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聖女とは仮の姿ッ  作者: 夜月ジン
赤雷蛇編
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その魂に、課せられるもの(2)

 ぴたり──と、父の動きが止まる。

 脇にしがみついている私を引き剥がそうとしていた姿勢のまま、私を見下ろした。

 いつの間にか、曖昧だった輪郭がはっきりとし、その姿は生前の父そのものになっていた。

 私を掴んでいた手が離れ、一歩怯むように後退する。

『ちがう。違う、違う。お前は、ちがう』

「百年以上、ミルクレストの領主としてあるまじき醜態を晒しながら呼び続けた娘が、わからないのですか」

『ちが──う』

「生まれ変わってまで、貴方に会いに来た娘が、わからないのですか」

 言いながら、堪えようもなく両目から涙が溢れた。

 滲んだ視界で、父が何度も目を瞬かせながら、私を凝視している。

「ヴィク、トリ──ア? 本当に、お前なのか」

 かつての私の名を口にした途端、瞳に色が戻ったように見えた。

 肉体などとうに失われているだろうに、彼が正気に戻ったのだとわかるほど、知性を宿した輝きがあった。

 よろよろと近寄ってきた巨体を、抱き締める。

 濁った魔力が質量をもっているからこそ触れられた皮肉に、唇を噛み締めた。

「──お父様。お父様! おろかな娘で、ごめんなさい」

『わたし、は……私は』

「領主としての役目を忘れ、狂ってしまわれるほど愛してくださっていたのに、己の焦りにばかり気を取られて──」

 その先を言わせまいとするように、父の両腕に力がこもる。

 それに押し出されるように、熱い雫が頬に零れた。

『悪いのは私だ。お前が悩んでいることを……苦しんでいることを知っていたのに、見守ることしかできなかった。好きにさせてやることが、一番だと──逃げてしまった』

「仕方ありませんわ。他に何を提案できたというのです。私は本当に、ミルクーリー家の娘としては無能だった」

「そんなことは、そんなことは……」

 ない、と言えない。言えないのだ。この期に及んでも、それは真実だった。

「ふふ。この状況ですら、その場凌ぎの慰めを言えないほど、ミルクーリー侯爵としての自覚がおありなのに、どうして間違ってしまわれたのですか」

『私とて、完璧ではない』

 記憶の中にある、父の姿からは想像も出来ない言葉だ。

 けれど事実、彼は大きな過ちを犯してここにいる。

 人はどんなに完璧に見えたとしても、完璧ではないのだ。

 そのことを目の当たりにしたことで、過去の私の心が、少しだけ軽くなった気がした。

「……お迎えが、遅くなって申し訳ありませんでした。どうか、もう、お休みになって」

『ああ』

 同意を得た瞬間、発動させ続けていた私の浄化魔法が、高い効果を発揮し始める。

 受け入れられたことで、心に干渉できるようになったからだ。

 人の身に宿る魔力は、血肉よりも心や精神に分類される。

 大気(マナ)に戻ることを拒絶する意思が宿ってしまっているぶん、瘴気より厄介だが、それが魔物と人との違いなのだと思えば、必然なのだろう。

 浄化された魔力が質量を失って、触れられていた身体が腕からすり抜ける。

 寂しさに目頭が熱くなったが、父の身体が妙に発光していることに気づいて首を傾げた。

 消えかけていた兄の霊体と比べると、輪郭もまだはっきりしている。

「お父様、何か変ではありませんか?」

『そう、か?』

「今の状態で、あまり自我を保ち続けるのはよくない気がします。さっさと成仏なさいませ」

『そうは言われても、どこに行けばいいのだ?』

「…………」

『…………』

 互いに目を見合わせ、奇妙な沈黙を共有する。

 微かに首を傾げて、父が思案するように口を開いた。

『お前の時は、どうだったのだ』

「ああ、エレジア様が送り出してくださって……」


 ──やっと、私の名を呼びましたね。


 どこからともなく声が響き、大気を編むようにして美しい女性が現れる。

 憂いの表情は儚げで、金色の髪と瞳が神秘的だった。

「エレジア様?」

 姿をはっきりと見たのは、これが初めてだったが、すぐにわかった。

 耳に馴染む優しげな声が、何よりも印象的な御方だ。

 そう、思ったのに。

「はぁーっ、もう! やっと泉に来てくれたと思ったら、ああもう泉じゃなくなっちゃったけれど! とにかく、来てくれたのに、貴方ってば私の名前を呼んでくれないのだもの! 加護を与えている貴方が名を呼んでくれないと、私は生者の前には姿を現せないのよ!」

 せわしなく話す姿に、総ての神秘が台無しになる。

 隣で父も、唖然としていた。

「大変だったのよ! 封印の力が弱まったところで貴方が覚醒してしまったから、魔力をごっそりもっていかれてしまって! そのせいで、かろうじて眠ってくれていた彼が起きてしまったの! 結果的に、貴方たちが間に合ってくれたからよかったけれど。ああ、本当に、怖かったわ。私の領域で、これ以上沢山人が死ぬのは嫌だもの!」

