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聖女とは仮の姿ッ  作者: 夜月ジン
魔神の残滓編
69/72

夢のあとさき(2)

 階段の踊り場で足を止め、思わず壁に手をつく。

 大きく息を吸い込んでから、ゆっくり吐いた。

「待ってください。貴方は、俺を人間だと言いましたよね?」

「言った。それは間違いない」

「でも、俺は……赤斑だったんですよね?」

 そう。母がスィンスス様に語った真実。

 二十年ほど前、大規模な魔物の殲滅作戦があり、母は聖女の一人として同行した。

 そして、場を浄化して回っていたところで、まだ生まれたばかりだった俺を見つけたらしい。

 魔物とはいえ赤子。

 戦闘に巻き込まれて瀕死だった俺に、母は思わず治癒魔法をかけた。

 するとなぜか、角以外は人間の姿の赤子になったんだそうだ。

 母は驚愕したが、隠して連れ帰ることを選んだ。

 報告すれば、見目がどうあれ魔物だと判断され、殺されてしまうと思ったそうだ。

「なんて、愚かな」

 一歩間違えば、成長した俺が、母を殺していたかもしれない。

「そう言うな。その愚かさと慈愛のおかげで、お前は今、生きているのだから」

「……結局、俺は魔物なのか、人なのか。どういうことなんです?」

「人だと言っているだろうが。エメランの子だ」

 翼を広げて肩から離れ、スィンスス様が目の前に移動してくる。

 凍った湖のような瞳が、静かに俺を見つめていた。

「では、母が勘違いを?」

「違う。赤斑が、元はエメランだったのだ」

「……え」

「邪竜だった我と同じよ。濃い瘴気によって、魔物に変異させられてしまったのだ」

「それはつまり、赤斑はすべて人間だということですか……?」

 今まで倒してきた魔物の姿が脳裏を過り、血の気が引く。

 知能が高いとはいえ、意思疎通ができるほどではなく、人を襲う。

 まごうことなき魔物であり、脅威だった。

 それでも、元は己と同じ人間だったと言われて、平静ではいられない。

 素材として、その角や歯牙を使ってすらいるのだ。

 胃の底から湧き上がってきた吐き気に、思わず口元を押さえる。

 そんな俺を落ち着かせようとしてか、スィンスス様が翼をひろげて俺の頭を抱え込んだ。

 そこでようやく、翼の羽ばたきで浮遊しているわけではないと知る。

 翼によって光を遮られた空間の中でも、瞳の奥がキラキラと輝いていた。

「すぐには割り切れるものではないだろうが、赤斑は魔物だ。あれは最早、エメランとはほど遠い。人ではなくなって、何百年も魔物として存在してきた、まごうことなき別の生物だ。出かけていたとき、確認してきた。たとえラフィカが赤斑に蘇生や治癒をかけようとも、人の姿になったりはせぬ。元素生物である我とは違い、大地(ほし)に根付いた血肉と魂を持つものだからな」

「……では、なぜ、俺は──」

 なぜ? と、絞り出した声が掠れる。

 喉の奥が酸っぱい。

 それを誤魔化すように、何度も唾を飲み込んだ。

「正直、わからぬ。生まれたての赤子だったことは一因かもしれんが、それ以外にも何か強い、別の因果があったのだろう。なければ、人の姿になりはせぬ。あれは──赤斑は、元はエメランだったとしても、存在そのものがもう違う」

「因果」

 翼に囲われた狭い空間に響くスィンスス様の声は優しく、俺の心を落ち着かせてくれる。

 俺の動揺が収まったのを見計らったように、スィンスス様は離れた。

 俺は壁から手を離し、自らの体を自らの足でしっかりと支えて立つ。

 気持ちを切り替えるために、背筋を伸ばし、三度、深呼吸をした。

(時間はかかるだろうが、割り切れる。俺とて、数多の人たちの命を奪ってきた赤斑と、同族だなどとは思いたくない)

