夢と記憶の狭間
前世の記憶。
ラフィカには、それがあるらしい。
かつての彼女は、ミルクレストで暮らしていた少女だったそうだ。
少なくとも、彼女は自身の中で蘇ったその記憶を、自分の前世だと信じている。
正直に言えば信じがたいし、彼女が真剣であれば真剣であるほど、それは記憶ではなく、ただの夢だと否定したい気持ちが湧いた。
そう思うのに口にしなかったのは、自分ではない誰かの記憶──という要素に、俺自身が少なからず動揺していたからだ。
話の内容は理解できるが、受け入れがたい。
最終的にそう結論は出たものの、うまく言葉にすることができなくて、俺はただ頷いた。
端から見れば、話に相づちを打っただけ。
そう受け取られるだけのはずだったのに、俺の胸の内が伝わってしまったことを、ラフィカの顔が微かに曇ったことで知る。
彼女は本当に、俺の乏しい表情から機微を読み取れるらしい。
感情が顔に出る人間を羨ましいと思っていたが、良いことばかりではないのだと、まさか俺が知ることになるとは夢にも思わなかった。
「すまない。嘘だと思っているわけではないんだが」
「かまわないわ。この女はそう信じてるんだな──と認識してくれるだけで充分よ。それで話は続けられるわ」
「そう、だな。それでその、前世の記憶が、どう二柱の女神の加護を得たことに繋がるんだ?」
「前世の私が、若くして一角獣に蹴り殺されたからよ」
「一角獣に?」
一角獣。今となっては残されている資料でしかその姿を拝めない、聖獣の一種だ。
角、鬣、蹄、皮。その総てが強力な浄化の力を有していたため、乱獲された結果、姿を消してしまったのだ。
時折、どうして助かったのかわからない少女が保護されたりするので、絶滅してはいないだろうが、一攫千金を狙う冒険者の前に姿を現したりはしないだろう。
「事故ではあったのだけれど、乙女を守護するはずの存在によって、私は殺された。だから、女神エレジアは私を哀れんで、来世での加護を約束してくれたの」
「なるほど。その加護に加えて、女神エテルノの慈悲も与えられたために、君は結果的に二柱の女神の加護を得てしまった──というわけか」
「まぁね。でも、私の聖女としての覚醒が遅れたのは、その女神エレジアの加護が原因みたいなのよ。だから、そこらへんの話を詳しく聞くために、会いに行こうとは思っていたの」
小首を傾げながら、なぜかラフィカが不敵に微笑む。
女神に対して抱くには、強気過ぎる何かを感じてしまい、俺はすかさず話を戻した。
「赤雷蛇の噂を得たことは、良い機会になった──ということか」
「そういうこと」
「じゃあ、君のミルクレストに対する知識が古いのは、前世の記憶だからであって、小説が理由ではないんだな?」
「あ、うん。その下りは嘘よ。ごめん」
「謝らなくていい。普通の会話の流れで、『前世の記憶では~』と言いだされていたら、さすがにまともに話を聞く気にはなれなかったと思う」
「私もそう思ったから、色んな人に、誤魔化すための嘘をついてしまったわ。それが最善だと思っていたのに、いざこうして正直に話す勇気を得てしまうと、罪悪感がわくものね」
長い睫毛を伏せて、いつの間にか膝上に置いていた杖を指先で撫でる。
華奢な彼女に似合う、白く美しい杖だ。
改めてまじまじと見つめたことで、真珠色の光沢に、淡い黄金色の輝きが時折滲むことに気がついた。微かな驚きに、思わず口を開く。
「その杖……真魔銅が使われてるんだな」
「えっ」
俺以上というか、驚愕という言葉が相応しい勢いで、ラフィカが瞠目する。
ぎこちない仕草で撫でていた杖を掴みあげると、じっと頭部の装飾を凝視した。
「知らなかったのか?」
「なんていうか……借り物なの。現状、私にしか使えないからと渡されて。いや、うん。魔力伝導率の良さはともかく、なんか妙に頑丈だな? とは思ってたのよ。いやほんと、折れなくて良かったって話ではあるんだけれど」
歯切れも悪く、微かに震えてすらいる声は、かなり言い訳がましい。
思い返せば、彼女は女神によって与えられた力のままに、この杖で魔氷熊をぶん殴っているのだ。
借り物であることを考えれば、配慮に欠けた行いだと言わざるを得ない。
「折れたらどうするつもりだったんだ」
「……やめて、言わないで! 考えたくないっ」
ひっと短く悲鳴をあげて、身を竦ませる。
かなり動悸があがっていることが、上下する肩から察せられた。さすがに哀れになって、ひとまずフォローをいれる。
「ま、まぁ、素材に真魔銅が使われている時点で、そう易々と折れたりはしないさ」
「……本当? これからも、鈍器として使っても許されると思う?」
美人に上目遣いで問われるには物騒すぎる言葉に、奇妙な沈黙を作ってしまう。
するとラフィカは酷く真剣な顔で、再び杖を凝視した。
「咄嗟に使うことを考えると、主要武器は二つ持ちたくないのよ。持ち替えるのに手間取ることが命取りだし……だけど、素手で戦うには、私はリーチが短すぎて不利だし」
魔物と戦う気満々の発言に聞こえるし、たぶん間違いじゃないんだろう。
実際、この町の騎士から聞いた話が事実なら、彼女は聖女でありながら最前線で戦える騎士にもなれる戦闘力を持っている。
それは俺たちにとって、とてつもなく心強い存在に違いなかった。
(待て。落ち着け。もっとちゃんと、彼女が得ている加護がどういうものなのか、知ってからだ)
それが本当に戦闘に向いているものなのか、その力を彼女が正しく使いこなせているのか。
それはとても大事なことだ。
力は力でしかない。それを活かせるかは、本人の技術や機転に大きく関わってくる。
ラフィカが聖女として、戦場に身を置くのだと考えたときに感じた不安を、引っ張り出してきて噛み締める。
ラフィカには、安全な場所にいてほしい。
傷ついて欲しくはないし、死んでほしくない。
彼女に好感を抱く度に大きくなっていくこの気持ちを、勢いで無視はできない。
(そうだ。聖女は護られなければいけない存在だ。義務として同行しなければいけないとしても、魔物と直接戦うなんて危険なことを、させるわけにはいかない)
揺れに揺れた気持ちを、深呼吸で落ち着かせる。
あまり感情に起伏がない方だと思っていたのに、ラフィカが関わるとどうにも振り回されてしまう気がした。
それは騎士として、あまり望ましくないことのように思う。
(そもそも、なぜラフィカはあんな力を与えられているんだ?)
