唯一無二の特別製
「え?」
目を瞬かせながら、マールス様が間の抜けた声を出す。
「ですから、違法性はありません」
丸眼鏡のブリッジを手の甲にある節で器用に持ち上げながら、魔具師の男は同じ言葉を繰り返した。
マールス様の背中をとぼとぼと歩いて辿りついたのは、簡素な宿舎だった。
ハウヴェンの森のどこかなのだろうが、目くらましの魔法が所々にかけられていたようで、町からどれくらいの位置でどの方角にあるのかも、さっぱりわからない。
てっきり町に戻ると思っていたので、内心焦りつつも、城内に入れるのではと期待した心を返して欲しい。
裏切られた気持ちでいる間に、建物の外見からは想像できないほど質の良い調度品で整えられた部屋に通され、小一時間ほど待たされた。
そうして、一人の男を連れてマールス様が再び現れ、現在に至る。
「付与された魔法に、違法な効果を発揮するような改変は見受けられません」
綺麗な栗色の髪を三つ編みでまとめた、几帳面そうな顔立ちの男がきっぱりと告げる。丸眼鏡の奥の榛色の瞳が、少し気怠げだ。
名乗られていないし、名乗るつもりもないようなので、名前は知らない。マールス様も自己紹介を促しはしなかった。
(まぁ、客じゃあないものね)
罪には問わずにいてくれると言われはしたが、一応、マールス様の中で私は違法物を扱っていた犯罪者だ。
ましてや平民でもあるので、払う礼儀など皆無と言っていい。そう考えれば、むしろ丁寧に扱われているくらいだろう。
実際、まったくもって濡れ衣なので、この紳士さが後々の彼の義心を救うのだろうけれど。
丸眼鏡の男の左手には私の腕輪。右手には美しい魔紋がびっしりと刻まれた、二十センチほどの長さの水晶杖を持っている。
姉も同じ物をもっているので、この男も魔具師なのだろう。
「むしろ、この付与魔法では、戦闘に用いるには少し効果が弱いかもしれません。そのお嬢さんに使用限定されてもいるようですし、おそらく、まだ若い彼女の負担を考慮したものでは?」
「待て、待て、そんなはずは──」
焦りだしたマールス様からほんの少しだけ視線をずらして、前庭が望める窓に視線を流す。
庭と言っても木陰を作るための木が数本植えられている程度で、全体的に広場というか、練兵場の様相を呈していた。
そしてその場所には今、巨大な角が二本、無造作に転がっている。
他にも爪やら牙やら毛皮やらが生々しい痕跡を残したまま並べられており、何人かの騎士が必死に最低限の処理をしているようだった。
更にその背後には、分割されてもなお山のような肉塊も存在している。
(……大角猪よね、あれ)
角や肉塊から大きさを想像できるはずなのに、脳が拒絶する。
私を襲った個体も脇に転がされていることで、その異常さが際立っていた。
(あの個体だって、普段見かけるやつの倍はあったのに)
だからこそ騎士団が討伐に出ていたのだろうけれど、まさかこんな形でその仕事の一端を垣間見ることになるとは。
けっこう。いや、かなり情けない。
救いなのは、誤解は解けそうだということくらいだ。
「頼む、もう一度ちゃんと視てくれ。違法性が立証できないと、罰せられない。ただでさえ魔具師として恥ずべき行為をしているのに、こんな歳若い少女を実験台にしたクズを放置していいと思ってるのか!?」
マールス様の言葉に、思わず目を見開く。
この方は違法性云々よりも、私自身を心配して、私を捕まえたのだ。
酷く真剣な顔で丸眼鏡の魔具師に迫る姿に、こそばゆい好感を抱く。
正しく若者を護ろうとしてくれる大人の、なんて頼り甲斐のあることか。
「そう言われましても……」
「なんでもいい、気になることを教えてくれ」
近づきすぎたマールス様の顔から背を逸らしつつ、魔具師の男は丸眼鏡の位置を直す。
再びくるりと腕輪を回すと、諦めたように息を零した。
「気になるというか、悔しいことなら一つ」
「悔しい?」
予想外の単語が出てきたからか、マールス様の気迫が緩む。
前のめりになっていた体を戻し、目の前に掲げられた腕輪に視線を向けた。
「悔しいとは、どういうことだ」
「そのままですよ。この魔導具を作った魔具師は──私より腕が良い」
「……は?」
再び呆然としたマールス様を尻目に、私は笑みそうになった口端を隠すために勢いよく俯いた。
誇らしさが胸に満ち、噛み殺そうにも喜色が口元に滲んでしまう。
(そうでしょうとも! そうでしょうとも! それを造ってくれたのは私の姉です!!)
姉の姉による私の為の魔導具!
愛情たっぷり唯一無二の特別製!