 ひとまずの答えとしてそう己に言い聞かせ、最後の一呼吸をする。

 しかしなぜ、人だった存在が、人を襲う魔物と成り果ててしまったのか。

「……魔神の呪い。魔神とはなんなんです? さすがに、説明して貰わないと、気が狂いそうです」

 真っ直ぐに見つめながら告げると、スィンスス様は少しだけ目を伏せた。

「……魔神シスルン。その名が語り継がられなかったのは、すでに滅んでいたことと、存在そのものが忌避されたからだろう。だからこそ、女神エテルノの神殿に行ったのだ。あそこであれば、あそこにだけは、当時の真実が遺されているだろうと」

「そして、そこには母がいた──と。赤斑の生態研究を突き詰める過程で、行き着いたんでしょうか」

「そうだ。我は魔神の痕跡を追って、かの聖女は赤斑の正体を追って、あの神殿を訪れた。何百年、何千年の昔に淘汰された糸を掴んだ執念に、我は感謝せねば。書物はすでに集められ、閲覧できる状態だった。数千年前の文字の解読に手間取っていたようだな。母の愛とは、偉大だ」

 邪竜討伐の前に会いに行ったとき、あと少しで答えが出そうだと言っていた。

 その最後の一押しを、スィンスス様の知識が解決してくださったらしい。

「書物に、赤斑の元がエメランであると示す記述はあったのですか?」

「ああ」

「では、母も、俺の正体に辿り着いたのですね」

「そうだな。というか、そこまでは自力で解読していた。だが、エメランが何かわからなくて、行き詰まっていたようだ。当時からしたら、エメランはエメランで説明がつく存在だったからな。人間の種族だと、我が説明してやった。生体の研究をしていたからだろうが、お前よりもあっさりと、赤斑とエメランを切り離して認識できていたぞ。まだ迷うようであれば、後で母に説明を乞うといい。いかに赤斑とエメランが別の生物か、説明してくれるだろう」

 言われた瞬間、優しいが、頑固な母の渋面が浮かぶ。

 赤斑と己の存在に混乱し、吐きそうになったと言ったら、心底呆れられそうだ。

「……途中から説教になりそうなので、遠慮しておきます」

「そうか。して、話を魔神に戻す前に一つ確認したいんだが、お前だけが赤斑からかつての姿であるエメランに戻れた原因に、心当たりはないか?」

「心当たり、ですか? なぜ」

「事の経緯を知ってから、注意深くお前を観察してみたのだ。すると、お前の魂に、女神エテルノの気配がある。彼女の加護は、女にのみ与えられている。にも関わらず、我はお前に彼女の気配を感じるのだ」

「俺に、女神エテルノの加護が?」

「いや、加護というより、気配の欠片のような。我はそれが引っかかってな。これは我の推測でしかないが、お前の魂を女神エテルノが気にかけている。それはつまるところ、魔神シスルンとお前との関わりを示している気がするのだ」

