ミルクレスト道中(3)
「貴方がとても強い決意を抱いて、ミルクレストに向かっていたのだということはわかったわ。けれど、一人で出てきたのは聖女失格よ」
「……そう、ね。まだ本格的に仕事を始めてなかったとはいえ、協会に登録した以上、行動は申告しておくべきだったわ」
「貴方自身がもともと冒険者で、移動に護衛を雇うという発想がなかったことも、考慮してあげたいけれど……聖女は本当に、魔物に狙われやすいの。ましてや今の状況を、貴方も理解しているでしょう? 貴方の実力以上の魔物と遭遇する可能性は高かった」
「……はい」
静かで、優しさすら感じる声音の説教は、私の胸をぎゅっと苦しくする。
さっきだって、私の思いつきと行動力に呆れつつも、頭ごなしに否定したりはしなかった。もちろん、セルツェもだ。
(普通に考えて、馬鹿なことをしようとしてるのに)
私自身は、与えられた加護の力を計算にいれた上で可能だと判断したが、二人から見れば私の行動は愚かで不可能な選択でしかない。
それなのに、その無謀さを、それだけ本気で本隊に参加したいのだという気持ちの強さとして汲んでくれたのだ。
「実際、私は襲われたしね。魔物と遭遇する可能性は考えていたけれど、まさか雪割りの群れに遭遇するなんて、夢にも思わなかったわ」
そのときの恐怖を思い出したのか、ぶるりとニフリトが身震いする。そのまま視線を横に向け、気まずげにセルツェを見た。
「マールス様が護衛に付けてくださった騎士を、危うく捨て駒にするところだったわ」
「それはさすがに、私を見くびりすぎです。馬車を逃がすために足止めで残りましたが、死ぬ気はありませんでしたよ」
セルツェが真顔すぎて、立場上、そう言わざるを得ないように見える。
そのせいで、ニフリトが苦い顔で笑った。
「そうよね、ありがとう」
自分を責めるような声音が痛々しくて、思わず助け船を出す。
「ニフリト、彼は本気で言ってるのよ。私が向かった時点で、すでに魔物を片付け終えて、馬車を追いかけていたわ」
私の言葉に、ニフリトが目を見開く。それから改めてセルツェを見て、何かを確かめるように、私を見た。
「気づいているとは思うけど、私と彼は友人なの。その贔屓目を差し引いたとしても、彼は間違いなく、第三部隊で最高の騎士よ」
「え?」
そう一言零してから、長い沈黙を経て、ニフリトは口元を手のひらで覆った。目尻が、じわっと赤くなる。
「──ごめんなさい。私、本当に……恥ずかしいわ。マールス様が、貴方を私に付けてくださった意図を、ずっと誤解していた」
高ぶった感情を抑えようとするかのように、彼女は逆の手で胸元も押さえた。
そのまま、困惑を拭いきれない顔で、改めてセルツェを見る。
「私、貴方のことは数ヶ月前に騎士になったということしか聞いていなくて。私が初めて同行したときも、大怪我をしていたし……だからてっきり、私は──。私はそれでも、万が一の時は、貴方を切り捨ててでも生き残らなくてはと、思っていて……」
ニフリトの言葉に、セルツェは微かに首を傾げた。
「それで問題ありません。聖女はあらゆるものを犠牲にしても、生き残って頂かなければ」
懺悔するように俯いたニフリトに、セルツェが淡々と答える。それでも、私から見れば相応に戸惑っていることはわかった。
「そうじゃない、そうじゃないの。ごめんなさい」
「聖女様……?」
わからないからこそ、謝罪の意図を知ろうとしている。セルツェに悪気はないのだろうが、彼女自身にそれを言わせるのは酷すぎる。
ミルクーリー侯爵家が周囲から忌避されていることは、彼女の言動から明らかなのだ。それを当然だと思っていた彼女が、セルツェの立場をどう思っていたかなんて、想像するまでもない。
ニフリトが俯いているのを確認しつつ、そっとセルツェの袖を引く。
「未熟な騎士が、貧乏くじで護衛につけられたと誤解してたって事よ。だから、万が一魔物に襲われたときは、貴方を捨て駒にしなければならないと、思い詰めていたのだと思う」
わざわざ小声で教えたのに、こんなときに限って、セルツェは大きく反応した。
「馬鹿な。聖女ニフリトが、ミルクーリー家のご令嬢だからという理由でか? マールス隊長は、そんな愚かなことはしない」
「お、落ち着いてセルツェ」
ニフリトにも聞こえるじゃないの!
