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聖女とは仮の姿ッ  作者: 夜月ジン
赤雷蛇編
45/72

霧深い森の底から(2)

 指先で煌めく青い石を転がしてから、差し出された手のひらに返す。

 セルツェはそれを、慣れた仕草で袖に付け直した。

「貴方の頭の(それ)、魔力探知用だったのね。随分贅沢な使い方だこと」

「そうでもないさ。魔物討伐において、索敵能力の優劣は生死に関わることが多いからな」

「……確かに」

 この森で尽く先手を取られたにも関わらず、その重要性を軽視した自分の阿呆さに恥ずかしくなる。

 でもやはり、赤斑の角という高級素材を使う魔導具にしては、いささか贅沢すぎる気がした。

「もちろん、それだけじゃないさ」

 私の不満を察したように、セルツェが告げる。

 赤斑の角が、冒険者にとって憧れの一品だということは重々承知なのだろう。

 嫉妬を宥めるような眼差しが余計に皮肉に見えて、私はついと顔を逸らした。

「まぁ、ラフィカ。何が不満なの? カフスに込めていた僅かな魔力を頼りに、幻惑の霧を越えて来るなんて、とんでもないことよ? 魔導具の補佐なんて、殆どおまけよ。紛うことなき彼の実力だわ」

 私の態度を、今度はニフリトが咎めてきて、私はますます眉間に皺を寄せた。

「そんなことはわかってるわ。実際、助けに現れてくれたとき、あまりの格好良さに後光が差して見えたもの。でも、問題はそこじゃないの」

「じゃあなによ」

「赤斑の角は、冒険者にとって──あぁ、もういいわ。私の負けよ。くだらない嫉妬をして申し訳ありませんでした!」

「嫉妬? なんで貴方が騎士様に」

 生粋の貴族令嬢であり、聖女なニフリトには、冒険者としての羨望や嫉妬など知りようがないのだろう。

 だからこそ悪気のない問いなのだろうが、今まで冒険者として底辺を歩いて来た私からしたら、「お前如きが上級の冒険者に嫉妬とか、身の程を知れ」と言われている気持ちになってくる。

 実際その通りだったからこその被害妄想だが、わーっと叫びたくなった。

「お願いニフリト、そっとしておいて」

 衝動をぐっと堪え、ただ触れてくれるなと告げる。

 ニフリトは首を傾げたが、セルツェが「ところで……」と口を開いたことで意識をそちらに向けた。

「なにかしら」

「その、私はまだ、この先に行くことを了承しかねているのですが」

 私たちがずんずん進むので、一緒に歩かざるを得なくなってはいるが、セルツェはまだ、私たちを安全な場所まで移動させることを諦めていないらしい。

「諦めてちょうだい。仔細は省くけれど、私は砦に今集まっているであろう、騎士団と冒険者の合同討伐部隊に合流するわけにはいかないのよ」

「理由をお聞きしても?」

「目的が違うからよ。彼らは討伐。私は……私たちは、守護精霊をお救いするために動いているの」

「救う? それはどういう」

「仔細は省くと言ったわ。とにかく、私たちはこの機会を逃すわけにはいかないの。悪いけれど、貴方にも付き合ってもらうわ」

「しかし、私の役目は──」

「聖女である私を護ること。頼んだわよ」

 きっぱりと、鋭さすら感じる声音で、ニフリトが告げる。

 それ以上の問答を許さない気迫に、セルツェが息を呑んだ。

「大丈夫よ。万が一、私に何かあったとしても、ラフィカが貴方に責任がないことを証言してくれるわ」

「そういうことを言っているわけでは!」

「ああでも、同情の余地をもう少し盛っておこうかしら」

「え?」

「侯爵令嬢として、命令します。私を手伝いなさい。無理矢理にでも私を連れ帰ろうとしたら、お父様にお前に襲われたと嘯いて、首を落としてもらうわ」

 冗談じみた流れだったが、ニフリトの顔は本気だった。

「お前が無実だろうと、権力の前では無意味だと言うことを味わわせてあげる」

「──ッ」

 絶句して、微かに顔を青ざめさせたセルツェに満足げに頷いてから、ニフリトは再び歩き始めた。

 とぼとぼと後をついていくセルツェの横顔を、ひょいと盗み見る。

 私の視線に反応して、アイスブルーの瞳が向けられた。

「ラフィカ、俺は──」

「馬鹿ね。本気で言ってはいるけど、嘘よ。権力を振りかざされて、逆らえなかった。与えられた任務において、最善の選択をすることができなかった──って、言い訳できるようにしてくれたの」

