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聖女とは仮の姿ッ  作者: 夜月ジン
赤雷蛇編
48/72

その魂に、課せられるもの(3)

「どうしたの!?」

 慌てて駆け寄った私の背後から、セルツェが苦い声で答えてくれた。

「貧血と、魔力枯渇だ。守護精霊を浄化したあと、弱まった契約を結び直すために、大量の血液が必要だったらしい」

 説明を聞いたことで、セルツェの態度に納得がいく。

 ただ見守ることしかできない自分を、責めているのだ。

「魔力回復薬は?」

「飲ませてある。俺が所持していた回復薬も」

 その言葉で、私も腰のポーチにしまっていたそれを取り出す。

「ニフリト。辛いだろうけど、これも飲んで」

 そっと口元に瓶の縁を寄せると、かろうじて口を開いてくれる。

 誰だって味を想像するだけで一瞬躊躇う品だが、そうも言っていられないとわかっているのだろう。

「──ッ、ふっ、ごほっ」

「ごめん、急すぎた?」

「だい、丈夫、よ。今までで一番……マシな味だわ」

 白い顔で、ぎこちなく微笑む。

 言葉選びといい、その気概といい、彼女の気の強さにつられるように、苦笑してしまった。

 目を閉じて呼吸を整えている彼女の身体に、さっと視線を流す。

 塞がってはいたが、左腕にかなり大きな傷跡があることに気づいて、その思い切りの良さに血の気が引いた。

「貴方って、頑張りすぎだわ」

 守護精霊を取り戻す正念場だったことは確かだが、余りに自分を投げ出しすぎる。

 心配を伝えようと頬を撫でると、ニフリトはくすぐったげに眉根を寄せた。

「……ところで、その御方は……どなた?」

 貧血で視界が霞むのか、目を細めながら、ニフリトが視線を向ける。

 その先には父がいたが、セルツェには視えていないようだった。

「迎えでも見えてるんじゃないだろうな!? しっかりしてください、聖女ニフリト!」

 焦るセルツェの言葉に、思わず声を出して笑う。

 そんな私に、セルツェは目を丸くしていた。

「なんだ。君にも視えているのか?」

「大丈夫よ。精霊もどきになった、サトゥールン様がおられるの」

「サトゥールン様が、せいれいに……?」

 驚きと戸惑いをニフリトが口にすると、父は私の反対側に屈み込んだ。

『悪夢に魘されながら、必死に私に手を伸ばそうとしてくれている者がいることに気づいていた。だが、その手が娘ではないとわかっていたから、私は無視した。救いはいらなかった。娘が戻らない以上、この身が燃え尽きるまで魔物を滅ぼしたいだけだった』

 父の表情で、それがもう過去のものになったと伝わったのだろう。ニフリトが、心底安堵したように眉尻を下げた。

「目が、お覚めになったようで、なによりですわ」

『お前には、迷惑をかけたな』

「いえ……私は、私の意思で、ラズゥム様の願いに従ったまでです」

 二人目の息子の名に、父はぐっと息を詰めたが、目を閉じただけで問い返さなかった。

 知る苦しみよりも、知れぬ苦しみを選択したのだろう。

 父に出来ることは限られている。悔恨に気を取られている暇はないと、彼らしい潔さで、痛みを呑み込んだ気がした。

『……私は拒んでしまったが、私の助けを、お前は望むか?』

 首を傾げたニフリトに、父は己の状態と、女神エレジアに与えられた使命を告げる。

 するとニフリトは、微かに目を見開いた。

「つまり、私に、加護を授けてくださると?」

『そうだ。加護といっても、私が与えられるのは、同化していたティエラ様の特性に基づいたものだけだろう。せいぜいが強靱な肉体と、魔力くらいだ』

「願ってもありません。それこそ、私に、欠けていたもの」

 これ以上の喜びはないという顔で微笑んでから、ニフリトは気を失うように眠りに落ちた。

 身体が魔力と体力の回復に集中しはじめた証拠だろう。

 ニフリトの顔にかかっていた髪を梳き退かし、微かに赤味が戻り始めた顔色に安堵した。

 視線を上げた先で、父と目が合う。

「しっかり、彼女を護ってくださいね」

『言われるまでもない。ミルクーリー家に相応しい、立派な娘だ。よくよく見れば、かつてのお前に面差しもよく似ている。この娘が往生するまでは、この身を保たせてみせよう』

