スィンスス氷山
特別解放された王城の広間で出陣式が行われ、邪竜討伐のために編成された部隊は国王陛下直々の激励と市民の祈りを受けて西門を出た。
そこから本隊は邪竜のいるスィンスス氷山へ向かい、残りは進行の影響で森からあふれ出てくる魔物を迎え撃つため、担当区域に移動する。
私はというと、本隊に配属されはしたものの、かなり後方に配置されていた。
隊列は前方を王立騎士団の第三部隊・第四部隊員から選出された者達を中心に、各領地から派遣されてきた騎士が勤め、後方をザモークさんを筆頭とする冒険者部隊が担う。
それに挟まれる形で、中央部隊として王子殿下二人と近衛騎士、ニフリトや聖女達がいるというわけだ。
スィンスス氷山の中腹までは、中央と後方の間に、物資を運ぶ部隊が挟まる。
なぜ私だけ後方の冒険者部隊に配置されているのかというと、おそらくは周囲の大人達の、様々な思惑の結果だ。
マールス様、双子の殿下、ザモークさん。
運が良いのか悪いのか、地位と実力のある方々と面識があるが故に、少しでも後方へと追いやられたらしい。
不満はあったが、別部隊に配属されるよりはマシだし、何かあれば駆けつけられる距離にはいるのだからと、自分を納得させている。
これ以上の我が儘は、周囲に迷惑をかけるだけだ。
防護結界を出たところで、一度隊列が止まる。
そう経たずに、伝令兵が信号弾を打ち上げた。
間を置かずに防護結界が多重展開され、視認できる強力なものに変わる。
首都をドーム状に囲んだ美しい魔紋に、そこかしこで感嘆の溜め息が漏れた。
王城を護る魔導師達の、最高傑作だ。
決戦に向かう者達にとって、後顧の憂いを払拭してくれるに足る輝きだった。
「何度か試験展開の場に立ち会ったが、さすがにこの大きさだと壮観だな」
結界を見上げながら呟いたザモークさんの一言に、マリーナフカさんが身震いした。
「壮観というか、信じられないわ。可能だと判断したから展開しているのでしょうけれど、この結界の維持にどれほど聖石と魔力が必要なのか、職種柄つい考えちゃうわね」
マリーナフカさんの微かな表情の翳りに気づいたザモークさんが、左手の人差し指と親指で輪を作って掲げた。
「これくらいの」
「え?」
「これくらいのデカさのダイヤモンドだったぞ」
「は?」
ザモークさんの言葉を理解出来ず、マリーナフカさんが困惑する。
「いやだから、核になってる聖石。試験展開の時に見たんだ」
「……まぁ。ダイヤモンドの大きさに驚きたいところだけれど、問題はそこじゃないわね。このときに備えて、何十年もかけて、聖女様の誰かが神聖魔力を注いでくださったのかしら」
「確かにそうやって作られたものもあるが、それは今回、討伐に使われることになった。ソンツァ殿下がお持ちになっているはずだ。結界に使われているのは、後から提供されたものらしい。だろ?」
言葉半ばで、不意に視線が向けられる。
傍聴者と化していたので、急に矛先が向いたことに驚いてしまった。
「え?」
「違うのか? あんな代物を造れる聖女、《底なし》のラフィカしか思い当たらなかったんだが」
「あ、ああ! あの時の!」
ようやく心当たりに思い至って、私は思わず手を叩いた。
そういえば、そんなこともしていた。
あのときの緊張が、もはや懐かしい。
「というか、その二つ名やめてください。貴方が言ったら広まっちゃう」
「わはは。悪い悪い。確かに、冒険者ならともかく、聖女様にはちと失礼だな」
「失礼というより、格好よくないので!」
私の抗議を聞いたザモークさんがさらに笑ったので再び文句を言おうとしたが、それより先にマリーナフカさんが足を踏んでくれた。
感謝しつつ、逸れた会話を元に戻す。
「確かに、聖石を国家魔具師のラススヴェート様に提供しましたが、あれを首都の防護結界に使ったんですか? あんなイレギュラーなものをこんな大事に使って大丈夫なのかしら。元から用意されていたもののほうが良かったんじゃ」
「あと十年あれば、どちらを使っても良かったんだろうがな。現状では、ラフィカの聖石の方が込められた神聖魔力量が多かったらしい」