「そんなことは、俺だってわかっている。だが」

「わかってるなら、諦めなさいよ」

 責任感が強いからこその苦悶だろうが、いい加減腹をくくってもらわないと、私も困る。

「守護精霊を救いたいの。お願いだから、手伝って」

 前を向いたまま、ただ素直に本心を告げる。

 頬に痛いほどの視線を感じたけれど、今の状況において、私の気持ちは違和感でしかない。

 それを悟られたくなくて、目を合わせられなかった。

「……君は、聖女ニフリトから事情を訊いているんだな」

「ええ」

 私の願いの強さを、事情を知るが故だと誤解してくれたことに、内心でほっとする。

「その上で、討伐ではなく、彼女を手伝う方が正しいと、判断した」

「ええ」

「──わかった、じゃあ俺は、君を信じることで、自分を納得させることにする」

 不意打ちの一言に、どくりと心臓が大きく高鳴る。

 はっと息を呑んで見上げたが、セルツェはもう前を向いていた。

 その瞳に、先ほどまでの戸惑いはない。

 そのことに安堵しつつ、今この瞬間に目が合わなかったことに、心の底から安堵する自分がいた。

 だって、いま、目が合ってしまっていたら、私は──。

(落ちてた気がする)

 そう思ってしまったら、余計にどきどきしてしまって、驚く。

 なんとも場違いできらきらとした熱を逃がすのに、私はかなりの時間を要してしまった。

「ラフィカ、なにしてるの」

 動揺に歩く速度が鈍っていた私を、ニフリトが呼ぶ。

「ごめん、今行くわ」

 慌てて二人に追いついたところで、パチッと眼前で金色の光が一粒弾ける。

 それは二人も目視していたようで、セルツェがニフリトを押し下げるようにして前に出た。

 その間にも光の粒は増え、密集していく。

「なにこれ」

「わからない。警戒してくれ」

 セルツェにわからないなら、私たちがわかるわけもない。

 けれど、それが魔物ではないことだけはわかった。ニフリトは私よりもそれを確信していたようで、セルツェに下がるよう仕草で命令する。

 セルツェは一瞬戸惑ったが、光の塊が徐々に人型になりつつあることに気づいて、はっと息を呑みつつ下がった。

「精霊? いや、これは──」

 そこでセルツェが黙ったのは、淡い光を放つ半透明の男が閉じていた瞼を開いたからだ。

 現れた碧眼は鮮やかで美しかったが、そこに誰も映していないことがわかるほどガラス玉のようだった。

「スクトゥム……さま」

 言葉に詰まったことで、兄様と呼ぶことを避けられたが、凪いでいた感情が一気に波立つ。

 堪えようとぐっと唇を噛んだところで、二人の視線が私に向いていることに気がついた。

「そうか、お顔を知ってるのは、私だけなのね。間違いないわ。この方は、スクトゥム様よ」

 ニフリトに向かって告げると、彼女は一瞬だけ痛ましげに目を伏せたあと、スクトゥム兄様に向き直った。

 まるで私たちの動揺が収まるのを待っていたように、兄様が口を開く。

『なぜ来た、ヴィクトリア』

 条件反射で首を竦めてしまうほど、聞き慣れた叱責の響き。

 懐かしさと悔恨とがごちゃ混ぜになって、思わず反論を口にしようとしたが、それよりも先にニフリトが前に出た。

「スクトゥム様、違います。私は──」

 そうニフリトが答えたことでようやく、兄様がニフリトを(ヴィクトリア)だと誤認していることに気づかされる。

『なぜ来たと、聞いている』

 揺らぐ輪郭や視力を感じさせない瞳から、彼の魂が摩耗しきっていることは伝わってくる。

 だからこそ、血族であるニフリトの気配と、私が──『ヴィクトリアの魂』がここに在ることで、目の前に妹がいると勘違いしているのだ。

「私は、ヴィクトリア様では」

「まって、彼は妹が来たと思ったから現れてくれたのだと思う。誤解させておきましょう」

「え?」

 実際、兄様からは警戒ではなく、安堵が感じられた。

 おそらくは、私だから感じ取れる微かな機微だ。

 スクトゥム兄様はラズゥム兄様と対象的に厳しかったが、向けられたどの言葉にも、蔑みを感じたことはない。

 むしろ私の無力を、一緒に嘆いてくれているようだとさえ感じていた。

 だから、嫌いだけれど、好きだった。

 その兄様の声が──いつだって厳しかった声が、こんなに柔らかく聞こえたことはない。

(こんなに弱気な兄様の声、初めて聞いたわ)

