ミルクレスト道中(5)
「食後には温かい飲み物が欲しいわ。セルツェも飲む?」
「そうだな。たの──いや、俺が」
気安く頼もうとして、言い直してくる。
互いの立場を不意に思い出して慌てた様子に、思わず笑ってしまった。
「私は聖女であるまえに、貴方の友人よ。そういう気遣いはいらないわ」
「いや、だが──」
「ふふ。肩書きって面白いわね。それだけで、相手の態度が変わる」
ワゴンに用意されていたポットを手に取りつつ、役所で受付をしてくれた女性の眼差しを思い出す。
微笑んだ私とは裏腹に、背中に届いたセルツェの声音は苦かった。
「……そうか、君も庶民だものな。戸惑う気持ちはわかる。俺も、冒険者から騎士になったとき、それに随分振り回された」
どうやら、慣れるまでかなり苦労したらしい。
私の方は、敬われるほうが慣れてる──なんて知ったら、同士を失った哀しみで萎れてしまいそうだ。
「そうね。でも、だからこそ、敬愛を向けられるに相応しい人間でありたいとも思ったわ」
「そうだな。俺も、そう思うよ」
「セルツェは、もう少し気を抜いてもいいんじゃないかしら? 今だからわかるけれど、第三部隊にとって貴方はとても重要な戦力でしょう? あのとき、私一人のために命を投げ出したのは……間違いではなかったとしても、正しくはなかったわ」
「……隊長にも、そう言われた。だが、俺は同じ状況になったら、また同じ行動をしてしまうと思う」
「……あら? 似たような話をしたことがある気がするわね?」
「そうだったか?」
互いの間に、記憶を探る沈黙が落ちる。
そう経たずに、同時に「あ」と声を上げた。
「初めて、食事を一緒にした帰りね」
「それだ。君は確か、そうなる前に魔物の角をへし折ってみせると言っ」
言葉半ばで、セルツェが噴き出す。
当時も笑っていたので、ぶり返したのだろう。
慌てて口元を覆っていたが、滅多に動かない顔の筋肉が仕事をしていることだけはわかる。
「ちょっと、こういうときだけ表情にまで出すことないんじゃない!?」
「いや、だって、あの時の君の動き……っ」
「動き?」
「へし折ると言いながら、こう、手を」
説明しながら、セルツェが身振りも加える。
見えない何かを横に捻るような両手の動きに記憶を刺激されて、確かにそんな身振りを加えながら言った気がするな、と思い出した。
「別に変じゃないじゃないっ」
用意できた紅茶をローテーブルに置きながら抗議したが、セルツェはまだ笑っていた。
「いや、動きが変だったんじゃなくて、小柄な君が──」
ぴた、と。唐突に言葉が止まる。
同時に笑いの気配も消えて、セルツェの表情が真顔に戻った。
「セルツェ?」
「……馬車の整理をしていた俺に、嬉々として状況報告をしてくれた騎士がいてな」
不意に始まった会話の内容に、サッと顔から血の気が引いた私を、セルツェが見つめてくる。
身振りで促されたので、私はぎこちなくソファに座り直した。
保たれる沈黙に耐えきれず、紅茶を一口飲む。少し蒸しすぎてしまったらしく、微かに苦みがあった。
「べ、別におかしなことは、してないワよ?」
「魔物の襲撃によって派手に吹っ飛んだ車体を、君が一人で受け止めたと言っていた。どんな魔法を使ったのかと、興味津々だった」
派手に声が裏返ったのに、無視して会話を続けられる身になってほしい。息が苦しい。
セルツェからじわじわと滲み始めた、非難の気配がつらい。
「え、ええと」
「その話を聞かされた俺は、どう思ったと思う?」
「……試用中の魔導具があったお陰で、聖女ニフリトが助かった。感謝しかない! かな!?」
斜め上に派手に視線を逸らしつつ、セルツェの視線を痛いほど感じる左手首を思わず掴む。
服で隠れているので気づかれないだろうが、今、あの魔導具はここについていないのだ。
(だって、ただの冒険者として旅にでたんだもの! 不必要な時につけていて、壊したら洒落にならないじゃない!)