 優しいときの、茶目っ気のある微笑みに、目頭が熱くなる。

 徐々に迫る別れの時に、胸が引き裂かれそうなほどの寂しさを感じていた。

『む。私の魂は、この水域に縛られているらしい。森の外まで送ってやれなくて悪いが、気をつけて帰りなさい』

「はい」

 優しい声音に、覚悟を決めたとき独特の響きがある。

 きっともう二度と、父は私にお会いにはならないだろう。

 それこそが、大きな過ちを犯した罰なのだと、真面目に考えていそうな顔だ。

 哀しくないと言えば嘘になるが、こんな形での再会を互いに望んでいなかったことも事実。

 後はただ、それぞれの役割を果たすために、前を向くしかない。


   ◇ ◇ ◇


「気を失われたのか」

 会話が止まって暫くしたところで、セルツェが私の背後からニフリトを覗き込んで来た。

 戸惑いが窺えるのは、目に視えぬ第三者との会話を聞かされていたからだろう。

「ごめんね、蚊帳の外にしちゃって」

「問題ない。ことこの一件に関して、俺は最初から部外者だ」

「……巻き込んでごめん」

「すまない。嫌味を言うつもりでは」

 無意識に滲んでしまった感情だったらしく。私の謝罪にセルツェが眉尻を下げる。

 所在なさげに視線を彷徨わせる様を横目に見つつ、私は少し微笑んだ。

「でも、貴方がいなければ成功しなかったわ。手伝ってくれて、ありがとう」

 立ち上がり、改めて礼を言う。

 セルツェは視線を私に戻してから、気持ちを切り替えるように頷いた。

「役に立てたのなら何よりだが、無茶はほどほどにしてほしい。というか、突然現れて驚いたぞ。あの黒い人影はどうなったんだ?」

 ニフリトと場を後にした彼からすれば、私と父との間の出来事を知りようがない。

 当然の疑問だったが、どう言葉にすればいいかわからなくて、結果を言うことしかできなかった。

「無事になんとか出来たわよ。信じてって言ったでしょう?」

「君がここに来ている以上、その通りなんだろうが……まさか赤雷蛇の正体が、人だったとは。だがなぜ、それが守護精霊が暴走したという話になったんだ?」

「……赤雷蛇の、正体」

 情報が歯抜けていると、そういう解釈になるのか。

 目から鱗が落ちるような感覚を味わいながら、これは使えるのでは? と閃く。

 今はもう、ミルクーリー家とは何の関係もない私の一存で舵を切るべきか迷ったが、口が先に動いてしまっていた。

「ニフリト──というか、ミルクーリー侯爵家は内々の問題だからと話す気がなさそうだから言ってしまうけれど、赤雷蛇の正体は、魔物に取り憑かれた領民だったの。それを救おうとした守護精霊様は、その領民の命を盾にとられてしまったことで、隙を突かれて一緒に取り込まれてしまったのだそうよ。けれど取り込まれたことで、魔物を抑えることには成功したの」

「じゃあ、守護精霊は領民を護るために、その身を犠牲にされただけだったということか? なぜそれを領主は主張しなかったんだ?」

「守護精霊の暴走という誤った噂が、予想以上に早く、また大げさに広まってしまったことと、冒険者ギルドによって固有名まで付けられてしまったことで、弁解する機会を奪われてしまったのよ」

 頭で考えるまでもなく嘘がするすると出てきて、内心で驚く。

 それを表情にださないようにするのに、かなりの精神力が必要だった。

「……確かに、討伐対象として名を連ねるほどになってしまったら、何を言っても、失態を誤魔化すための嘘だと取られてしまいそうだな」

 元冒険者だったからこそ、現場の空気というものを察しやすかったのだろう。

 セルツェは私の言葉に特に疑問を抱くことなく、思案するように目を細めた。

「ええ。だから、ミルクーリー家は、表向き赤雷蛇を討伐するという態度を取らざるを得なかったの」

「なるほど。聖女となったニフリト様は、ミルクーリー家にとって、守護精霊を救うための希望だったのだな」

 うんうんと、頭を縦に振る。

 みるみる同情に表情を曇らせていくセルツェには申し訳ないが、ミルクーリー家の威厳を取り戻すための手伝いもしてもらおう。

 赤雷蛇の恐怖から解放された今ならば、人々はこの美談(うそ)を喜んで受け入れてくれるはずだ。

 守護精霊を救った聖女として、ニフリトの名がミルクーリー侯爵家の尊厳を取り戻してくれるだろう。

「そうよ。彼女が失敗したら、赤雷蛇が目覚めてしまった以上、討伐するしかなかった。あの巨大な岩竜と戦えば、甚大な被害も出たはず。そして討伐を成し得たとしても、ミルクーリー家にその後はなかった。守護精霊の加護を失うことは、侯爵家としての意義を失ったも同然だもの」

