約束
その命令を受けたとき、ぽとりと心に水を差された気持ちになった。
騎士として、聖女の護衛は義務だ。
だが、邪竜討伐戦が現実味を帯びてきた緊張の中、聖女ニフリトをミルクレスト領まで護衛しろと命じられて、動揺しないほうがおかしい。
俺が所属しているのは第三部隊。魔物討伐の要だ。
隊長は毎日のように殿下達と作戦を詰めていたし、その部下である俺たちは、日々の巡回において魔物の変化を肌で感じていた。
冒険者ギルドとの連携も密になり、魔物の凶暴化と急増に伴い、各所に簡易防護壁の建設も始まっていた。
それすら、遅れていると焦る空気があったのだ。
いつ決行日が通達されてもおかしくはないと、皆、気を張り詰めさせていた。
そんな時に、地方へ行けと言われたのだ。
混乱と動揺から思わず反論してしまった俺を、隊長は咎めなかった。
俺の気持ちを理解しつつ冷静に説得されたことで、これは今、本当に必要な任務なのだと、俺は俺を納得させた。
そして、赤雷蛇の真実を知った時、ようやく俺は、本当に重要な任務を任されていたのだと知り、隊長を信じ切れずに不満を胸中に燻らせていた己を恥じた。
俺の現状を知った上で、騎士職に就かせるために奔走してくれた恩人でもあるというのに、情けない限りである。
だからこそ、すべてを納得した今は、不満も未練もない状態で、首都に戻ろうと決意していた。
その出鼻を、「貴方はラフィカの護衛をしてちょうだい」という聖女ニフリトの一言で挫かれはしたが、それで首都への帰還が遅れることに焦りを抱きはしなかった。
先の一件で反省していたのもあるが、聖女ラフィカという存在の重要性を理解していたのもある。
なにより、なにかとトラブルに巻き込まれている彼女を、無事かつ迅速に首都に連れ帰る役となれば、ミルクーリー騎士団の騎士よりも、多少なりとも彼女を知る俺の方が適任だろう。
もっと正直に言えば、聖女ニフリトの采配に感謝の気持ちすらあった。
間を置くことなく命令を承諾した俺を、聖女ニフリトに騎士の鏡だと褒められて、恥ずかしくなったことを思い出す。
(なるべく気を散らそうと思ってはいたが、そう思っている時点で、もう手遅れだったな)
首都で彼女の帰還を待つくらいなら、自ら付き添いたい。
そういう欲が胸に潜んでしまうくらい、俺はラフィカに惚れていた。
職務を逸脱しない範囲でと自制しつつ、可能な限り彼女の傍にいたい。彼女を護りたいと思ってしまっている。
そう思う頭の隅で、「馬鹿言わないで、一緒に戦うのよ!」と腕を振り回す彼女の姿が想像出来てしまい、余計に愛しくなってしまう始末だ。
「あの建物?」
問いかけに意識を引き戻され、顔を上げると、見慣れた建物の影が視界に入った。
目的地を認識したラフィカが、嬉しそうに俺を振り返っている。
「ああ。あの家だ」
肯定の頷きを返すと、ラフィカは好奇心に瞳を煌めかせた。
「綺麗な屋根の色ね。それに、思っていたよりずっと大きい。幼い頃は貧しかったと言ってなかった?」
「昔はな。今は、俺の稼ぎもあるから。数年前に建て替えたんだ」
「なるほど。やるじゃない」
軽い褒め言葉にすら、胸に喜びが湧く。
軽快に歩くラフィカの後ろ姿が、なぜこんなに輝いて見えるのかが不思議でならなかった。
俺の人生で、これほど輝きを身に纏っている人を見たことがない。
というか、ラフィカも最初はここまで光っていなかったと思う。
初めてちゃんと顔を見たとき、とても美しい少女だと思ったし緊張もしたが、目を細めなければ直視できないほどではなかった。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
なぜ、彼女はこんなにも魅力的なのだろうか。
