聖女とは仮の姿
翌日の天候は雪だった。
昨夜見上げた満点の星空が幻だったかのように、重い雪雲によって空は覆われている。
進行が困難なほどではないが、足場は間違いなく今までより悪くなるだろう。
「この後に及んで暁光を拝みたかったわけじゃねぇが……。まぁ、決戦の日としちゃあ、上等か」
背後から近寄ってきたザモークさんが、後頭部を掻きながら呟く。
視線の先には、ここまで同行してくれていた物資部隊が下山していく姿があった。
魔法で掘られた穴に、野営道具だけは残されている。
今までの記録を振り返れば、不必要なものだ。
そうとわかっていても残すのは、捨てきれない希望か、慰めか。
様々な苦悩が、その行為に滲んでいる。
きっと、ここではないどこかにも、埋め隠されたままの物資が、朽ちるに任せて眠っているのだ。
そんなことに思いを馳せていたが、ふと、違和感を抱く。
「なんか、荷物が多くないですか?」
「ん?」
「物資部隊が運んでる荷物です。殆どここに置いていくはずじゃ?」
私の言葉に、ザモークさんが僅かに表情を曇らせた。
「……物資を無駄には出来ないからな。ここに残すのは、最低限だ」
「最低限!?」
今までが全滅だったことを思えば、当然の判断なのだろう。
残すことのほうが、本来であれば無駄な行為なのだから。
しかし、しかし今回は違う。
「失念してた~! 全員生き残るのに、帰路で天幕や食料が足りないとか最悪じゃないですか! ちょっと止めてきます!」
「は? おい!」
ザモークさんの制止を無視して、木々の奥に消えそうな部隊を追いかける。
野営地の出入り口に立っていた兵士の脇を駆け抜けようとしたが、さすがの反射神経で阻まれた。
「聖女様!? お戻りください」
「退いて!」
「敵前逃亡は、たとえ聖女様であっても重罪ですよ!」
顔面を蒼白にして、思いがけない言葉を告げられる。
あまりに驚きすぎて、すぐに言葉が出なかった。数度口をぱくつかせてから、ようやく声がでる。
「──ち、違うわよ! 物資部隊を引き留めたいの!」
「え?」
「待って! ねぇ、待って!」
私が声を張り上げたことで、周囲が微かにざわつく。
幸いなことに、それは遠ざかりかけていた物資部隊にも届いたらしく、後方の一部が振り返ってくれた。
僅かな間を置いて、殿を務めていた騎士が駆け戻ってくる。
「聖女様、どうされました。なにか大事なものが、こちらの物資に紛れ込んでしまいましたか?」
私が聖女だからか、イレギュラーな状況だというのに、丁寧に接してくれる。
「違うの、物資を全部置いていってほしいのよ。あれじゃ足りないわ」
「…………っ」
私の言葉を聞いた瞬間、騎士の表情が大きく歪んだ。
私の隣にいた兵士も、動揺したように息を呑む。
騎士は琥珀色の瞳をゆっくりとした瞬きで一度隠してから、再び私を見つめてきた。
そこでようやく、目の前の男がとんでもない色男だと気づく。
ぱっと見が冷淡に見えるセルツェとは真逆の、華やかな美形だ。
陽光の下で笑顔を振りまけば、目撃した乙女達が軒並み恋に落ちそうな甘さがある。
認識と同時に、かつて雑誌で見た姿絵の記憶が呼び覚まされる。
彼も、セルツェと同じ第三部隊に所属している騎士だ。
まさに、この美貌で首都どころか国中の乙女を虜にしている、ヴェーチェル・チェヤ・イーニー様。
ある意味、マールス様より有名な男だ。
物資部隊の護衛として、参加していたらしい。
「聖女様、これには事情がありまして──」
「はっ! ごめんなさい、貴方の美貌に驚いて、ちょっと思考が止まってたわ」
「……光栄です。ええとですね、聖女様。貴方のお気持ちはわかりますが、物資をすべて残すことは出来ないのです」
「なぜ?」
「これらの物資は、今回の行軍に耐えられるよう、最上級の物が用意されています。本来であれば、一部でも無駄に出来ない代物なのです。貴方のお気持ちはわかりますが、どうぞご理解ください」
賛辞を当然のように受け流し、自然に私の反論を遮る。
その上で、丁寧かつ有無を言わせぬ強さで、同意を求める言葉を紡いできた。
声が甘やかなので、言動は強いのに不快感は微塵もない。
柔らかいのに圧がある笑顔に、彼の苦労を垣間見る。
かつて侯爵令嬢だった頃、自意識過剰な男の話を遮るときの私と、同じ空気を感じた。
彼の美貌に浮き足立った、話を聞かないタイプの令嬢はさぞ多かろう。
それをあしらうことで、培われた技術なのかもしれない。
眼差しに憐憫が混ざっているので、疎ましいとまでは思っていないかもしれないが、煩わしさは同じだろう。
(健気な聖女が、現実のシビアさを受け入れられずに、訴えてると思ったんだろうなぁ)
「誤解です。本当に必要だから、残してもらわないと困ります」
「聖女様、どうか」
真摯な眼差しに、気圧される。決して折れることがないと、わかってしまう。
本隊に参加しながら、生き延びる部隊に配属された彼の決意が、いつの間にか掴まれていた手首から伝わってきていた。
女性の腕を掴むには、いささか強すぎる力だ。
彼の意思を覆すのは、私の「誰も死なせない!」という言葉では無理だろう。
逡巡し、掴まれていた手に手を重ねた。
そこでようやく、自分の行動に気づいたかのように、慌てて手首が離される。
「──っ、申し訳ありません」
「いえ、貴方のおっしゃりたいこともわかります。けれど、部隊を今少し引き留めてください。殿下の許可を取って参ります!」
引っ込められようとした手を握り返し、強く訴える。
イーニー様は驚いたように瞠目したが、王子に諭されれば諦めるだろうと思ったらしく、頷いてくれた。
「降雪もありますし、あまり時間を無駄にできません。待つのは十分です」
「充分です!」
喜色に声を跳ねさせた私に、イーニー様が切なげに苦笑する。
なんとも乙女心を擽られる表情に、どきりとしてしまった。
同時に、セルツェが彼ほど表情豊かではないことに感謝してしまう。
(こんな顔を見せられてたら、イチコロだわ)
場違いな安堵に胸をなで下ろしつつ、王子を探すために戻ろうとした、正にそのときだった。
唐突に、前触れもなく、ズルッ──と足が滑った。
「──っ」
体の重心を大きくずらされた驚きのまま、イーニー様に縋り付いてしまう。
彼は彼でバランスを崩していたが、咄嗟の動きの差か、私をしっかりと支えてくれた。
「聖女様!」
事態を把握するまえに、隣にいたはずの兵士の声が遠くから聞こえた。
驚きに振り返ると、遙か遠くにその姿があり、あっという間に場に満ちた雪煙にかき消えていく。
足ではなく地面が滑っているのだと気づいたのは、後方で上がった悲鳴のお陰だった。
「雪崩だ!」
まるで冗談みたいに、私と兵士の間で積雪が割れたらしい。
巨大なソリのように滑り落ちていく雪の絨毯が、木々に割られ、木々を倒していく。
それは容易く私たちを飲み込んで、切り立った崖の先に押し流した。
熟練の騎士や冒険者達が、為す術も無いほどの一瞬で起こった、悲劇だった。
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