああ、そんな」
瘴気で爛れるということは、肉体は人間のものだということだ。
ドゥガの内側に、魔物が入り込んでいる。
「ちっ、この器じゃダメだな」
零された言葉に怒りが湧いた瞬間、勢いよくドアが開かれる。
驚きに視線を向けると、見慣れた男がそこに立っていた。
「セルツェ?」
「ラフィカ! 今の物音は何だ!?」
城内を巡回しているであろう騎士よりも先に駆けつけてきた事に面食らっていると、問うよりも先に説明してくれた。
「夕飯を一緒にと思って誘いに来たんだが、派手な物音がして──」
なるほど。
危機的状況と判断し、ノックなしで飛び込んできたらしい。
しかしセルツェは、床に倒れこんでいた侍女を見て面食らったようだった。
「なにが──」
私に状況を問おうとして視線を向けた瞬間、ドゥガがセルツェに飛びかかる。
「これはいい! お前も近くにいたか!」
そう告げて高らかに笑った顔のまま、ドゥガの瞳から光が消える。
同時に赤黒い影が彼女から噴き出してセルツェに絡みつき、瞬く間に内側に潜り込んでいった。
「なん──っぅぐ」
驚愕に目を見開いたまま、セルツェがその場に頽れる。
「セルツェ!」
駆け寄ろうとしたが、床に倒れたドゥガの肉体が瘴気となって弾け、阻まれた。
衝撃と悲しみに、心を持って行かれそうになるが、奥歯を噛み締めることで堪える。
「っ、第一の加護・浄化!」
咄嗟に浄化し、再びセルツェに近寄ろうとしたが、今度は彼が突き出した手によって、接近を阻まれた。
額にびっしりと脂汗を滲ませ、顔面を蒼白にしたまま、セルツェがゆっくりと首を振る。
「だめ、だ。ラフィカ」
「セルツェ──」
「おもい、だし、た。思い出した」
こめかみから頬を伝った汗が顎から落ちて、絨毯に吸い込まれる。
己の体が動くのを全力で阻止するように全身を震わせながら、セルツェが絞り出すように叫んだ。
「逃げてくれ、ビェスィ!」
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
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