(……なぜ、寄らなきゃならなかった場所がここなんだ)
貴方が案内するのだと言われて呆けた俺に、ラフィカはしれっと「貴方の実家に行くわよ」と告げた。
その言葉と、優しい表情を見た瞬間に、俺は諸手を挙げたのだ。
手遅れだ、降参だと、思わざるを得なかった。
好意を抱きつつも深入りはしないようギリギリで線引きしていたというのに、指先でちょんとつつかれて、あっさりと跨いでしまった。
この場所は、隊長の命令に納得しかねていた俺の心を、誤魔化した要因の一つだったのだ。
邪竜復活の話が街の噂になる前から、結界外の魔物に異変は起き始めていたため、魔物討伐部隊は多忙を極めていた。
その唐突かつ予想外の変化と後の通達は、地方から出てきた平民の俺が、最後の帰省をする機会を得られぬ事を物語っていた。
元より、いつ死ぬかわからない仕事をしている身なので異議はなかったが、死ぬとわかっている戦を前に、母の顔を見たいと思わないわけがない。
もちろん、聖女ニフリトの護衛についたところで、目的地はミルクレスト領なので、帰省できるわけではない。
それでも、少しでも近くにいけるのだという理由は、俺を納得させる後押しとして充分だったのだ。
(充分だったのに──)
俺は聖女の命令で、今、実家の前に立っている。
隣には、わざと恩着せがましい顔をしてにやついているラフィカがいた。
何に泣きそうになったのかわからないほど胸詰まされて、瞬きを繰り返す。
貴族や商家のそれよりは質素だが、規模は劣らぬ屋敷。
俺が育った場所。大好きで大切な、家族が居る家。
母は最初、俺だけを個人的な理由で引き取ったが、なぜかどんどん増えた。
庭で遊んでいた幼い弟妹達が、俺に気づいて一斉に駆け寄ってくる。
あっという間に飛びつかれ、末っ子のシレッドによじ登られた。
「セルツェ兄だ!」
「なんで!? どうして!?」
「待て、待て。落ち着け。母さんは?」
シレッドを顔から引き剥がして肩車しつつ、誰にともなく問う。
「この女の人誰!? めっちゃ綺麗!」
「こんにちは!」
「彼女!?」
「違う。失礼な事を言うんじゃない。俺の話を聞け」
「お母さぁん! セルツェ兄が彼女連れてきたぁー!」
あっさりと無視された挙げ句、一人が大嘘を叫びながら屋敷に駆けていく。
追いかけたかったが、好奇心丸出しの弟妹にラフィカが囲まれそうだったので、壁になるしかなかった。
めんどくさいので二人まとめて抱きかかえつつ、残りの一人を抑えてくれていた年長の妹に視線を向ける。
「ナッツェ、母さんは?」
「さっきまで庭にいたけど、今は研究室にいると思う」
「そうか。みんな元気か?」
「見ての通りよ。元気が有り余ってて困ってるわ。シレッド、兄さんは用事があるから肩から下りなさい」
言いながら、肩車していたシレッドを引き取ってくれる。
元からしっかりしていたが、一年ぶりに会ったナッツェは、見違えるほど大人びて見えた。
「大きくなったなぁ」
「一年前も同じ事言ってたわよ。もう十六なんだから、そんなに変わらないわよ。というか、おかえり、セルツェ兄」
「ただいま」
「お客様も、ようこそ我が家へ。騒がしくてごめんなさい」
「いいえ。とっても楽しいわ」
他の弟妹は来訪の理由をナッツェが問うことを期待する顔をしていたが、ナッツェはただ丁寧にラフィカに挨拶をし、歓迎する。
ラフィカはただ、笑いを堪えるように微笑んでいた。
少しだけ、好機の視線に照れているように見えるのは、俺の願望だろうか。
セルツェ、降参だってよ。
というわけで、彼が自分の恋心を自分で認める回でした。
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