主役は遅れて……?
迂回という選択肢はなく、崖を文字通り駆け上がる。
私の怪力は主に腕力で、脚力はその腕力を発揮するための必要最低限に留まっているが、跳躍で一メートル以上は飛べる。
力に身体が追いついていないので平衡感覚が危ういが、そんなことを気にしている余裕などない。
幸い、今は身に纏っているローブに飛行魔法が付与されているため、その助けも借りて強引に上へ上へと向かっていた。
熟達の魔導師でも制御が難しい魔法を、付与という形で劣化させているので、今の私では一瞬ふわっと浮く程度だが、私の脚力ならば跳躍距離が飛躍的に伸びるし、この効果のお陰で着地に余裕ができている。
あとはもう、魔力量にものをいわせて、踏み切りと同時に発動させるのを繰り返した。
一度、加減を誤って足場を砕いてしまったが、壁面に拳を突き刺すことで転落を免れた。
滑稽で異様な光景を客観視すると居たたまれなくなったが、そんなことを気にしても仕方がない。
とにかく力にものを言わせて登り切り、私は野営地があった場所まで戻って来ることが出来た。
僅かに残る戦闘の跡に眉をひそめつつ、息をついた。
「ふぅ、はぁ……本隊は、さすがにもう、近くにはいないわね」
激しくはないが絶妙に視界を陰らせる降雪に苛立ちつつ、小岩に登って周囲を見渡す。
一応の確認だったとはいえ、地形と降雪のせいで痕跡を見つけられずに舌打ちした。
「仕方ない、一直線に上を目指すしかないか」
山頂付近。霞がかった景色でもかろうじて視認することが出来る、大きなえぐれ。
邪竜の住処と呼ばれる場所に向かって、私は再び駆け出した。
無茶な崖登りのお陰か、飛行もとい超跳躍のコツをなんとなく掴めてきていたこともあり、岩肌が剥き出しになっている部分を選んで踏み切りながら、進んでいく。
そう経たずに所々で赤黒い瘴気の霧が渦巻き始め、遠くから斬撃と怒号が耳に届いた。
即座に軌道を変えて、音がする方へ向かう。
視界の端で瘴気から魔物が発生したのを視認した瞬間、何が起こっているのかを理解した。
(魔物って、こうやって生じるのね)
初めて見る光景、そしてその異様さに身震いしつつ、即座に杖を手に取り、跳躍する。
見下ろした先に、大量の魔物に囲まれて身動きがとれなくなっている騎士数名を見つけた。
輪になって魔物を牽制している内側に、負傷者の姿も見える。
この作戦に参加した時点で、動けなくなった者達を見捨てられずに危機に瀕するなど、絶対にあってはならないことだ。
動ける者は、何を見捨てても生き残り、辿り着かなければならない場所があるのだから。
それでも、私は彼らに感謝した。
私の手が届かない人たちの命を、繋ぎ止めていてくれたのだから。
(絶対に助ける!)
間に合った喜びで、杖を握る手に力がこもる。
盾を払われた騎士がよろけたことで陣形が崩れたが、最早それは彼らの危機たり得なかった。
着地と同時に杖を地面に突き立て、叫ぶ。
「第一の加護・浄化!」
眩い光が杖を中心に円状に広がり、最大になった瞬間、範囲内すべての魔物が、発生源である瘴気ごと消し飛んだ。
生まれたてで肉体が不安定だったからか、骨も残らず光の粒子となって霧散する。
よろけていた騎士が、そのままどたりと尻餅をついた。
「え? ……え?」
「殿下方は!」
彼の戸惑いを無視して、姿が見えない者達の所在を問い詰める。私の勢いに気圧されるように、騎士は口を開いた。
「い、一班を率いて邪竜の住処へ。我々は、ここで魔物達の足止めを」
「では、役目は果たしたわね」
改めて周囲を見渡せば、似たような集団がそこかしこに存在していた。
誰もが満身創痍で、疲弊しきっている。
私は再び杖を握り、魔力を込めた。
「慈悲深き女神エテルノよ、その尊き御手をここに。第四の加護・再生」
先ほどよりも柔らかな光の円が広がり、個々を五枚の花弁のようなヴェールが包み込む。
騎士達に護られていた負傷者の中で最も重症だった兵士の足が再生しきったのを確認して、私は再び口を開いた。
