約束(3)
用意してくれた紅茶にはいつも通り、たっぷりの砂糖とミルクが入っていた。
冒険者になったばかりの頃は、もう子どもではないと何度も母に苦言を呈したが、「そういえばそうだったわね」と言うだけで一向に改善されないので諦めた。
母にとって、俺は幾つになっても子どもなのだろう。
もちろん、幼いという意味ではなく、愛しいという意味で。
そう思えば、この甘さも悪くない。
「……手紙で報告は受けていたのに、面と向かって言われると、くるものがあるわね。もちろん、顔を見られたのはとても嬉しいけれど」
会話の切り出しに迷ってしまい、ひとまずと邪竜討伐戦に参加する旨を口頭でも伝えた俺に、母は悲しげに微笑んだ。
出かかったたくさんの言葉を飲み込むように、紅茶に口をつける。
「栄誉ある任務だと、言うべきなのでしょうけれど。──はぁ、私が何を言ったところで、貴方を困らせるだけね」
「母さん。俺を引き取り、ここまで育ててくれて、ありがとう」
「いやね、勝手に大きくなったくせに。それに、感謝すべきは私の方だわ。家も大きくして貰ったし」
そう言って、母はおどけるように肩をすくめる。
けれどすぐに、両手の指先でティーカップを撫でながら、嘆息した。
「ああ、ただの母親だったなら、貴方を騙して眠らせて、作戦が終わるまで地下に隠してしまうのに」
「怖いことを言う。貴方が聖女でよかった」
母は元々、国に仕えていたが、俺を引き取ったのをきっかけに協会に所属を移した聖女だ。
異例のことで、当時は少し揉めたらしいが、結局は聖女である母の意思が尊重された。
以降は、俺を育てながら瘴気や魔力の研究をしていた。
どちらかというと魔導師の仕事だが、母が選んだ道であり、協会もそれを認めているので問題はないのだろう。
(その道を選んだ理由が俺だと思うと、複雑ではあるが──)
「意地悪な息子だこと。でも、そうね。聖女であることを、後悔したことはないわ。聖女だったから、貴方と出会えたんだもの。……貴方に与えられた任務と栄誉に、祝福を」
声音は柔らかかったが、表情だけは取り繕えなかったらしく、苦い微笑みを浮かべながら告げられる。
本音と立場の板挟みになっているような顔に、少し胸が痛んだ。
「ありがとう。それと、母さん」
「なあに?」
「ここまでしんみりさせておいてなんだが、俺は生きて戻ってくるよ」
俺の言葉に、母が数度瞬きをする。
常に穏やかで、滅多に感情を揺らさない人だが、じわりと目尻が赤くなった。
「──ごめんなさいね、私ったら。なんて愚かなの。無事を信じて、送り出すべきなのに!」
謝罪を態度でも表すように、ティーカップを慌ててテーブルに置いて、俺の手をとる。
ぎゅっと握ってきた手は、とても細くて小さかった。
(子どもの頃は、大きいと思っていたんだがな)
魔力量が多い者は老いにくいので、母の見目がほぼ変わらないからこそ、自分の変化を強く意識できて、成長を自覚する。
彼女を護りたくて、楽をさせたくて、早く大人になりたかった自分が、大人になったのだということを急に実感して、感慨深かった。
「謝らなくていい。瘴気の研究者である母さんの方が、俺よりも邪竜の恐ろしさを知っているだろうしな」
「セルツェ」
「でも、慰めじゃないんだ。俺は、本気で言ってる」
「そうね、好きな子がいるのに、死んでられないものね」
揶揄うように言われて、眉尻が下がる。
本気で言っているのに、伝わらない。
(でも、邪竜の恐ろしさを理解出来ている者なら、当然の反応なんだよな)
「綺麗なお嬢さんだったわね。ラフィカさん、だったかしら。貴方がわざわざ私に見せに連れてくるくらいだもの、本気なのね」
「母さん、それはない。わかってるだろ?」
握られたままだった手を握り返すと、ひくりと細い指先が揺れる。
「俺は、誰かと結婚はしない」
「そんなこと、わからないじゃない」
「そんな危険は侵せない。実際、俺がもし、婚約者として彼女を連れてきていたら、母さんは猛反対したはずだ」