 それだけで、つんと鼻の奥が痛んで、目頭が熱くなる。

「話を、きいてあげましょう。誤解をとく時間は、たぶんないわ」

 私はニフリトにそう促して、一歩下がった。

 戸惑う視線を感じたが、「はやく」と急かすと、諦めたように前に向き直る。

「え、ええと。お待たせしてしまって、申し訳ありません。お兄様」

『待ってなどいない』

「は、はいっ」

 消えかけの魂とは思えない迫力に、ニフリトもしどろもどろになる。それだけ、オーラのある人だったのだ。

 立派な領主になるだろうと、皆が期待していた。

『待ってなど、いない。だが、ああ──よりにもよって、お前が来てくれたことに、安堵するなど。生涯きっての恥だ』

(どういう意味よ!)

 もう死んでるくせに! 死んでるくせに!

 声に出しそうになった言葉を、歯を食いしばって呑み込む。

 この嫌味な物言いに、何度食ってかかっては周囲に窘められたことか。

 私が唯一、令嬢らしからぬ態度を貫けなかった相手だっただけに、魂に反抗心が焼き付いている気がする。

 けれどその苛立ちのお陰で、涙は引っ込んだ。

『無力だが、志だけは高かったお前が、まさか聖女として戻って来るとは……』

 持ち上げられた手が、触れられないとわかりつつも伸ばされる。

 ニフリトが咄嗟に掴もうとしたが、当然すり抜けた。

 その気配だけは伝わったのか、兄様が微かに口端を上げる。

『女神も底意地が悪い。生まれたときから慈悲を授けてくださっていれば、お前の苦しみも、この悲劇もなかったものを』

 ヴィクトリアが死んだことで父が暴走したのだから、ここにヴィクトリアが現れるわけがないのだが、その矛盾を理解できるほどの思考能力が残っていないのだろう。

 ただ、ただ、ミルクーリー家の誇りと、領民を護るために、百年もの間、暴走した領主を封じる役割を担い続けた。

 肉体を捨て、命を捨て、けれど救いを信じて、削れに削れた自我の欠片を残し続けてくれていた。

『俺はもう保たない。心許ないが、お前に託すしかない。父上を、頼んだぞ』

 返事をするために息を吸ったが、声がでなかった。

 元凶である私に、返事をする資格があるのだろうか?

 遺された、誰も彼もを苦しめてしまった。

「お任せください。お兄様。必ずや、お父様をお救いします!」

 凜としたニフリトの声が耳に届いて、はっと顔を上げる。

 ニフリトに妹のふりを頼んだのだから、彼女が返事をして当然なのだが、その迷いのない言葉に、なぜか私が救われた気がした。

『……大きくなったな』

 ただただ妹を心配する兄のような顔をして、溶けるように霧散する。

(ずるいわ。最期にそんな顔をされては、すべての意地悪が帳消しになってしまうじゃない)

 その意地悪だって、私が悩みすぎないようにと、怒りを向ける矛先になってくれていただけなのだと、今ならわかる。

 厳しいけれど、優しい兄だった。

(……さようなら、兄様。最期にお会いできて、嬉しかったわ)

 三者三様に、散っていく光の粒を見ていたと思う。

 だから、パキンと小さく響いた何かが割れる音に対する、反応が一拍遅れた。

「──ッ」

 揃って体勢を崩したのは、足場が消えたからだ。

 抜群の反射神経を発揮したセルツェが、足元を凍らせる。

 咄嗟だったからか、私とニフリトは足首まで氷に呑まれたが、セルツェが素早く支えてくれたので、捻らずに済んだ。

「焦ったぁ」

「ありがとう、騎士様」

 それぞれに言葉を発する間に、埋まった部分の氷をセルツェが砕いてくれる。

「いったい、今度は何が──」

 視線を上げて、思わず目を瞬かせる。

 鬱蒼と茂る木々は遠く、霧も消えていた。

 そして、足元は、水。

 どうやら私たちはとっくに、水域に踏み込んでいたらしい。

「な、ちょっ──」

 状況への驚きを口にしようとしたが、微かに水面が揺らぎだしたことで押し黙る。

 警戒に腰を下げたところで、水面の一部が大きく盛り上がった。


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