純白の(2)
「やだ、私ったら。見ないで!」
自分が赤面してしまった自覚があるのだろう。
恥ずかしそうに顔を逸らしながら、片手で胸を押される。
それが結構な力で、完全に油断していた俺は、三歩ほどよろめいて壁に背を打ち付けた。
「うっ」
「わぁ、ごめん!」
慌てて近づいてきたラフィカが、気遣うように腕に触れてくる。
「大丈夫だ。そんなに強い力じゃなかった。君の反応に動揺して、抵抗できなかっただけで──」
「黙って! 黙ってちょうだい。もう。セルツェが急に変なことを言うから悪いのよ!」
「すまない」
「もう、知らないわ! 貴方ったら顔はいいんだから、揶揄わないで!」
「本当に、すまない。……だが、揶揄ったわけじゃない」
腕に触れていた手を取って強く握ると、そっぽを向いていた顔が弾かれたように俺に向き直る。
「……セルツェ?」
未だに高揚しているラフィカの頬が、言うべきかまだ迷っていたはずの言葉を押し出してしまった。
「俺は、その……たぶん初めて会った時から、君に惹かれていた」
「え? え?」
「ああ、正確には二度目だったな。再会したとき、こんなに美人だったのかと驚いて──」
「顔が好みってこと……?」
驚きつつも失意が混ざる声音に、慌てて首を振る。
「第一印象の話だ。好みの見目に惹かれるのは仕方ないだろう。そのあと、君の内面を知る度に、俺の中で君がどんどんと魅力的になっていって、困った」
眩しくて、愛しくて、外套に包んで隠してしまいたかった。
「しっかり自覚したのは、邪竜討伐に出る直前くらいだったが」
「そう、だったの」
どこか呆けたように答える姿に、全然気づかれていなかったのだと知る。
安心すべきなのに、今となっては少し残念にも思った。
「他の男なら、あのタイミングで告げたりするんだろうが……俺には、この想いを告げる資格も勇気もなくて」
「資格……?」
「俺は、俺のことを人間ではないと思っていたから」
「え?」
目を見開いたラフィカに、少しいたずら心が湧く。
握っていた彼女の手を導いて、俺の角に触れさせた。
「な、なに? この場面で自慢……?」
「違う。よく見てくれ」
わかりやすいように少し屈むと、ラフィカは戸惑いつつも角に指先を滑らせた。
スィンスス様と出会ってから感覚が強くなっているので、少しくすぐったい。
身じろいだ拍子に指先が付け根に触れて、ラフィカがはっと息を呑んだのがわかった。
「嘘、これ……生えてるの?」
戸惑いと好奇心がせめぎ合う声音で、しかし今度はがっつり角を掴んでくるあたり、思わず笑ってしまう。
軽く引っ張られて、更に前に身体が傾いだ。
「わぁ、本当に装飾品じゃない! 周りの飾りは、そう見せるためのものだったのね?」
「ああ」
「そう……。あ、ごめん」
納得と同時に、強く引き寄せていたことに気づいたらしく、ぱっと手を離される。
前屈みの姿勢から解放されて顔を上げると、屈んでいた分、近くで目が合った。
ぱっと目を逸らされたが、そこにあるのが畏怖ではなく、羞恥だったことにこそばゆい気持ちになる。
「怖くないのか?」
「え!? いや、え? なんか、それどころじゃなくない!? 今、確認すべきなのってそこ!? いや、そこか! そうね! 角が生えてる人なんて、いないものね!? ああでも、だからってその、貴方は貴方だから、今更角くらいで怖くはないけれど、その角ってあの……何?」
俺が思っているよりもずっと、ラフィカは緊張しているし、混乱もしているらしい。
お陰で、こっちは落ち着けるのでありがたいが。
「スィンスス様の話によると、俺は一応、人間らしい。エメランという種族なんだそうだ。ちなみに、君はヒュラン」
「スィンスス様? え、スィンスス氷山って喋るの!?」
驚愕の上塗りのような顔で、ラフィカが窓の外を見る。
そこで、色々な説明がまだだったことを思い出した。
「すまない。君に欠けている情報を埋めてから、この話をすべきだった」
「──と、言うと?」
「スィンスス様は、邪竜だ。正確には、邪竜にされていた」
大きく息を吸い込んで、何かを言おうとしたのに言葉を見つけられなかったらしく、ラフィカがただゆっくりと口をつぐんだ。
見開かれたままの瞳が、先の言葉を促してくる。
