ある少女の覚醒(3)
(え、これ──なに? 謝罪? 謝罪待ち!?)
新米冒険者がこんな場所うろついてて済みませんでしたって?
けれど、私がこのエリアにいるのは違法でもなんでもないはずだ。
むしろこんなところにいるのがおかしいのは、大角猪の方。
それを騎士団が追いかけていたということは、仕留め損ねた上に、防護結界の方に逃走させた彼らの失態に他ならない。
(はっっっっ! 隠蔽!? 失態を隠蔽するために、私をどうするか決めあぐねている!?)
意図を探ろうと視線を向けたが、赤髪の騎士の表情からは何の意図も読めなかった。
ただどっしりと、存在感のままに佇んでいる。
(こわっ)
私の身長は一五十センチに満たないので、大抵の男性を見上げることになるのだが、彼はそれに加えてなんていうか厚い。
偉躯、という言葉がこれほど似合う人はそうそういない気がする。
(さすが、王立騎士団、第三部隊の隊長)
チラッと視線を下げて襟元を確認すれば、金地に赤い糸で交差する一角が刺繍された襟章が、誇らしげに飾られている。
私が喉から手が出るほど欲しかった、魔物討伐部隊の赤だ。
はぁー、いいなぁ。いいなぁああああ!
(私も欲し──じゃない。そんなことに気を取られている場合じゃないわ)
いい加減沈黙にやきもきするのに疲れたので、私は覚悟を決めて口角を吊り上げた。
無害そうな笑顔、大事。
「あの、助けていただいてありがとうございました。あの騎士様にも、意識が戻りましたらそうお伝えください!」
深々と頭を下げ、騎士団の失態になど気づいていないふりをする。
父親譲りの美貌(非常に腹立たしいことに、男のくせに儚げな美人なのだ)も最大限に活かして、騎士への尊敬と憧れの眼差しを向けた。
実際、めちゃくちゃ憧れの存在なので、そこに偽りはない。
しかし赤髪の騎士は、多少雰囲気を和らげはしたものの、気難しげな顔をした。
騎士と対面するなんて初めてなので油断してしまったが、平民の娘如きが先に話しかけて良い存在ではなかったのかもしれない。
国民であれば誰もが敬愛し、憧れる存在であるということから、勝手に親しみを感じていたが、よく考えれば貴族が多い職種だ。
(というか、よくよく思い出さなくても、第三部隊の隊長ということは、ヴィリキュイ侯爵家の次男だわ!)
そう気づいた途端、頭からサーッと血の気が引いた。
「……申し訳ありません。声かけを待たず、無礼を致しました」
「えっ。あ、いや、すまん! 違う。違うから気にしないでくれ」
「そう申されましても、ご不快にさせてしまったようですし」
「あーそれも誤解だ。……いやな、ありがとうと言われて、少し戸惑ってしまっただけで」
「……?」
「ああ、そんな恨みの欠片もない目で見るのはやめてくれ。感謝をされてしまうと気まずいというか、なんというか」
「ええと?」
「そもそも、なぜ感謝する。追い立てをミスった俺たちが原因で、お嬢さんは魔物に殺されるところだったんだぞ?」
あ、そこ認めるんだ。
(いやそれもそうか。王立騎士団の騎士ともあろう者が、失態を隠蔽するとかあり得なかったわね)
むしろ一瞬でもその可能性を疑った私が、失礼極まりない。
(でも、じゃあなぜ、彼はここに残っているのかしら?)
その疑問が伝わったのか、赤髪の騎士の視線が改めて私に向けられる。
まじまじと頭頂部からつま先まで眺められて、いささか緊張した。
「……あの?」
「ああ、すまん。俺──私はマールス・ヴィリキュイ。王立騎士団、第三部隊の隊長を任されている」
改めて名乗られ、騎士の礼をとられる。
隊長、と周囲の騎士達が何度も呼んでいたのでわかってはいたが、改めて名乗られると、ああ本当にこの人なんだな、と実感がわいた。
私が彼の名前を覚えていたのは、第三部隊が私にとって、納得して諦めはしても羨む心は消せない場所だからだ。
騎士団による魔物討伐の話題が新聞に上がる度に、欠かさずチェックしている。
前任が急逝したのもあるが、三十六歳という若さで第三部隊の隊長に抜擢されたこの人を、私はいつかこの目で見てみたいと思っていた。
連日、魔物討伐を行っている第三部隊の騎士の姿を目にする機会など、現在の私の活動域ではほぼ無いと言えるので、今こうして対面できているのは千載一遇のそれだ。
(まさか、こんなにはやくお目にかかれるなんて)
新聞は白黒だし、購買意欲が増すような美形でもない限り姿画が掲載されることはないので、誇張気味の討伐記事からその姿を想像するしかなかった。
(紅蓮の髪に、炎の瞳の巨人だとよく表現されていたけれど、巨人はいささか誇張が過ぎるわね)
確かにがっしりと逞しい体つきだが、どちらかというと引き締まっている印象だ。
ただ、その佇まいに迫力があることは確かなので、そう書きたくなる気持ちは理解出来た。
「平民の小娘相手に、真摯に名乗ってくださるなんて……。光栄にございます。マールス・スピ・ヴィリキュイ様。私はラフィカ・イエインと申します」
あえて省略されたミドルネームをつけることで、侯爵家の人間であることをきちんと理解していることを告げる。するとヴィリキュイ様はかすかに目を見開いたあと、眉間にしわを寄せた。
「よせ、よせ。俺はそういうのが苦手なんだ。それに今は一介の騎士としてここにいる。だからマールスでいい」
「はい、マールス様」
「……なんか調子狂うな。本当に平民の娘か?」
告げられた言葉で、令嬢然としたお辞儀をしてしまったことに気づく。
格好は冒険者のそれなので、滑稽極まりない。
無性に恥ずかしくなり、頬が熱くなった。
(いやだわ。記憶を取り戻したばかりだから、体が勝手に!)
