溶岩と雷鳴(2)
「なんなの……と言われても。それだけの力を授かったとしか」
私が戸惑ったことで、答えようのない質問をしたと気づいたらしい。
ニフリトは一息つくと、前のめりになっていた身体を背もたれに預けた。彼女が別の質問を考える間、ごとごとと馬車が揺れる音が車内に響く。
尻に響く振動を感じながら、姉の工房にあったクッションが恋しくなった。
商品化したら、一番にニフリトに贈ろう。
「蘇生魔法を、自覚した上で使ったのよね? 実際、どういう感覚なの?」
「すごかった。全身から汗が噴き出して、血が沸騰するようだったわ。あの魔力の奔流は、確かに、常人であれば死ぬわね!」
「普通って……貴方だって、聖女である以外は普通でしょ。ああでも、一番最初に蘇生魔法を使ったときも、貴方はピンピンしてたのよね。再生魔法で昏倒した私とは違って」
「それなんだけれど……。あの時は間違いなく、貴方の力も借りていたと思う」
「そんなわけないわ。神聖魔法は互いに干渉しあえない。それは今の貴方ならよくわかるでしょう?」
「そうだけど、そうだったとしか言いようがないの。だって、あの時と二度目の時では、私の身体にかかった負担が全然違ったもの。間違いなく、ニフリトが一部を肩代わりしてくれていたと思う」
「それが本当なら、嬉しいわね。気持ちだけは、蘇生魔法を扱うに足りている──ということだもの。あとは膨大な魔力と、それに耐えうる強靱な肉体を手に入れるだけね!」
冗談めかすように告げて、ニフリトは肩をすくめた。
私が嘘をつく理由がないとわかりつつも、鵜呑みにするには、真実味が足りないらしい。
それでも少し嬉しそうにはしていたので、私との約束を守るための発破にはなっただろう。
「なぜ、その華奢な身体で蘇生魔法の負荷に耐えられるのかしら? それすらも、女神が貴方に与えたの?」
「それは──」
「ああ、待って。今は言わなくていいわ。貴方への恵みに、嫉妬してしまいそうだから。それよりも、話を戻しましょう」
自分に言い聞かせるように、話を切り替えられてしまう。
少し置いていかれる形で、私は慌てて相づちを打った。
「え? ええ」
「貴方、邪竜討伐の本隊に参加するために、赤雷蛇を討伐して目立ちたいのよね?」
「そうよ。ついでに貴方も推薦して後押ししてくれていいわよ」
「討伐前提で話さないで。もう、本当にどこからその自信でてくるのよ」
話の腰を折るなと半眼で睨まれて、視線を逸らす。
ぎゅっと口を閉じた私を二秒ほど見つめてから、ニフリトは言葉を続けた。
「最初に言っておくけれど、私の目的は討伐ではないの」
「え? でも、噂では本格的な討伐隊が組まれてるって……それに参加するのではないの?」
コナトゥスは冒険者とミルクレスト騎士団の合同になるのでは、とも言っていた。
だから、ミルクーリー家の娘として──聖女として、参加するために無理を言って戻って来たのだと思っていたのだが。
「普通なら、そう考えるのでしょうね。でも、お父様も、弟たちも、そう思わなかった。だから、ついに赤雷蛇が動くかもしれないというこの時に、私が戻って来られないよう、迎えを寄越さなかったのよ」
「あ」
言われてから、気づかされる。
確かに、身内であるならば、なにより大事な娘であり聖女の帰還に、万全を期さないわけがない。
防衛もあるから選りすぐりとはいかないが、相応の護衛を、迎えに出しているはずだ。
「もしかして、侯爵様は、貴方が戻って来ていると知らないの?」
「迎えの護衛がいなければ、危険だからと諦めると思ったのでしょうね。私が雇おうとしても、充分な者を得られないとわかっていたでしょうから」
「けれど貴方は、建前としてあてがわれた護衛を犠牲にする覚悟で、出てきたのね」
「……そうよ。そうしてでも、戻って来なければならなかった。まぁ、結果はとても優秀な護衛を付けてもらえていたという、大誤算だったのだけれど。マールス様には、感謝してもしきれないわね」
「でもなんで、ニフリトを拒む必要が? 相手が守護精霊であるなら、血縁者は重要な戦力なのに」
「さっきも言ったでしょう? 私が、赤雷蛇の討伐を望んでいないからよ。お父様達は、領地や領民の為に、討伐という一番単純で簡単な手段を選んだ。間違いではないけれど、私は嫌なの。もちろん、討伐することによって守護精霊を失ったミルクーリー家が、爵位を失うことを避けたいわけじゃない。私はただ……あの哀れな精霊を救いたいの。ラズゥムお爺さまの、たったひとつの願いを、叶えて差し上げたい」
真っ直ぐに私を見つめる瞳が、その決意の固さを示すように、強く輝く。
真夏の森の、青々とした緑。穏やかで優しく、けれどとても頼もしい輝き。
大好きだった。
(そうね。間違いなく、貴方とよく似た色だわ。ラズゥム兄様)
言葉にしがたい感情が胸に満ちて、私は思わず目を閉じた。
ニフリトが不信に思わない程度に、静かに息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
声が震えないよう喉に力を入れたけれど、語尾は少し掠れてしまった気がした。
「お爺さまの、願い?」
「ああ、急に言われても戸惑うわよね。ラズゥムお爺さまは、第三十三代目の当主だった御方なの。私の曾祖父にあたる方よ」
三十三代目は、スクトゥム兄様のはずだ。なぜ、次男だったラズゥム兄様が?
