夢のあとさき
ルナー殿下の執務室に向かって広い廊下を歩きながら、どうスィンスス様を呼べばいいのかと考える。
(呼べば戻ると言われはしたが……さて)
試しに名を呼ぼうかと思ったところで、すっと肩に覚えのある重みが乗った。
「スィンスス様!」
驚きに目を見開いた俺を、つぶらな瞳が見上げてくる。
「何を驚く。呼ばれずとも、用が済めば戻るわ」
「いえ、今まさに呼ぼうとしていたので」
「そうだったのか。ならばちょうどよかったな」
「え、ええ」
戸惑いが滲む声音を、スィンスス様がふっと小さく笑った。
「して、我が不在の間、なにか進展はあったか?」
「はい。ラフィカが目を覚ましましたよ」
「なに!? では会いに行こう。案内してくれ」
「あー、ええと、その、出来れば今少し、彼女に時間を」
さすがに今すぐに再び顔を合わせるのは気恥ずかしすぎて、視線が泳ぐ。
曖昧な俺の態度に、スィンスス様が眉間を寄せた。
「どういう事だ?」
「ええとですね。先ほどまでバルコニーで国民の歓声に応えていたのです。その熱気にあてられて、気疲れしてしまったようで」
「なるほど。外の騒ぎはそれか。しかし、病み上がりの若い娘に無体を強いるとは……我はお主を買いかぶりすぎていたか?」
「叱責はもっともですが、安全の為でもありました。場外を埋め尽くしているのは、彼女を一目見ようと集まってきた者達ですから」
「はん! 押さえ込もうと思えば押さえ込めるだろうに。ヒュランの権力者らしい言い訳だ。娘の疲労より王家の威厳を優先させただけではないか──まぁ、それをお前に言うのも酷か。いかに此度の英雄とはいえ、国に属する騎士だからな」
耳の痛い嫌味に、返す言葉もない。
実際、人前にラフィカを出す理由を説明されたとき、それが建前だと理解していなかったわけではない。
それは彼女も同じだっただろう。
理解していたからこそ、了承したのだ。
立場的に断ることも出来たが、俺が板挟みになると気遣ってくれたのだ。
だからこそ、せめてと彼女の様子に気を配り、引き際を手伝えるよう努めた。
ラフィカに気を取られすぎて、自分もバルコニーから引っ込んでしまったのは、無意識だったが。
「──ふむ。娘に休む時間を与えている間に、王家の者と話でもしておくべきか」
「あ、俺が貴方を呼びたかったのは、それです」
「ん?」
「ルナー殿下が、他国から使者が来る前に、貴方からもたらされた情報を改めて整理しておきたいと」
「聡そうな目をしておる方の王子か。では行こう。ついでに無体への嫌味を言ってやらねばな」
俺の立場では言えないことなので、ありがたいと言えばありがたいが、王家とて好き好んでラフィカに無理をさせたわけではない。
体面としてだっただろうが、彼女の意思を問うかたちで提案されてもいた。
「統治のために、民を蔑ろにはできないのです。ご容赦ください」
「我の知ったことではない」
思った以上に冷えた声音に、思わず息を呑む。
会話としては軽口のような流れだったが、それは立場的にどうしようもない俺が相手だったからなのだと気づかされる。
同時に、彼の信頼を裏切ったのだとも。
(一国の騎士の立場に縛られた俺に、失望している)
スィンスス様は、なによりも彼女を優先する者として、俺を見ていてくれていたのだ。
ラシオンの騎士として、間違った行動はしていない。
けれど頭の隅で、必死に言い訳を探している自分がいて、恥ずかしくなった。
「すまん、すまん。我が悪かったから、そう気を落とすな」
「え?」
当然のように指摘されて、面食らう。
気持ちを言動に出したつもりでも伝わらないのが常の俺にとって、言葉どころか表情すら見られずに汲み取られたことに、驚きを隠せなかった。
「なんだ。どうした?」
「俺の気持ちが、貴方に伝わったことに驚いて」
「当たり前だろう。角から──ん? ああ、そうか。お前は自分が何者なのか、我と出会うまで知らなかったのだったな」
会話の途中で、スィンスス様が閃いたように大きく頷く。
意味がわからず目を瞬かせていると、スィンスス様がどこか申し訳なさそうに俺を見上げた。
「あのとき……我がお前に呼びかけたとき、妙に苦しんでいたのは、今まで角を共振機関として使ったことがなかったからか。知らなかったとはいえ、焦りから強い感情をぶつけて悪かった。不慣れ故に、思いがけぬ苦痛を与えてしまっていたのだな」
「ああ、あれは……そういうことだったんですね。酷い目眩と頭痛に襲われて、大変でした。頭蓋骨が内側から破裂したかと」
「すまん」
「いえ、その衝撃を最後に、痛みや目眩はなくなりましたし。なんていうか、詰まっていたものがとれたような? そこから、貴方の言葉がちゃんと聞き取れるようになって」
「実際には言葉ではなく、我の感情だがな。エメランは本来、言動よりも角を媒介とした魔力の波動で感情のやりとりをする。ヒュランと姿こそ似ているが、あまり交流がなかった最大の理由だな。角があるがゆえに表情も声音も平坦なエメランと、表情と声音の豊かさで交流をするヒュランとでは、互いを理解しにくかったのだろう」
会話の流れて付け加えられただけの、思いがけない言葉。
それは微かな衝撃と得心を伴って、俺の胸の内にすっと届いた。
「そういう、ことか」
「うん?」
「俺は、周囲から何を考えているのかわからないと、散々言われていたんです。改善しようと努力もしましたが、どうにもままならず」
「あー……」
同情がたっぷり滲んだ呻き声をあげて、スィンスス様が肩から頭上に移動する。
角を口先でつつかれて、身震いした。
「苦労したな、セルツェ。せめて角が使えていたら、魔導に優れた者であれば多少は汲み取れただろうが」
温かな慰めに、思わず眉尻が下がる。
今までの苦労や寂しさが消えるわけではないが、癒やされる気がした。
けれど唐突にあることに思い至って、思わず顔を上げる。
「おっ、急に頭を動かすな。落ちるではないか」
「すみません。でもあの、角が機能し始めたということは、俺の感情は、その、魔導師や……聖女、に、伝わりやすくなったということです……か?」
「そうだな」
スィンスス様の同意を得た瞬間、数分前の熱が顔に戻って来る。
伝わりにくいだろうと思ったからこそ、精一杯、誠意を込めた告白が、自分で思っていた以上に切実に伝わってしまっている可能性に気づかされて、俺は思わず頭を抱えてしまった。
常にない感情の強さに驚いて、引かれていたら立ち直れない。
(なんてことだ。今すぐ戻って、もっと気楽に考えてくれと言うべきか?)