話をすべて聞いてから問うべきを問おうとする姿勢に、彼女の賢さを感じた。
お陰で俺は、一つ一つ丁寧に、ラフィカが気を失ってからの事を説明することが出来た。
俺の話を聞き終えたラフィカが、細い指先で顎の輪郭をなぞる。
思案に小首を傾げる仕草が、美しかった。
そんな風に気を散らしている俺に気づかず、整理がついたと言うように口を開く。
「さっきルナー殿下がおっしゃっていた氷竜という言葉が気になっていたのだけれど、彼がつまり、そうなのね?」
彼女の耳ざとさに関心しつつ、頷く。
「邪竜の正体が、地脈を守護していた元素生物だったなんて」
「ああ。俺も驚いた。氷竜スィンスス様だ」
「なるほど。地脈の守護者がいる場なら、確かに聖域ね」
ずいぶんと外れてしまっていた会話に、するりと戻られる。
気がつけば、ラフィカの表情や態度から、俺の告白に対する動揺は消えていた。
俺の話を聞く間に、気持ちを切り替えたのだろう。
残念だが、今優先すべきは、こちらの話題なのも確かだ。
「……星の生命力の道。地脈天脈を巡る元素生物。聖獣。聖竜。属性を司り、世界の魔力の均衡を担う者が座する場所。人々──いや、この世界にとって、とても重要な場所だ。それを魔神なる存在が呪い、地脈天脈を穢すために、邪竜に変えた」
「その魔神ってなんなの? 私たちが邪竜の正体を知らなかったように、時代の流れで忘れ去られてしまった何かってこと? 話を聞く限り、今、世界がこうなっている元凶のようなのに」
「俺もそう思ってスィンスス様に訊いたんだが、答える前に確かめたいことがあると言って、姿を消されてしまった。呼べば戻ると言ってくださってはいるが」
「そう。じゃあ、ルナー殿下のところで話をするときには、なにかわかるかもしれないわね」
「ああ。何かわかったら、君にもすぐに伝えるよ」
言外に、もうのけ者にしないで欲しいという気落ちが滲んでいたので、安心して欲しくて付け加える。
意識がなかったのだから不可抗力とも言えるが、それはそれだ。
「お願いね。それに私も、スィンスス様にお会いしたいわ」
「それはきっと、彼も同じだろう。君を救おうと、誰よりも必死だった」
「あら、貴方より?」
思いがけない返しに、面食らう。
けれど同時に、ラフィカの方もしまったという顔をした。
状況を忘れて、ついいつもの軽口を言ってしまったらしい。
こちらとしては、話の流れで逸れてしまった空気を戻してくれたことに、感謝しかない。
「気持ちで負けるつもりはないさ。ただ、俺より彼の方が君に出来ることが多かっただけだ」
その口惜しさを、所在なさげに彷徨っていた手を掴むことで伝える。
びくりと跳ねたが、振り払われることはなかった。
「本当に、言うつもりはなかった。言えないと、思っていた」
「セルツェ──」
「まだ、与えられた情報に困惑している自分もいる。けれど、俺は俺が、魔物や化け物の類いではないとわかって、すごく嬉しかった。この角が呪いではないと──俺が、君を害する何かに変わることはないとわかって……」
だから、迷いながらも伝えたいという気持ちがどんどんと膨らんでしまったのだ。
急くな。まだはやい。
何度もそう、眠るラフィカの顔を見ながら自分に言い聞かせたのに、再び青碧の瞳に自分が映ったのを見てしまったら、どうにも抑えきれなくなってしまった。
彼女の答えを不安に思う気持ちよりも、伝えられるという喜びに、負けてしまった。
「ラフィカ。俺は、君のことが好きだ」
俺なりに精一杯、誠意と気持ちを込めて告げる。
眼差しや触れていた指先から彼女の困惑が伝わってきたが、そう悪く思われていなさそうな手応えも感じて、内心浮き足だった。
それでも、彼女からの答えまでも急かすわけにはいかない。
「ゆっくりでいい、考えてみてくれ」
告げてしまった安堵から一転して、這い上がってきた不安と期待をなんとか飲み込んで、告げる。
ラフィカが小さく頷いたのを確認してから、俺は部屋を後にした。
五歩ほど遠ざかってから、大きく息を吐き出す。
まるでずっと息を止めていたかのような苦しさから解放はされたが、緊張に痺れた指先の感触は、暫く戻りそうになかった。
あとちょっと、セルツェのターン
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