舌の先まで乗りかけた疑問を、必死に呑み込む。
百年以上前の事とは言え、内情を口にするのはさすがに怪しすぎる。
「お会いになったことが、あるの?」
「ええ。ただ、私は幼すぎて、記憶にはないの。お母様が言うには、私の事を妹に似ているとおっしゃって、たいそう可愛がってくれたそうなのだけれど……。もう、二十年ほど前の話よ」
懐かしそうに、寂しそうに、のぞき窓の外から零れ始めた朝日に目を細めながら、ニフリトが笑う。
精霊の守護を受けている一族は、魔力量が多い。そのぶんだけ老いにくく、長命であることが多い。
けれどそれは、死ななかった場合──だ。
その資質の高さゆえに、騎士か聖女になる宿命にある以上、寿命を全うできる者は少ない。
そういう意味では、ラズゥム兄様は本当に長生きしたのだろう。
(私が死んだとき十九だったはずだから……百十六歳、かしら。そこまで生きたなら、あと二十年踏ん張ってくだされば、お会いできたのに)
無茶なことを思ってしまった自分を、自分で笑う。どうしようもないのに、無性に鼻の奥がつんと痺れた。
「ニフリトは、ラズゥム様のことを覚えていないのに、彼の願いを叶えたいの?」
「貴方には不思議に思えるかもしれないけれど、私にとっては使命に近いの。……そう、偶然、お爺さまの日記を手に入れた時から、彼の願いは私の願いになった」
「どうして?」
「その日記に、私がずっと知りたかった事が遺されていたからよ」
「内容を、聞いても?」
口にしてしまってから、私がそう問うかを試すような言い方だったな、と思い至る。
その証拠に、ニフリトはほんの少しだけ、意地の悪い顔をした。
「私の目的が討伐じゃなくても、興味があるの? 私が関わっていない以上、貴方が赤雷蛇の討伐隊に参加することを阻む者はいないわよ?」
約一名、全力で阻んできそうな人物が御者台に座っている気がするが、彼がニフリトの護衛である以上、そう勝手な行動はとれないだろう。
そう考えれば、確かに、私が冒険者ギルドへ行くのを阻む者はいない。
けれど、ラズゥム兄様の名前が出てきてしまった時点で、私が取るべき行動も、望む結末も、決まってしまっている。
「そう、だけど、あんなに真剣な顔で言われたら、気になるじゃない。噂されている赤雷蛇の話と、貴方がこれから語ってくれるそれは、違うってことなんでしょう? なら私は、真実のほうが知りたいわ。私は貴方の、友達だもの」
味方なのだと、伝えたかった。
ニフリトが父親である領主の意向に反している以上、おそらく味方はほぼいないと考えていいだろう。
だからこそ、味方の存在は重要なはずだ。
「状況的に、私は貴方にとって、とってもお得で、貴重な人材じゃないかしら。なにせ元冒険者の、魔物と戦える聖女よ? 巻き込むべきだと思わない?」
即座に拒否されるのが嫌で、言葉を重ねる。更に続けようとした私の口を、不意に伸ばされた手が塞いだ。
「もごっ」
「……ラフィカって、ずるいわね」
消え入りそうな声で呟いたニフリトの顔は、なぜか真っ赤だった。
「ひふひほ?」
「はぁ、もう。推薦のために私を籠絡しようだなんて、とんでもない聖女様だわ」
「ちがっ」
「そういうことに、しておいて。じゃないと嬉しすぎて、泣いてしまいそうなの。本当はとても、誰かに聞いてほしかったから」
今にも涙が零れそうなほど潤んだ瞳を見せられてしまっては、何も言えなくなってしまう。
私が頷くと、ニフリトはゆっくりと手を離してくれた。
彼女がハンカチを取り出した瞬間、なんとなくそっぽを向く。
そんな私を笑った気配が、ニフリトからした。
「貴方って、私に恥を掻かせたいのか、掻かせたくないのかわからないわね」
「そんな」