女神エテルノの加護は、神聖魔力だろう。ならば彼女のあの力は、女神エレジアの加護ということになる。
「疑問なんだが、なぜ、女神エレジアは、君に怪力なんて加護を?」
俺の言葉に、黙考していたラフィカが顔を上げる。
目が合うと、何故か少しだけ気まずそうに視線を逸らされた。
「それはええと──彼女自身は、聖女の資質を私に与えたがっていたのよ。だけど、私が欲しかったのは、別のものだった」
そこで一度言葉を切り、ラフィカは眼前に持ち上げた手のひらを、ぐっと強く握る。
華奢で細いその腕が、なぜ、魔氷熊を仕留められるほどの腕力を得たのか。
その答えを、彼女は酷く真剣な表情で口にした。
「だから、望んだの。邪竜の頭蓋すら打ち砕く膂力を──って」
彼女の話を信じるならば、ラフィカは前世も女性で、しかも少女の頃に亡くなっている。
そんな少女が、最期に女神に願うには、あまりに衝撃的な内容だ。
聖女の資質を与えようとしていた女神からしたら、さぞ驚いたに違いない。
けれどそれは、あまりに彼女らしくて、俺は妙な納得をしてしまった。
同時に、その少女は間違いなく彼女の前世だと、確信めいたものまで得てしまい、否定したかった俺自身の問題と向き合わなければならなくなってしまった。
◇ ◇ ◇
結局、夜になっても聖女ニフリトは目を覚まさなかった。
そのままラフィカも寝室で休むことになり、俺自身は隣室のソファに座っている。
町の結界は翌日の昼間では作動させていると言っていたから、警戒の必要はないが、騒ぎのせいで出立を諦めた人々が宿場に溢れているのを見てしまい、部屋をキャンセルしてきたのだ。
宿屋の主人は恐縮していたが、固辞はしなかったので感謝してくれているだろう。
足は盛大にはみ出してしまうが、仮眠するには充分過ぎるソファに文句はない。
クッションの位置を調節しつつ、目を閉じる。
不意に鼻先を甘い香りが掠めて、思わず息を呑んでしまった。
(ああ、ラフィカが背に置いていたやつか)
理由に納得しつつ、微かな安堵と羞恥に身じろぐ。
誰が見ているわけでもないのに、偶然手に取っただけだと言い訳したい気持ちになるのはどうしてだろうか。
女神への最期の願いに対しての俺の反応を、不安げに見つめていた顔が脳裏に浮かぶ。
君らしいと素直に返したら、なぜ笑うのかと怒られた。
笑ったつもりはなかったが、彼女からしたら俺は笑っていたらしい。
戸惑いはしたが、彼女の怒りも本気ではなかったようで、最終的にはどこか安堵したように微笑んでいた。
その反応から、俺に否定的な言葉を言われたら悲しんだのかも知れないという可能性を感じてしまい、思わず口元を押さえた。
無意識のその仕草から、自分が笑みそうになったのだと思い知らされて、唇を噛む。
自分の言葉が彼女の気持ちを左右するかもしれない──そのことに愉悦を抱くなら、喜ばせることのほうがいい。
邪な気持ちを追い出すように肺から息を吐き出して、眠るために身体から力を抜いた。
すぐに訪れた睡魔に、疲労を自覚する。
この意識を手放せば眠れる──そう思った瞬間に、なぜか無理矢理目を開けてしまった。
(……馬鹿だな。俺と彼女は違う。俺のは、夢だ)
ラフィカと初めて出会った日。死にかけたあの日から、時折見るようになった夢がある。
拭い去れない死への恐怖が、夢に現れているのだろう。
あのときの無謀さを、俺自身も深く反省していたから。
けれどそれは、見るたびに生々しい感触を俺の手のひらに残していき、徐々に拭い去るのが難しくなってきていた。
美しい淡い金髪、深い緑の瞳。熱いくらいの肉の感触と、力強く波打つ鼓動。
それを、この手が──。
(いや、違う。俺の手じゃない。それは確かだ)
血の気がザッと頭から引いて、額から背中にかけてに寒気が走る。
夢だと納得させていたのに、ラフィカの話が脳裏を巡って、俺を落ち着かない気持ちにさせた。
この夢は夢なんかじゃなくて、俺ではない、誰かの記憶だったとしたら?
断片的で、前後のつながりも理解出来ない夢だ。
彼女の記憶と、比べるまでもない。馬鹿馬鹿しい考えだと思うのに、感触を誤魔化すために強く握り込んだ拳から力が抜けない。
(この話をしたら、ラフィカはどう答えるだろう)
少し困ったような顔で微笑んで、貴方のそれはただの夢だと、笑い飛ばしてくれるだろうか。
久し振りのセルツェ視点でございました。
読んでくださり、ありがとうございます。ここまでのお話しは楽しんで貰えたでしょうか。
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