「なるほど、それならその判断も正しいのかしら? ……そっか、私が初めてつくった聖石が、使われてるんですね」
不意に実感が湧いてきて、感慨深い気持ちになる。
こんな形で、誰かを護る力になれるとは思っていなかった。
「後覚醒したと思ったら、あれよあれよと頭角を現して……とうとう、この場にまで来やがって」
不意に口惜しそうに零された言葉に、はっと視線を戻す。
複雑そうな顔をしたザモークさんとマリーナフカさんが、私を見つめていた。
「そんな顔、する必要ないんですよ。誰も死にませんから」
何度も言っているのに、誰も本気で信じてくれない一言を、懲りずに告げる。
聞き分けのない子を見るような、優しい眼差しを向けられる度に、もやもやした気持ちになったが、こればかりは実際に証明してみせるしかないだろう。
(──ああでも、誰もは違うか)
唯一、私の言葉を信じてくれている人がいる。
(セルツェ……。いくら背が高いと言っても、ここからじゃさすがに見えないわね)
結局、首都に戻ってからはお互いにやることが山積みで顔を合わせる機会すら得られなかったが、不思議と不安はなかった。
それはきっと彼も同じで、だからこそ、躍起になって「最期の言葉を交わそう」なんて気を起こさなかったのだと思う。
その機会が、当たり前のように訪れると信じてくれている。
(姉さんですら、不安を顔に滲ませていたのに……。いや、姉さんの場合は、信じているけど心配せずにはいられないって感じか)
前世の記憶の話ですら、受け入れてくれた人だ。
私が本気で言っていることは、伝わっていただろう。
そもそも、私が本気で言っているということ自体は、みんなわかっているのかもしれない。
その上で、それは叶わないと諦めているか、信じたいけど無理──という事なのだろう。
そう思い至った瞬間、なぜかぎゅっと胸が苦しくなった。
嬉しく思いはしても、私は、セルツェが私に寄せてくれている信頼の凄さを、本当の意味では理解していなかったのだと思い知らされたからだ。
(わかってる、わかってるのよ。彼はとても魅力的だわ。でも今は、そういう気持ちに振り回されたくない)
そうは思っても、味わったことのない高揚が、指先を痺れさせる。
ドキドキし始めた心臓を抑えたくて胸元を手で抑えると、前進を知らせる笛が鳴った。
驚きに肩が跳ねたが、幸い、皆同じような反応をしていたので、焦らずに済んだ。
防護結界に気を取られていた者達が一斉に我に返り、少し乱れていた隊列を整える。
途中何度か魔物の襲撃を受けたりもしたが、森の各所で討伐を始めていた冒険者パーティの援護のお陰で、たいした消耗も遅れもなく、スィンスス氷山の麓に辿り着くことが出来た。
後方部隊の私が拠点に着くと、既に聖女の為の天幕が完成していた。どうやら、王族のものよりも先に用意されたらしい。
私は全然疲れていなかったし、力もあるので拠点作りに協力しようと思って向かわなかったが、そう経たずに、慌てた様子の騎士が迎えに来て、ほぼ強制的に天幕に押し込まれてしまった。
温かく、柔らかな香りに満ちた空間に一歩踏み込んで、ようやく迎えの騎士が強引だったことを理解する。
中には旅に疲弊しきった聖女達が、屍のように横たわっていた。
よくよく見れば、奥にニフリトも転がっている。
馬車は論外だし、騎獣は魔物の気配が多すぎて、それに怯えない個体を必要数そろえられない。
魔力を動力源とする車もあるが、あれは魔力消費が激しいので長距離には向かないし、何より魔力反応が魔物を引き寄せてしまうので使えない。
つまるところ、聖女も徒歩なのだ。
ここにいる聖女達は、魔物討伐に慣れた者達のはずなので、体力もある方だろうが、邪竜討伐というプレッシャーは、心身を常より削るのだろう。
覚悟と使命感がある程度、感覚を麻痺させてくれていたとしても、怖いものは怖いに決まっている。
ゆえの、死屍累々だ。
「まぁ、こうなるわよね」
思わず呟いてしまった私の声に、一人の聖女が目を開ける。
栗色の瞳と髪の、年配の女性だ。
「ごめんなさい、起こしてしまって」
「気にしないで、私は目を閉じていただけだから。貴方は──ごめんなさい、名前をきいても?」