冷や汗だらだらの私の態度に目を細めつつ、セルツェはゆっくりと頷いた。
「それは、否定しない」
「よね!」
「──が、それと、君が無茶をしたことは別問題だと思っている」
「さっきのニフリトみたいなこと言う!」
「当たり前だ。一歩間違えば、一度に聖女を二人失うところだったんだぞ」
声を荒げないところが、怖い。
あの程度の重さなら問題ないと言って弁解したいところだが、それはさすがに魔導具で補える領域を超えすぎている。
(感覚的には、衝撃による加重があったとはいえ、家の庭石よりは軽かったから、かなり余裕だったんだけど)
「ハジュール副隊長に、危険だから本来の意図を無視した使い方はしないようにと、警告もされてもいただろう?」
「うぅ」
言い訳をあれこれと頭の中で考えたが、真剣に身を案じてくれたのだとわかる眼差しに罪悪感が刺激される。
(ああ、そんな目で見ないで!)
いたたまれなさに、思わず脇に置いていたウートラの聖杖を手に取って、膝に置いた。
嘘の発端であり、元凶だ。
加護による怪力を隠すことをシュティル様が提案してきたのは、杖の所持者として余計な詮索を避けるためだろう。
だが、蘇生魔法を自己犠牲なしで扱えると証明できた今、私の聖女としての実力を疑う者はいない気がする。
さらに言えば、冒険者として活躍してしまおうと思った時点で、不利な嘘になってしまってもいる。
加護による力を得ていることは、これ以上ないアピールポイントだ。
(これってもう、言っちゃっていいのでは? というか、殿下達にも言ってしまえばよかったんだわ。魔氷熊に殴り飛ばされても無傷な聖女なんて、連れていかない理由なくない?)
閃きを得た瞬間、ぱっと気持ちが軽くなる。
急に表情を明るくした私を、セルツェが訝しげに見ていた。
「なんだ急に、ニヤニヤしだして。自分の身を危険にさらした自覚は持ってもらわないと──」
「はい! 私、嘘をついてました」
「え?」
「もちろん、色々と事情があって! でも、今、もうその嘘をつく必要がないなって気づいたから、言うわ」
唐突に立ち上がって宣言した私に、セルツェが目を瞬かせる。
その眼前に、袖を捲った左手首を差し出した。
セルツェは一瞬だけきょとんとしてから、すぐに私の意図を察して、何も装備していない手首から顔を上げた。
「女神エテルノが、聖女としての力だけではなく、別の加護も君に?」
察しが良すぎて、素直な推測をされてしまう。
聖女に覚醒する前にこの力があったならば、確かに私は水晶どまりの冒険者ではなかっただろう。
「いいえ、発露は同時期なのだけれど、違う女神の加護よ」
「違う女神……? 君は二柱の女神から、加護を得ているということか。それは、本当に──なんというか、すごいな」
どう言葉にしたらいいかわからない、という様子で、ぼそりと呟かれる。
彼の微細な表情の変化が、普通にわかるようになってきたなぁと思いつつ、私は苦笑した。
「客観的にみたら、特異なことかもしれないけれど、結局は上位存在の気まぐれでしかないわ。私がもう一柱の女神から加護を得たのは、彼女が私を哀れんだからだもの」
「哀れんだ……?」
「どう説明したらいいかわからないから、言ってしまうけれど──」
言うと言った瞬間、胸の奥からぶわっと不安が膨らんで、思わず言葉に詰まる。
けれどすぐに、すとんとありのままを受け入れてくれた姉の顔が脳裏を過って、その暗雲を振り払ってくれた。
もしここで、セルツェが私の言葉を信じてくれなかったとしても、大丈夫。
(信じてくれた人が、もういるもの)
ぐっと拳を強く握って、気合いを入れ直す。
そこまでしてから自分が突っ立ったままなことを思い出して、いそいそとソファに腰を下ろした。
「ラフィカ?」
「ごめんなさい、ちょっと気持ちを整理してたの。けっこう突拍子もないことを言うから、信じられなかったらそれはそれで、受け流してくれていいわ」
「わかった」
とくに何かを訝しむこともなく、真っ直ぐに頷かれる。
微かに身じろいで姿勢を正し、私の言葉に真摯に向き合おうとしてくれている姿が真剣すぎて、少し笑ってしまった。
「もっと気楽に聞いてくれていいわ。言いふらして欲しくはないけれど、重大な秘密というわけでもないのよ」
「そう、か」
私の笑みにつられるように、セルツェが肩から力を抜く。
気恥ずかしさを誤魔化すように紅茶を一口啜る姿を目で追いながら、私は口を開いた。