「良い意味でよ。私はずっと、他人に壁を作られて、自分でも壁を作って、生きてきたから」
「ニフリト」
「貴方ったら、私の家名を知っても知らなくても、まるで態度がかわらないんだもの」
「だって、ニフリトは、ニフリトだわ。家も、家の事情も関係ない」
「ありがとう、ラフィカ。……そうね、手伝ってもらうかどうかは別として、まずは、私の話を聞いてもらえる?」
「手伝うわよ」
「気持ちと、それが可能かは別よ。まずは私の話を聞いてから、貴方に何が出来るか、考えてみて」
心の距離は間違いなく近づいたのに、すっと一線を引かれる。
確かに、事情を何も知らない相手から、「協力する、手伝う」と申し出られたところで、安易に迎え入れるわけにはいかないだろう。
相手は暴走した守護精霊であり、赤雷蛇という固有名を冒険者ギルドがつけるほどの、大物なのだから。
「わかったわ」
一言も聞き逃さないという意気込みを込めて、大きく頷く。
カーテンの隙間から差し込み始めた光はいつのまにか少し強くなっていて、二人の間を舞うほこりを、きらきらと煌めかせていた。
「私が最初にその音を聞いたのは、五歳の時だったわ。地響きのような、岩と岩が擦れあうような、耳が痛くなる音だった」
何の、どんな音だろう。
ニフリトの言葉から想像しようとした私の耳に、馬車の車輪や馬の足音が届く。
(岩が擦れ合うのだから、もっと重く身体に響くような感じかしら。時折割れた小石が弾けて高い音も混じって──)
ギギゴ。
グゴゴ、パキッ、ドゴドド──。
そうそうこんな感じじゃない? と脳内で想像していたはずの音が、途中で言葉には置き換えられない振動に変わる。
(え?)
それが現実に起こっているのだと把握した時にはもう、立ち上がるどころか、座っていることすら難しいほど、視界が激しく揺れていた。
「地震!? ニフリト、手すりに掴まってて」
「ラフィ──」
何かを言おうとしたニフリトの言葉を遮って、彼女の手を手すりに誘導する。
それに掴まったのを確認してから、小窓を開けた。
「セルツェ、大丈夫!?」
「ラフィカ? どうした。目的地まではまだかかるぞ?」
怯える馬を宥めながら、馬車を停めようとしてるだろうと思っていた相手の、間の抜けた声。
むしろ、勢いよく話しかけた私にこそ驚いているようだった。
「どうしたって、なに平然としてるの! 馬車を駐めて!」
「なにかあったのか?」
私の剣幕に、セルツェの声音にも真剣味が増す。問いかけと同時に既に手綱は引かれており、馬が小さく嘶いて足を止めた。
その様子を、足を踏ん張りながら見ている自分に、とてつもない違和感を抱く。
なにかが、おかしい。
なにかが。
よくわからない焦燥に背筋が冷えた瞬間、がしっと私の腕をニフリトが掴んだ。
振り返ると、眉間に皺を寄せたニフリトと目が合う。おそらく私も同じ顔をしているだろう。それほどに、頭に響く音だった。
脳を直接揺さぶるような、地響きに似た、何か。
「ラフィカ。まさか貴方、これが聞こえているの?」
え? と、声に出そうとして、出来なかった。
瞬きの間に視界を埋め尽くした『白』に、総てが吸い込まれていく。
頭痛すら感じていた騒音が幕に隔てられたように濁り、反射するように滲んで混ざった。
──やはり、来てしまったのか。
空間に溶けて散るようだった音の中で、不自然にはっきりと、誰かの声が届く。
訳のわからない状況では恐怖しかなく、抗おうと伸ばした手が何かを掴んだが、私をその場に留めてはくれなかった。
どう足掻いても小さすぎる穴に、あり得ない形に変形させられて身体を通されるような苦痛と嫌悪感に、吐き気がこみ上げる。
頭部から一気に血の気が引くまま、意識が遠のいた。