「いえ、その、礼儀を尽くそうと、見よう見まねで……お恥ずかしい限りです。おかしかったのなら、どうぞ遠慮なく笑ってくださいませ」
「いやいやいやいや? ……うん、まぁ、うーん?」
困惑を深めた様子で、マールス様が顎髭を擦る。
言葉を決めあぐねるように五秒ほど沈黙したが、深く考えないことにしたのか、切り替えるように軽く息を吐き出した。
「まあ、いいか。それで、ラフィカ嬢はなぜここに?」
「あっ」
言われて罠のことや依頼のことを思い出したが、今日はもう諦めるべきだろう。一つ目の罠にヴルカン鳥がかかっていたとしても、時間が経ちすぎている。
網に防火処理が施されているとはいえ、とうに焼き切って逃げているはずだ。
(ああもう、安い罠じゃないのに!)
「どうかしたのか?」
「い、いえ、些末なことです。私がここにいたのは、受けた依頼をこなすためでした」
「なるほど、冒険者か。登録証を見せて貰っても?」
なるほどもなにも、手足にがっつり魔導具を装備しているのだから最初からわかっていただろうに──と思わなくもないが、偉い人達の間には手順というものが存在することもわかっている。
私は手早く懐から登録証を取り出し、マールス様に差し出した。
「水晶か。登録日は──一昨年の花請い月。ふむ」
ぺらっと裏返されて、少し焦る。そこには昇格の履歴が刻まれているからだ。
「あ、あっ。私が石付きになるのに一年かかったのは、魔力の少なさが原因でして! それ以外は問題ないというか完璧というか伸びしろの塊というか!?」
目を掛けて貰える要素など皆無なのに、紙の隅についたインク染みみたいな一欠片の期待が、私に言い訳を口にさせる。
(静まれ私の野心。今はまだその時ではない!)
着実に経験を積んで熟練の冒険者となり、騎士団との共闘で死線をくぐり抜けた翌日にギルド長に呼び出され、最高級の絹羊用紙をひらひらさせられながら「昨日の灰色の髪の美女は誰だ、と王立騎士団、第三部隊の隊長から手紙が届いているよ?」と言われる予定なのだ。
「魔力が少ない……なるほど、それが理由か」
「え?」
得心がいったという様子の呟きが、私を妄想の世界から引き戻す。
はっと上向くと、マールス様と目が合った。するとどうしてか、先ほどより二回りほど大きく見える。
「え、と……?」
「ラフィカ嬢。貴方の体格と、魔力が少ないという不利を思えば、そこに手を出してしまいたくなる気持ちはわからなくはない。だが、違法は違法だ」
「え?」
違法?
本当に、微塵も、心の底から心当たりがなくて、呆けてしまう。
しかしマールス様は私の悪事を確信しているようで、すうと双眸を細めた。
「しらばくれるか? では、その両腕に填められている魔導具はなんだ」
「……筋力強化の魔法が付与されている魔導具、です……けど」
あ、察し。
──という顔を私がしたことで、観念したのだと思ったらしく、マールス様はどこか面白そうな顔で口端を歪めた。
「私は、私の目で見た限り、その魔導具が国で定められている強化値を大幅に上回る性能を発揮していたと判断した。それは、使用目的がたとえ魔物討伐であったとしても違法であり、使用者自身と周囲を危険に晒す非常に危険な行為である。よって、今より速やかにそれらを外して提出し、私に同行してもらう」
「え、いやその──ちがっ」
弁解の言葉を、差し出された大きな手に遮られる。
戸惑う私を見下ろしながら、マールス様は凄みのある微笑みを浮かべた。
「安心しろ。今回は部下が救われたからな。特別に内々で収めてやる。まあ、制作した魔具師は吐いて貰うけどな」
そう告げて差し出された手に両腕の魔導具を差し出す以外、私に何が出来たというのか。
たとえそれが、誤解であったとしても。
ああどうしよう、助けてカナリス姉さん!