俺の言葉に、母はぐっと唇を引き結んだ。
悔しそうで、怒りを含んだこの表情を、俺は何度も見てきた。
「ところで、彼女は俺の気持ちに気づいていると思うかい?」
気持ちを逸らさせたくて、問いを投げかける。
実際、とても気になっていることだったので、わざとらしさが声音に滲まずに済んだ。
「え? ええと、どうかしら」
「気づいただろうけど、とても他人の機微に鋭い人なんだ。俺の鉄面皮などものともせずに内心を言い当てる」
「まぁ。それはさぞかし、貴方にとっては心臓に悪い子ね。そこも惹かれた理由かしら?」
女は色恋の話が大好きで、その話題には飛びつかずにはいられないとウニクスが言っていたが、どうやら本当らしい。
先ほど気落ちしていた事が嘘のように、母は少女のような顔をして、好奇心を見せてきた。
「俺のことはいいから。質問に答えてくれ」
「そうねぇ。さっきの態度を見るに、わかっていてはぐらかしているようには見えなかったわ」
第三者の言葉に、ほっと胸をなで下ろす。
確証を得られたわけではないが、俺よりは母の方が、色恋の機微には聡いだろう。
見目は平凡だが、母は昔からモテた。
聖女であることと、おっとりとした性格が、いろんな男を惹き寄せていたのだ。
けれど母は、おっとりはしていても、愚かでも無知でもない。
本気の男には誠意で向き合い、打算の男は相応の態度であしらっていた。二割ほど、俺から取り込もうとしてきた奴もいたが、もれなく木剣代わりにしていた木の枝で脛を殴った。
モテたのに、なぜ今も独身なのか。
それは少なからず、俺のせいでもあるのだろう。
そう聞いたところで、母は首を縦に振りはしないだろうが。
物心がつき、自分が他の子どもと何かが違うのだと気づいた頃、母は俺に、俺に関する秘密を話してくれた。
決して、誰にも話してはいけないと、何度も念押しして。
「ところで、ただの友人なら、どうしてラフィカさんを一緒に連れてきたの? 貴方が一緒とはいえ、今は道中に魔物も増えて、危険でしょうに」
「ああそうか、そこをまだ説明してなかったな。俺がラフィカを連れてきたんじゃない。ラフィカが俺を、ここに来させてくれたんだ」
「来させてくれた?」
「彼女も聖女なんだ。俺は護衛として、付き添っている」
俺の言葉に、母が瞠目する。
「え? 聖女の護衛に貴方一人って、どういうこと!? そこまで騎士団は人手不足なの!?」
「いやその、色々と事情があってな。説明するとややこしいんだが、彼女が蔑ろにされているわけではないから、協会に報告だけはしないでくれ。面倒なことになる」
「……本当に?」
「自分の息子を信じられるなら、信じてくれ」
俺の言葉に、浮きかけていた母の腰が椅子に戻る。
そのことにほっとして、握ったままだった手を離した。
「……そうね。確かに、私が首を突っ込む事じゃないわ。邪竜討伐を控えているのに、こんな辺境にいるなんて妙だもの。色々と、言えない事情や任務があるのね」
「色々と、汲んでくれてありがとう。驚かせて悪かった」
「いえ。そう……もしかして、ラフィカさんも参戦を?」
「反対している者が多いけど、おそらくは」
「とても優秀なのね。……そうか、だからラフィカさんは、とても大人びた瞳をしていたのね。聡いのに、貴方の気持ちに気がつかないわけだわ。色恋よりも、重大な任務があるのだから」
指摘されて始めて、腑に落ちる理由を得た気持ちになる。
反面、同じ運命の中にいるのに、ラフィカに振り回されている自分が恥ずかしくなった。
「馬鹿ね。男は誰かに恋してるほうが強いからいいのよ」
硬直しただけなのに、図星をつつくような言葉をかけられて、余計に気まずくなる。
誤魔化すように飲んだ紅茶が死ぬほど甘いのを忘れていて、噴き出しそうになった。
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