全員、一度顔合わせしているが、心に余裕がなければ初対面の相手の名前など流れてしまうだろう。配属先が違うなら尚更だ。
「ラフィカです。私も覚える余裕なかったので、気にしないでください」
私の言葉に、申し訳なさそうだった女性の顔が、ふっと緩んだ。
「ありがとう、聖女ラフィカ。私はコラカル。こちらへどうぞ」
「え、あ、はい」
コラカルは立ち上がると、私を開いている空間に導いた。
柔らかな毛皮の敷物の上に座らされ、スープと軽食を手渡してくれる。
ありがたく受け取ると、コラカルは私の隣に腰掛けた。
「みんなもう、なんとかそれを詰め込んで、少しでも体力を回復させるために寝たのよ。貴方もそうして。おそらく、しっかり眠れる最後の夜よ」
「はい」
親切に感謝して、肉と野菜がたっぷり挟まったパンに齧り付く。
スープもとても温かく、美味しい。
ほっと息をついたことで、自分も少なからず緊張していたのだと気づかされた。
力はあっても、それを上手く扱えるかは私次第だ。
聖女の力は杖があるので精神力の問題だが、魔物討伐においての経験不足は、どうにもならない。
膂力で誤魔化すにも、限界はあるだろう。
(でも、教えることはあまりないって言われちゃったのよねぇ)
セルツェの実家から首都に戻るまでの道中、馬を休ませる時間で軽く手合わせしてもらった時、言われたのだ。
セルツェ曰く、私はとても基礎がしっかりしているらしい。
剣を借りて構えたとき、誰に教わったのか聞かれて母だと答えたら、とても驚いていた。
好奇心を刺激されたのか、あれこれと質問され、それに答えたり、教わったことを披露したり。
結果、セルツェはしきりに母を褒めていた。
多種多様な武器を堅実に扱える冒険者は貴重なので、現役時代はさぞあちこちのパーティに誘われただろうとも。
稽古のときは厳しかったが、普段は娘の色恋に目を輝かせるような乙女なので、手放しで母を褒められると、なんだか不思議な気分だった。
同時に、その技術を受け継がせてもらえていたことに、感謝しかない。
つまるところ、私に足りないのは、本当に経験だけなのだ。
(だから、なるべく討伐に混ざりたいんだけどなぁ)
実地で経験を積んでいくしかないなら、邪竜と対峙するまでに、一戦でも多く戦いたい。
しかし魔物の気配があると、まず聖女が陣の内側に押し込まれる。
聖女が狙われるからだし、本来であれば聖女の仕事は討伐後なので当然だが、私は戦力として前に出たいのだ。
「思い出した。貴方、後覚醒した聖女ね?」
「ええ」
「可哀想に。いきなり聖女だって言われただけでも戸惑うのに、邪竜討伐部隊に選ばれてしまうなんて──使命だとわかっていても、辛いわよね」
憐憫に満ちた声をかけられて、目を瞬かせる。
絨毯を睨むようにして黙々と食事をしていたから、思い詰めているように見えてしまったらしい。
コラカルの瞳は潤んでおり、私の運命を嘆いてくれているようだった。
「あ、と……いえ、大丈夫です。その、貴方ももう休んでください。親切にしてくださって、ありがとうございます」
「無理しなくていいのよ。ここには聖女しかいないわ。天幕から出るまでは、弱音を吐いてもいいのよ」
柔らかく、優しい声。その言葉は私に向けられたものだったが、奥で誰かが鼻を啜った音がした。
そこでようやく、疲労困憊にも関わらず、眠れていない者がいると知る。
コラカルが、そっと私の手を取った。
「聖女ニフリトといい、貴方といい、どうして若い子が二人も──。聖女ニフリトに至っては、自ら志願したと言うし。どうして殿下達は、それを受け入れてしまったのかしら。貴方たちは、未来を護るべきなのに」
今までは、どこか遠い存在だと思っていた聖女たち。
遠目に見ていた時は、白いローブに包まれた神聖な姿に神々しさを感じていたが、こうして近くで接してみれば、彼女たちは運命に選ばれてしまった、一人の女性でしかなかった。
それでも、その立場を誇り、使命に燃え、前を見据えている。
皆一様に優しくて、健気な人たち。
(物心ついた頃から聖女としての教育を受けると、こうなるものなのかしら?)
