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聖女とは仮の姿ッ  作者: 夜月ジン
邪竜討伐編
58/72

聖女とは仮の姿

 翌日の天候は雪だった。

 昨夜見上げた満点の星空が幻だったかのように、重い雪雲によって空は覆われている。

 進行が困難なほどではないが、足場は間違いなく今までより悪くなるだろう。

「この後に及んで暁光を拝みたかったわけじゃねぇが……。まぁ、決戦の日としちゃあ、上等か」

 背後から近寄ってきたザモークさんが、後頭部を掻きながら呟く。

 視線の先には、ここまで同行してくれていた物資部隊が下山していく姿があった。

 魔法で掘られた穴に、野営道具だけは残されている。

 今までの記録を振り返れば、不必要なものだ。

 そうとわかっていても残すのは、捨てきれない希望か、慰めか。

 様々な苦悩が、その行為に滲んでいる。

 きっと、ここではないどこかにも、埋め隠されたままの物資が、朽ちるに任せて眠っているのだ。

 そんなことに思いを馳せていたが、ふと、違和感を抱く。

「なんか、荷物が多くないですか?」

「ん?」

「物資部隊が運んでる荷物です。殆どここに置いていくはずじゃ?」

 私の言葉に、ザモークさんが僅かに表情を曇らせた。

「……物資を無駄には出来ないからな。ここに残すのは、最低限だ」

「最低限!?」

 今までが全滅だったことを思えば、当然の判断なのだろう。

 残すことのほうが、本来であれば無駄な行為なのだから。

 しかし、しかし今回は違う。

「失念してた~! 全員生き残るのに、帰路で天幕や食料が足りないとか最悪じゃないですか! ちょっと止めてきます!」

「は? おい!」

 ザモークさんの制止を無視して、木々の奥に消えそうな部隊を追いかける。

 野営地の出入り口に立っていた兵士の脇を駆け抜けようとしたが、さすがの反射神経で阻まれた。

「聖女様!? お戻りください」

「退いて!」

「敵前逃亡は、たとえ聖女様であっても重罪ですよ!」

 顔面を蒼白にして、思いがけない言葉を告げられる。

 あまりに驚きすぎて、すぐに言葉が出なかった。数度口をぱくつかせてから、ようやく声がでる。

「──ち、違うわよ! 物資部隊を引き留めたいの!」

「え?」

「待って! ねぇ、待って!」

 私が声を張り上げたことで、周囲が微かにざわつく。

 幸いなことに、それは遠ざかりかけていた物資部隊にも届いたらしく、後方の一部が振り返ってくれた。

 僅かな間を置いて、殿を務めていた騎士が駆け戻ってくる。

「聖女様、どうされました。なにか大事なものが、こちらの物資に紛れ込んでしまいましたか?」

 私が聖女だからか、イレギュラーな状況だというのに、丁寧に接してくれる。

「違うの、物資を全部置いていってほしいのよ。あれじゃ足りないわ」

「…………っ」

 私の言葉を聞いた瞬間、騎士の表情が大きく歪んだ。

 私の隣にいた兵士も、動揺したように息を呑む。

 騎士は琥珀色の瞳をゆっくりとした瞬きで一度隠してから、再び私を見つめてきた。

 そこでようやく、目の前の男がとんでもない色男だと気づく。

 ぱっと見が冷淡に見えるセルツェとは真逆の、華やかな美形だ。

 陽光の下で笑顔を振りまけば、目撃した乙女達が軒並み恋に落ちそうな甘さがある。

 認識と同時に、かつて雑誌で見た姿絵の記憶が呼び覚まされる。

 彼も、セルツェと同じ第三部隊に所属している騎士だ。

 まさに、この美貌で首都どころか国中の乙女を虜にしている、ヴェーチェル・チェヤ・イーニー様。

 ある意味、マールス様より有名な男だ。

 物資部隊の護衛として、参加していたらしい。

「聖女様、これには事情がありまして──」

「はっ! ごめんなさい、貴方の美貌に驚いて、ちょっと思考が止まってたわ」

「……光栄です。ええとですね、聖女様。貴方のお気持ちはわかりますが、物資をすべて残すことは出来ないのです」

「なぜ?」

「これらの物資は、今回の行軍に耐えられるよう、最上級の物が用意されています。本来であれば、一部でも無駄に出来ない代物なのです。貴方のお気持ちはわかりますが、どうぞご理解ください」