「聖女ニフリトは、そんな重責を一人で背負っていたのか」

「ええ!」

 押し殺した声音に、大きく頷く。

 意味は違えど、彼女が背負っていた使命は、孤独と恐怖に満ちたものだったはずだ。

 それを私自身も改めて思い返し、胸が苦しくなった。

 ニフリトを見下ろした私の横顔に、強い視線を感じて顔を上げると、アイスブルーの瞳と目が合う。

 少し力を抜くような微笑を向けられて、どきりとしてしまった。

「君の存在は、彼女にとってどれほど光だっただろう。君は本当に、眩しいな」

「まぁ、讃えるべきはニフリトの勇気よ。私は、たまたま彼女に寄り添えただけだもの」

「その信頼を勝ち得るだけの人柄だったからだろう。謙遜することはない」

 そんなキラキラした目で、褒め称えないでほしい。

 さすがに恥ずかしい。

「もう。私のことはいいのよ。それより、貴方こそ──」

 話を逸らすための話題を探すために、セルツェに視線を彷徨わせる。

 頭部の角を見上げたところで、微かな違和感を抱いた。

「あら? その角、ちょっと小さくなってない?」

 そう言って手を伸ばしたら、珍しく大きく表情に驚きを出して、私の手を掴んだ。

 呆気にとられた私と、数秒見つめ合う。

「あっ、触れようとして、ごめんなさい。貴重なものだものね」

「いや、そういう訳では……」

 慌てて私の手を離し、視線から遮るように角を撫でる。

「別にいつも通りだと思うが」

 声音にあまり触れて欲しくないという意図が見えて、私は素直に同意の頷きを返した。

 索敵以外の魔法も刻まれているようなことを言っていたし、奥の手を探られたくないのだろう。

「光の加減でそう見えただけみたい。ごめんなさいね、欠けてるみたいなことを言ってしまって」

「いや」

 少しだけ気まずい空気が流れたが、それは遠くから迫ってきたざわめきによってかき消された。

 木の陰から、ちらちらと赤褐色の鎧が見える。

「騎士団だわ」

「冒険者もいるな。合同の討伐部隊だろう。咆哮も聞こえただろうし、霧が晴れたことで、入ってきたんだな」

「合流して、全部終わったって、説明しないとね」

「そうだな」

「じゃあ、行きましょ」

 当然のようにニフリトを抱え上げた私に、セルツェは何か言いたそうに口を開いたが、すぐに閉じた。

 自分の両手が塞がるほうが、護衛として問題があると思ったのだろう。

 思わず笑うと、少し不満げな視線が向けられる。

「君をどう扱ったらいいのかわからなくて、混乱する」

「まぁ、どういう意味?」

「君は護られるべき存在なのに、俺はあの時、君を頼ってしまった」

 ニフリトを連れて撤退を考えたときだろう。

 あの時私は嬉しかったが、セルツェはどうやら後悔しているらしい。

「聖女は……君は、護られるべき存在だ。危険なことをしてほしくないし、すべきじゃない」

「嫌よ、私は一緒に戦いたいわ」

「……わからない。そういう君を、否定したいような、否定したくないような」

 セルツェはそう言いながら瞼を伏せて、表情を翳らせた。

「あらやだ。本当に混乱してるわね? まだ私が危なっかしいから振り切れないんじゃないかしら? どうせ貴方に大人しくしていろと言われたところで従う気はないし、いっそ私に稽古を付けてくれたらどう?」

「それは……いや?」

 一瞬、私の提案に流されそうになったのに、セルツェはすぐに口を紡んだ。

 流されてくれなかったことに思わず舌打ちすると、私を見下ろしながら長いため息をつく。

「君は本当に、俺を振り回すな」

「まぁ、心外だわ」

 綺麗な顔で思わせぶりな事を無頓着に言ったり、どきっとするような事をしでかすのはむしろそっちだ。

 その不満をこめて睨んだが、真っ青な顔をした若い男性が猛然と駆け寄って来たので、反論の続きはお蔵入りになってしまった。

 間違いなく、ニフリトの弟だろう。

 意志の強そうな目元が、よく似ていた。


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