人々のために生きることを、運命づけられた女性たち。
その対価を得られているとはいえ、選択肢がないというのはある種の諦観に繋がるのかもしれない。
それはとても、とても悲しいことのように思えた。
私自身が欲まみれだからかもしれないが、そう思って彼女たちを見てみると、なんだが生気が足りないようにも感じる。
それが、なんともいえない儚い印象を、周囲に与えているのだ。
(邪竜討伐を本当の意味で成し遂げられたら、何かが変わるかしら)
世界がもう少し人間に優しくなって、聖女が聖女以外の未来を選べるようになるといい。
(いえ、そういう世界にするのよ)
魔物と争わなくていい世界。彼らと、戦わなくていい世界。
(そのために、私は剣を取ったのだから!)
私の手を握るコラカルの手を、握り返す。
栗色の瞳と、目が合った。
「私のために、悲嘆する必要はないわ。私も志願したの。討伐の犠牲になるためじゃない。それこそ未来を護るために、ここに来たのよ」
「……え」
「信じなくてもいい。だけど、私の声が聞こえているなら、他の人も胸に刻んでおいて。使命感に酔って、生きることを諦めてはだめよ」
彼女たちの健気さを肌で感じたことで湧き上がった不安を、警告として口にする。
これからどんどん魔物が強くなっていくし、道は険しくなっていく。 その過程で危機に瀕したとき、「私一人が囮になれば」と、その命を道半ばで投げ出されては困る。
目の前の彼女だけでなく、天幕の中で今、眠れずに耳を澄ませている聖女達にも向かって告げる。
「誰も死なないし、誰も死なせない。そのために、私はここにいるの。どうか貴方たちも、そういう心持ちでいて」
私の言葉に、誰も返事をしてはくれなかった。
彼女たちの決意の固さに唇を噛みかけたが、ふと思い至って再び口を開く。
「あと、ラススヴェート様から事前に配られた魔導具、逃走用だと言われて渡されたから、覚悟のつもりでつけていないのだと思うけれど、普通に道中での移動補助にも使えるわよ」
私の付け足しに、はっと何人かが息を呑む。
それは目の前のコラカルも同じだった。
翌日、再び己の持ち場に向かう聖女達の胸元に、赤いブローチをつけてくれている人が増えていて、ほくそ笑む。
着用していなかったのは彼女たちの覚悟であり、諦めの現れだったんだろうが、私の入れ知恵が功を奏したらしい。
これで、そのことにやきもきしていた一部の人たちも安堵するだろう。
彼女たちの生存率もぐんとあがるし、護衛の負担も減る。
(あとは、私がどうやって前線にでるか──ね)
そう思考を巡らせはしたものの、おそらくは何らかの手段を講じる必要などないだろうとも思う。
一部の物資と人員を残し、部隊はいよいよ雪山に入る。
この先では、これまでの比ではない厳しい道のりと、邪竜の影響を受けてなお、山に残るほどの力を持つ凶悪な魔物達が待ち受けているのだ。
誰も彼もが必死にならざるを得ない状況でなら、私がちゃっかり前に出て魔物を殴り飛ばしたところで、誰も咎めはしない──はず。
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