 賛辞を当然のように受け流し、自然に私の反論を遮る。

 その上で、丁寧かつ有無を言わせぬ強さで、同意を求める言葉を紡いできた。

 声が甘やかなので、言動は強いのに不快感は微塵もない。

 柔らかいのに圧がある笑顔に、彼の苦労を垣間見る。

 かつて侯爵令嬢だった頃、自意識過剰な男の話を遮るときの私と、同じ空気を感じた。

 彼の美貌に浮き足立った、話を聞かないタイプの令嬢はさぞ多かろう。

 それをあしらうことで、培われた技術なのかもしれない。

 眼差しに憐憫が混ざっているので、疎ましいとまでは思っていないかもしれないが、煩わしさは同じだろう。

(健気な聖女が、現実のシビアさを受け入れられずに、訴えてると思ったんだろうなぁ)

「誤解です。本当に必要だから、残してもらわないと困ります」

「聖女様、どうか」

 真摯な眼差しに、気圧される。決して折れることがないと、わかってしまう。

 本隊に参加しながら、生き延びる部隊に配属された彼の決意が、いつの間にか掴まれていた手首から伝わってきていた。

 女性の腕を掴むには、いささか強すぎる力だ。

 彼の意思を覆すのは、私の「誰も死なせない!」という言葉では無理だろう。

 逡巡し、掴まれていた手に手を重ねた。

 そこでようやく、自分の行動に気づいたかのように、慌てて手首が離される。

「──っ、申し訳ありません」

「いえ、貴方のおっしゃりたいこともわかります。けれど、部隊を今少し引き留めてください。殿下の許可を取って参ります!」

 引っ込められようとした手を握り返し、強く訴える。

 イーニー様は驚いたように瞠目したが、王子に諭されれば諦めるだろうと思ったらしく、頷いてくれた。

「降雪もありますし、あまり時間を無駄にできません。待つのは十分です」

「充分です!」

 喜色に声を跳ねさせた私に、イーニー様が切なげに苦笑する。

 なんとも乙女心を擽られる表情に、どきりとしてしまった。

 同時に、セルツェが彼ほど表情豊かではないことに感謝してしまう。

(こんな顔を見せられてたら、イチコロだわ)

 場違いな安堵に胸をなで下ろしつつ、王子を探すために戻ろうとした、正にそのときだった。

 唐突に、前触れもなく、ズルッ──と足が滑った(・・・・・)

「──っ」

 体の重心を大きくずらされた驚きのまま、イーニー様に縋り付いてしまう。

 彼は彼でバランスを崩していたが、咄嗟の動きの差か、私をしっかりと支えてくれた。

「聖女様!」

 事態を把握するまえに、隣にいたはずの兵士の声が遠くから聞こえた。

 驚きに振り返ると、遙か遠くにその姿があり、あっという間に場に満ちた雪煙にかき消えていく。

 足ではなく地面が滑っているのだと気づいたのは、後方で上がった悲鳴のお陰だった。

「雪崩だ!」

 まるで冗談みたいに、私と兵士の間で積雪が割れたらしい。

 巨大なソリのように滑り落ちていく雪の絨毯が、木々に割られ、木々を倒していく。

 それは容易く私たちを飲み込んで、切り立った崖の先に押し流した。

 熟練の騎士や冒険者達が、為す術も無いほどの一瞬で起こった、悲劇だった。


ここまで読んでくださりありがとうございます。

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