「? なぜ急に魔神の話に? 申しわけありませんが、貴方が何を言っているのか、俺には理解しがたい」

「ああ、すまん。お前達に伝えられているのは、創世神エテルノの神話だったな。ならば、急な話題に感じても仕方がない」

「そうおっしゃられるということは、真実は違うと?」

 創造の源である混沌を、女神エテルノがかき混ぜた。

 すると一つ目の渦から火と雷が弾け、二つ目の渦から風と水が溢れた。

 三度目の渦が土となってすべてと混ざり、この世界が生まれた。

 そう、創世神話では語られている。

 けれどスィンスス様の口からは、魔神シスルンという未知の存在が示されている。

 つまり、それは──。

「女神エテルノと、魔神シスルンには、どういう関わりが?」

 思いがけず、世界の根源に至った話に、声が震える。

 現実感がなく、思わず足を踏ん張ってしまった。

 そんな俺を、静かな眼差しが見つめる。

 ひと呼吸置いてから、スィンスス様は語り始めた。

「結果として魔神に堕ちたが、元はシスルンとて偉大な神の一柱だったのだ。彼は女神エテルノと創世神としての立場を争った、兄神だ」

「兄? 女神エテルノと魔神シスルンは兄妹ということですか? 兄妹で争い、女神エテルノが勝利したと?」

「正確には、勝利とは言いがたい」

 兄妹神の創世を巡る争い。

 二柱は創造の源である混沌を取り合った。‬

 一度目の衝突で 火と雷が弾け‬。

 二度目の衝突で 風と水が溢れ‬。

 三度目の衝突で 砕けた混沌が土となって総てと混ざり、命が芽吹いた。

 どちらが世界を創るかで争っていた兄妹は一度手を止めるが、今度はどちらが世界の主かを巡って再び争う。‬

 一度目の戦いで、互いでは勝敗がつかぬと悟った二人は、世界に生まれた命で争うことにした。‬

 妹は、力も魔力も弱いが数と多様性に満ちたヒュランを選び、兄は数こそ少ないが魔力と魔法の扱いに優れたエメランを選んだ。‬

 優劣は川を流れる木の葉のようにくるくると変わったが‬、ヒュランに寝返ったエメランが出たことで、状況が一変する。

「……寝返る? 神の意志に、叛するものが出たと?」

「そうだ。とあるヒュランの少女と、エメランの青年が恋に落ちたのだ。二人は互いを愛する心を支えに、和平への道を探しはじめた」‬

「……恋」

 思わぬ展開に面食らったが、だからこそ、誰かが誰かを愛するという気持ちがどれほど大きいかを思い知らされる。

 たった二人の男女が、神の代理戦争に異を唱え、世界を変えようとしたのだ。

「女神エテルノは、その二人をみて我に返ったようだった。己の愚かさを恥じ、戦によって傷ついた大地を癒やすための力を、我ら元素生物に与えてくださった。そして、兄神と和解しようとしたのだ。──我が把握しているのは、ここまでだ」

 そう告げて目を伏せたスィンスス様の姿は、とても悲哀に満ちていた。

 僅かな沈黙が重すぎて、思わず口を開く。

「和解は、成らなかったんですね?」

「そうだ。そしてここからが、神殿に残っていた書物に記されていた記録だ。兄神シスルンはエメランの裏切りを許さず、その怒りによって魔神に堕ちた。己に従わぬ世界など不要と、エメランを呪い、世界を呪い、地上を蹂躙し始めたらしい」

「ああ、それで、エメランは──」

 皆まで言えず押し黙った俺を一瞥してから、スィンスス様は言葉を続けた。

「反転してしまった兄神を止めるため、女神エテルノはすべての力を振り絞ってこれを討った。しかし、その際に砕けた魔神シスルンの力は憤怒を宿したまま瘴気となって地上に降り注ぎ、魔物を中心に変容や凶暴化という影響を与え始めた。それに対抗する力が残っていなかった女神エテルノは、同じように己の身を砕くことで、人間達に力を与えようとしたのだ。しかし、純粋な力では、より混沌に近い魔物に吸われてしまうことに気づき、祈りによって神聖魔力という加護に変化させたのだ」

「なるほど。その祈りが、世界を魔物から救う術となり、聖女を生み出したのですね」

「聖女という存在を、我は当然知らなかった。だが、あの娘を一目見て、女神エテルノを思い出した。あの娘の中は、女神エテルノの慈悲と懺悔に満ちている」

「懺悔、ですか」

「代理戦争をさせたことを、心から悔いていたのだろう。彼女の加護が女にしか宿らぬのは、最後の祈りのときに、己を我に返らせた、ヒュランの娘を想っていたからかもしれんな。記されてはいなかったが、エメランの青年との末路が、平穏なものだったとはとても思えぬ」

「…………」

「とにかく、滅してなお世界を呪う魔神と、因果で繋がっている可能性があるお前という存在が……我にはどうにも」

 そう言葉を切って、スィンスス様が身じろぐような仕草をする。

「杞憂であれば、いいのだが」

 そう呟きながら窓の外に向けた瞳は、初めて陰っているように見えた。

「本当に、心当たりはないか?」

「心当たり……」

「なんでもいい。奇妙に思っていることや、説明しがたい気がかりなど」

「そう言われましても……。己の正体に悩んでいた、というくらいしか」

 考えながら、なんとなしに、己の手のひらを見つめる。

 無意識に緩く握った瞬間、はっと息を呑んだ。

「何か思いついたか?」

「……夢を、みます」

 そうだ──俺は、初めてラフィカと会った日からずっと、


 同じ夢をみている。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

小難しいことはこれでほぼ終わりなので!終わりなので!

この後も娯楽小説として楽しんで貰えたら嬉しいです。

次から、ラフィカのターンにもどります!


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