「まだ戦える者は上を目指し、困難な者は下山して。余計な露払いは、私がしておく!」
「せ、聖女様!?」
駆け出した私の背に、今だ戸惑う声がかけられたが、無視した。
殿下方がすでに邪竜の巣に辿り着いている可能性がある以上、最早一秒も無駄にしている時間はない。
目的地を目前にしたところで、酷い怪我を負った騎士達を結界で護っていた聖女に遭遇した。
騎士達に治療を施してから、改めて向き合う。
彼女の顔色は悪く、杖を握る手も震えていた。
不思議なことに魔物の姿はないが、たった一人、重傷の騎士達を瘴気から護り続けていたのだ。
とても恐ろしく、心細かったことだろう。
「本当に、ありがとう。私では、どうにもできなくて」
「何言ってるの、貴方が結界で護ってくれていたから、彼らは生きているのよ。少し経てば目を覚ますだろうから、動けそうなら追いついてきて」
先ほどと同じようにそのまま去ろうとした私の腕を、聖女に掴まれる。
驚いて振り返ると、彼女は必死に首を左右に振った。
「い、行けないんです」
「え?」
「殿下曰く、ここから先は聖域に劣らぬほど生命力が濃く、加護を得ていない者は呼吸すらままならないと」
「聖域ですって……?」
邪竜の住処とはおよそ縁のなさそうな例えに、さすがに驚く。
しかし、魔物が近寄れていないことや、騎士達の状況が、間違いではないと物語っていた。
聖域。
膨大な生命力が渦巻く空間は、神や精霊にとっては楽園だが、人間では力の奔流に耐えられない。
加護によって強化、あるいは庇護されていない者が立ち入れば、活性化されすぎた細胞が瞬く間に崩壊し、肉体に甚大な損傷を負ってしまうのだ。
「なるほど。だから彼らは、瘴気による爛れではなく、内臓がズタズタだったのね」
「ですから、この先に行けるのは、私と貴方だけです。お供します」
そう告げた彼女の手は、ぶるぶると震えていた。
瞳だけが、爛々と使命感に輝いている。
まるで、命を燃やしはじめたみたいに。
「……いいえ。彼らが目覚めるまでは、側にいて」
「ですが」
「下の人たちも、傷は癒やしてきたの。だから、戦える者は追いかけてこいって言ってしまったのよ。この先の危険を知らせる者は必要だわ」
私の言葉に、聖女は栗色の瞳を大きく見開いた。
何度か唇をわななかせ、絞り出すように告げる。
「……少し前に、私は自らそれを殿下に進言し、ここに残ったのです。魔力が残り少ないことを理由に。けれど己を顧みずに突き進む貴方の姿を見て、恥ずかしくなりました。私は心のどこかで、この先に進むことを恐れていたのです。死を──恐れていたのです」
心の底から恥じるように、聖女が告げる。
(聖女。彼女は聖女だから、この場で死を恐れたことを、恥じている)
仕方の無いことだけれど、悔しくて堪らなくなった。
「誰だって死にたくないわ。こんな戦い──死が確定してる戦いなんて、本当に馬鹿げてる!」
「聖女ラフィカ……」
不意に名を呼ばれて、私は彼女の名前がわからないのに、彼女は私を知っていることを知らされる。
「私は……貴方が死を恐れることよりも、私が貴方の名前を覚えていないことの方がよほど恥ずかしいことだと思う」
「え?」
「戻って来たら、もう一度教えて。貴方だけじゃない、他の聖女の名前も、ちゃんと覚えなきゃ。私、昔は一度聞いた名前も顔も絶対に忘れなかったのに! たるんでるわ!」
侯爵令嬢の時の義務感と比べるのは変かもしれないが、なんだかそのことがとても情けなかった。
みんなみんなと言いながら、自分のことにばかり必死で、ちっとも周りが見えていない。
「はぁ、もう。とりあえず、この馬鹿げた戦いを終わらせてくるわ! 貴方はここで、しっかり役目を果たして!」
「あっ、聖女ラフィカ!?」
驚きに声を裏返らせた聖女の手を振り解いて、私は再び上を目指した。
力こそパワー。
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