いやでも、真剣にした告白だ。真剣に考えて貰いたい。
そもそも、勘違いでなければ、そう悪い感触でもなかったはずだ。
(大丈夫。大丈夫)
へんな言い訳をしに行きたい衝動をぐっとこらえて、深呼吸をする。
その間に、俺の行動を不思議そうに見ていた眼差しが、頭上から肩に戻った。
「どうした? 大丈夫か」
「……はい。そういえば、スィンスス様は結局、どこで何をなさっていたのですか?」
気まずさを誤魔化すように、話題を切り替える。
廊下を巡回していた兵士が通り過ぎてから、スィンスス様は口を開いた。
「かつて、女神が降臨していた神殿に行っていた。そこには神官が残した、記録があると思ったからだ。我が邪竜に変異させられた経緯と、そのときに何が起こっていたのかを確かめたかった」
「神殿……」
現在、女神エテルノを祀る神殿は存在しない。
神殿は神のために存在するものであり、その神がすでにいないことを人々は理解しなければならない──という名目で、大昔にすべて破棄されたからだ。
そう、この世界に遺っているのは、数多に分かれて散らばった彼女の加護のみなのだ。
魔物から人々を護るため、その身を砕いて力を分け与えたのである。
(まぁ、女神エレジアのように、欠片として遺された者達もいたようだが、俺たちにはあずかり知らぬことだったしな)
スィンスス様は、そうして忘れ去られた遺跡の一つを訪れたということだろう。
降臨していた──ということは、実際に女神エテルノが暮らしていた、本殿のようなものがあったのかもしれない。
(想像もつかないな)
「その神殿は見つかったんですか?」
「ああ。地下に埋もれ半壊していたが、あった。しかも驚いたことに、聖女が一人いた」
「せ、聖女様が?」
予想外の展開に、思わず問い返す。
俺の反応に同意するように、スィンスス様が頷いた。
「ああ。共も連れずに、遺物を集めてせっせと修繕しておった。崩れかけた建物を支えるための骨組みが設置されてはいたから、ずっと一人だったわけではなさそうだが、それも年期が入っていたな」
「なぜ……?」
「我もそう思って、そう問うた。そうしたら、息子のために魔物について調べていたら、ここに辿り着いたのだと言っていた」
「……息子」
「用心してか、名は名乗らなかったが──肩までの焦げ茶の髪、瞳は榛色。そして右の瞼にほくろがあった。心当たりは?」
俺の様子で察したのか、元々確信していたのか。
その声音は、問うと言うよりは確認のそれだった。
「──母です。遺跡に籠もっていたってことは、手紙はまだ受け取ってなさそうだな」
思わず独りごちると、スィンスス様が身じろいだ。
「そういえば、話を聞くために母を呼ぶと言っていたな。しまった、状況がわかっていれば共に連れてきたんだが」
「いえ、貴方の目的地で会ったのなら、互いに必要な話をしたのでしょう?」
「正に。我を古い精霊だと思ったのか、知識を借りたいと、色々と話し出してな。その相談に乗るのと引き換えに、遺跡で得た知識を渡してもらった。どちらも聞くか?」
なぜ、後者だけでなく前者の会話も聞くかと問われたのか。
それはきっと、俺という存在に大きく関わる話題だからだろう。
まず過ったのは不安で、母が首都を訪れるまで先延ばしにしたい気持ちが湧いた。
しかしすぐに、よりラフィカと誠実に向き合うために、自分のことをよりしっかりと知っておくべきだと思い直す。
「……どのみち、次に母と会った時に、すべて明かしてもらう約束をしていました。内容は知りませんが、態度から、母から息子に伝えるには苦痛を伴うのではと──なんとなく察していて。だから、今、貴方から聞けることに感謝すべきかもしれません」
「お前も母も、互いを思いやっているのだな」
とても優しい声音で褒められて、胸が温かくなる。
けれど、そこから語られた、母が秘めていた真実は、己がエメランだと知ったときよりも、衝撃を伴うものだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
ここから色々と明らかになっていきますので、ついてきてくださいね!
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