「待って。待ってエレジア様。落ち着いて」

 前のめりにまくし立ててくるエレジア様を、なんとか宥める。

 その間に気概を取り戻したらしい父が、深々と頭を下げた。

『初めてお目にかかります。女神エレジア。私の荒れ狂う心を、鎮めてくださっていたのは、貴方様だったのですね』

 父の言葉で本来の役割を思い出したかのように、エレジア様は乱れた髪を梳き上げて、ちょっと威厳がありそうに見えるポーズを取った。

 今更取り繕ったところでと思いたいところだが、そこはちょっとズレていても女神。

 神々しさは本物だった。

「……私は勇敢で哀れな魂に、少し手を貸しただけです。感謝なら、己の息子になさい。彼のお陰で、貴方は最悪を避けられた」

『──返す言葉もございません。それで、その、息子の魂は……』

「お前が心配するまでもない。魂の損耗が激しいため転生には時間がかかるでしょうが、その気高さに見合った祝福と共に、新たな生が与えられるでしょう」

 ないはずの涙が、父の頬を伝う。

 それは顎から滴る前に、光の粒となって消えた。

「あの、エレジア様。父はどうなってるんですか? 正気を取り戻し、魂の穢れも浄化できたのですが……」

 改めて、肉体がないのに妙にはっきりと姿を保っている父を見て、不安になる。

 そんな私の気持ちを察したように、父も戸惑い気味に自分の両手を見下ろした。

『意識もはっきりしていて、俗に言われているような、魂が大気(マナ)に溶けていくような感覚もないのです』

「あたりまえです」

 私たちの不安を切り捨てるように、女神エレジアが告げる。

 驚いて視線を向けると、風もないのにゆらいでいた長い金髪を、エレジア様は片手で掻き上げた。

「長く精霊と同化していたのですよ。その状態で百年あまりも眠り、膨大な魔力も取り込んでいる。お前の魂は、もう人のソレではないのです。人としての輪廻に戻れるわけがない」

「そ、そんな。じゃあ父はどうすれば!?」

 驚きに食ってかかった私を、父が仕草で止める。

 そのことで、エレジア様がまだ何かを言おうとしていたことに気がついた。

『父である私を思えばこそ。貴方様の言葉を遮ってしまったこと、どうかお許しください』

「構いません。私は心の狭い女神ではありませんから!」

 敬われて浮き足立っていなければ、格好いいのに。

 それが顔に出てしまったのか、私の冷めた視線に気づいたエレジア様が、咳払いをした。

「ンンッ。とにかく、今のお前はどちらかというと精霊に近い。故に、我が眷属として、私にかわり、この地を彷徨う魂を慰める役を担うがいい」

『……この私に、罪を贖う機会をお与えになってくださるのですか』

 目を見開き、父が喜びに身体を震わせる。

 けれどエレジア様は、それに対して厳しい眼差しを向けた。

「精霊に近いとはいえ、所詮は人。半精霊の身では、そう長く精神は保てない。やがては自我が崩壊し、世界に溶けるだろう。お前の魂は、滅びるのだ」

「そん──ッ」

 そんな、と言いかけた口が、父がその場に頽れるように跪いたことで止まる。

 嗚咽に息を詰まらせながら、父は何度も女神エレジアに感謝を述べた。

「──それまでは、役目を果たしなさい」

 そう言い残すと、女神エレジアは姿を消した。

 声音こそ厳しいものだったが、父を見下ろすエレジア様の表情は苦悶に満ちていた。

 魂が一つ消えることを、心の底から悼んでくださっている。

 彼女と父の姿を改めて見たことで、私が口にしようとした不満が、過ぎた望みだと言うことを自覚させられた。

 これ以上、何を望もうというのか。

「ご慈悲に、感謝いたします」

 ひとまず今は、他の諸々を脇に置いて、彼女への感謝を述べる。

 私と彼女との問題は、また今度だ。

 総てが落ち着いたら、再び会いに来なければと考えていたところで、父がようやく平伏すように下げていた頭を上げた。

『精霊に近いということは、加護を与えられるのだろうか?』

 立ち上がりながら、ふと零す。

 生来の目聡さというか、どんなものでも利用して戦力にしていく彼の手腕を、その発想の突飛さから思い出させられた気がした。

「どうでしょうか。理屈としては、可能そうですが」

『では、試してみよう。移動するぞ』

「え?」

 言う間に視界がぶれて、微かに浮いていたらしい身体がよろめく。

 慌てて踏みしめた地面は、氷から土に変わっていた。

「ラフィカ!?」

 声に視線を向けると、剣の柄に手を添えて臨戦態勢のセルツェがいた。

 唐突に現れた気配に、警戒したのだろう。

 それが私だったことで、拍子抜けしたような顔をしていた。

 だが、彼の戸惑いよりも、その背後で木の根に寄りかかるように座り込んでいるニフリトに目が行く。

 荒い息に胸を大きく上下させている彼女の顔は、紙のように白かった。


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