「優秀な魔具師には最高の素材を扱わせるべきですから、国で雇ってはどうでしょう? 無理ならば専属契約だけでも結ぶべきかと」
「……待て、待ってくれ。状況が飲み込めない」
とうとう額を手のひらで押さえて、マールス様は手近にあった椅子を引いて腰を落とした。
なんとなく可哀相になって、案内されたときから用意されていたポットから果実水を杯に注いで渡す。
マールス様は呆然としつつもそれを受け取り、口を付けようとしたところではっと我に返った。
「──飲むかと思いました」
ぼそっと呟いたのは、魔具師の男だ。
毒が仕込まれていようがいまいが、飲むのを止めなかったであろう顔をしつつも、いつの間にか私の背後に立っている。
(こわ。いや、この状況と立場で飲み物を差し出した私も馬鹿ね)
「申し訳ありません。他意はなかったのですが、立場をわきまえるべきでした」
椅子から立ち上がる──のはこの場合は空気を刺激するだけなので、座ったまま素直に謝罪すると、マールス様は困ったように眉尻を下げた。
持て余した杯を何度か揺らしてから、そっとテーブルに置く。
「罪を認めたからこそ沈黙しているのだと思ったが、違うな? 何を誤魔化そうとしている」
「誤魔化そうとしているわけではなく、誤解が解けるのを待っております」
「ああ、なるほど。誤解を解くための真実を語ることも、疑われている段階では躊躇われた──と」
どこか楽しそうに、魔具師の男が口を挟む。
「どういう……いや、そうか。そうだな。私とお嬢さんの立場なら、私はお嬢さんの白を黒にできる」
マールス様は己の勘違いに対して、「恥をかかされた!」と逆ギレするタイプの貴族ではないと予想はできたが、予想は予想だ。
確信が持てない限り「誤解です。姉が作ってくれたごく普通の魔導具です」などとは口が裂けても言えない。
万が一が起こったとき、カナリス姉さんまで濡れ衣で罰せられてしまう。
「……私の勘違い、なのか……? いや、ともかく、魔導具は違法物ではなかった。私はまずそれを理解し、お嬢さんを犯罪者扱いしてしまったことを謝罪するべきだな。申し訳ない!」
あまりにも自然に立ち上がり、流れるように謝られてしまう。
その衝撃がすさまじすぎて、思わず跳ねるように立ち上がり、声を張り上げてしまった。
「なっんて、軽率な!」
「え?」
私は今日、何度マールス様のこの間抜けな顔を見ただろうか。次男とはいえ、さすがに侯爵家としての自覚が甘いのでは?
「曲がりなりにも侯爵家の男が、簡単に頭を下げるものではありませんっ。そもそも、貴方はころころと顔色を周囲に見せすぎです!」
手に扇子を持っていたら、眼前に突き付けていたであろう勢いで叱りつけたあとで、自分の目の前に誰がいて、ついでに自分が誰なのかも思い出す。
(ああああああああああ! 前世の無駄に完璧だった侯爵令嬢としての誇りがぁあああああ! でもだってお父様に恥をかかせるような身内など万死に値すると思って日々精進をしてきたわたくしが違うわたくしじゃない今の私は薬師の娘ッ──)
頼むから、もっと前に──できれば椅子から飛び上がったあたりで、自分が誰なのかだけは思い出したかった。
冷や汗をだらだらとかきながら、完全に目を丸くしたまま沈黙しているマールス様と対峙する。
静まりかえった室内で軽いパニックを起こしていると、くっくっと押し殺したような笑い声が背後から届いた。
もうなんでもいいから空気を変えてくれという気持ちで、振り返る。
「マールス、貴方……こんなに大きい娘がいたんですね!」
「いや違うぞ!?」
「誤魔化さなくていいですよ。今の物言いなんて、奥方様にそっくりじゃあないですか!」
涙目の私の視界に、魔具師の男は救世主に見えた。
もうなんでもいい。さっきの発言を誤魔化せるなら!
「それです。そんな気がします。きっと奥方様が私に言わせたんです! なんかこう、魔法的な力で! あ、冗談で言ってくださったのだとは思いますが娘ではないです! 畏れ多いです! 光栄ではありますが!」
思考を放棄した言い訳を思いつくままに早口で告げると、今度こそ魔具師の男は口を開けて笑った。
腹を抱えて、眼鏡の隙間から目尻に滲んだ涙を撫でる。
(泣くほど笑わなくても──っ)
恐ろしいほど滑稽な自覚はあるが、恥ずかしさが増すからやめてほしい。
「……はぁ、もう。なんだこの茶番は」
完全に脱力した様子で、マールス様が再び椅子に沈む。
そのまま手元にあった杯を煽ったので、驚いてしまった。
目が合うと、少し気まずそうに微笑まれる。
「すまなかった。私の勘違いを、お嬢さんが恥を掻くことで誤魔化してもらってしまった」
「…………いえ」
まったくもって違うが、結果としてそれで収めるのが平和だろう。
仕草で座るよう促されたので、多少ギクシャクしつつも再び腰を下ろす。一度目が合ったあとで、マールス様の視線が斜め上に逸れた。
振り返ると、戸口に魔具師の男性が立っている。
「はぁ、久しぶりに笑わせてもらいました。私の貴重な時間を無駄にした報いをどう受けさせてやろうかと思っていましたが、今回は免除してあげます」
では、と手をひらりと閃かせて、魔具師の男は立ち去ってしまう。
扉が半分開けられたままであることが、私が犯罪者ではなく客人になった証拠だった。