「そりゃ俺自身も、マールス隊長に護衛を命じられたことに戸惑ったし、この時期にミルクレストに行く意図を理解することも出来なかった。だが、だからこそ、意味があるのだと無理矢理納得して──」
「マールス様は、ニフリトの立場を理解した上で、最善を選んでくださったのね。もちろん、貴方を隊から離すことは苦渋の決断だったでしょうけれど」
契約の立場上、ニフリトの申請を却下することも出来たはずだ。けれど、マールス様はそれを受理した。
元から高かったマールス様の株が、天井を突き破る勢いで上昇しそう。
(もしかしたら、赤雷蛇の情報は、隊長格には共有されているのかしら)
どちらにしろ、邪竜の早すぎる活性化もあるし、彼なりに勘が働いたのだろう。ミルクレストに近づくごとに強まっている、私の漠然とした予感と同じように。
「……私、少し頑なすぎたのね」
吐息のように零された言葉に、視線を向ける。
まるっと聞かせる形になってしまったが、ニフリトの身体から強ばりが抜けたように見えたので、結果的には正解だったのかもしれない。
「家名に惑わされず、正しい判断をしてくださる方もいるのだわ」
「……ニフリト」
彼女はきっと、ずっと諦観と覚悟を抱いて行動してきたのだろう。
果たさなければならない目的があり、そのためにはありとあらゆる手段を厭わないと、秘密の約束をしたときに教えてくれていた。
(けれどそれは、決して痛みを伴わないというわけではなくて──)
物思いに耽りかけたが、再び目尻を赤らめているニフリトの顔が、先ほどより白い気がして、はっとする。
「ニフリト、少し休んだほうがいいわ。色々あって、疲れたでしょう? あの状況で、怪我をしてないわけもないし。自分に治癒魔法を使ったなら、魔力も体力も消耗しているはずだわ」
「確かに疲れてはいるけれど……。でも、ラフィカ、私が休んでいる間に、一人で行ってはだめよ? まだ聞きたいことも、話したいこともあるの。その上で、判断したいことも」
「わかったわ。領主の娘と一緒に行動した方が、赤雷蛇の討伐に関われそうだもの」
「……ばかね」
力の無い微笑みが、彼女の旅の理由も、やはり赤雷蛇絡みなのだと伝えてくる。
少し冷たくなっていた手を強く握ってから、ベッドに横にならせた。
「ラフィカ、違うのよ。違うの。信じて──お爺さまは、嘘つきなんかじゃないわ」
「そうね、わかってるわ」
なんのことかわからなかったが、ただ否定せずに頷く。
それに安堵したように、ニフリトは目を閉じた。
身体を横にしたことで、張っていた気力が緩んだのだろう。急に疲労を自覚したかのように、ニフリトはすぐに眠りに落ちた。
(目を覚ましたら、何か温かい物を食べさせてあげたいわね)
肩まで掛け布を引き上げてから振り返ると、いつのまにかセルツェの姿がない。
そっと扉を開けて顔を出すと、脇の壁に立っていた。
「いきなり消えないでよ。びっくりするじゃない」
「女性が寝ようとしているのに、ただの護衛が寝室にいるわけにはいかないだろ」
「確かに」
納得しつつ、後ろ手にそっと扉を閉める。
「お腹空いたわ。これ、食べても良いわよね?」
ローテーブルに用意されていたサンドイッチが目に入ったので、一応セルツェに問う。
「構わない。実を言うと軽食の方は俺が頼んでおいたんだが、休まれたからな。彼女の食事は、起きてから改めて頼もう」
「まぁ、気が利くのね。別に従者も担っているわけではないのでしょう?」
町で最も上等な宿屋だからか、隣室にあるソファセットが豪華だ。
弾力のある座面に腰を下ろし、サンドイッチを手に取りながら問うと、セルツェは少し眉尻を下げた。
「どちらかというと、気が利く方ではないんだがな。彼女は道中ずっと、思い詰めた顔をしていたから、さすがに心配になってな。なぜミルクレストに向かうのかも、その時はわかっていなかったし」
「そうだったの。というか、お供は貴方だけなの?」
そこまでの長旅ではないとはいえ、ニフリトは聖女であるまえに侯爵令嬢だ。普通であれば、従者の一人や二人ついていてもおかしくはない。
「迎えに行った時点でお一人だった。そもそも、貴族であったとしても、聖女が従者を連れていることはまずない」
「そうなの? まぁ確かに、従者まで護衛する余裕なんてないものね」
貴族令嬢なんて、下手したら服も一人で着られないのに──と思いはしたが、聖女である以上、学院で寮生活をすることになる。
その時点で、自立するのかもしれない。
そんなことを思いつつ、サンドイッチを一口囓る。新鮮なレタスと蒸し鶏、そして塩漬けのオリーブ。それに絡むペッパーソースが絶妙で、とても食欲を刺激する味だった。美味しすぎて、あっと言う間に一つ平らげてしまう。
「おいしい。貴方も食べておいたほうがいんじゃない? 余ってしまうのも、もったいないし」
「……それもそうだな」
私の促しに従って、セルツェが向かいのソファに座る。
座ったのに、サンドイッチを見るだけで手に取ろうとしなかったので、私は首を傾げた。
「セルツェ?」
「あ? ああ、すまない」
「どうしたの」
「君から予想外の地名が出てきたことで、思わず口を滑らせた自分を恥じていた。どんな理由があろうとも、彼女の前でだけは、絶対に言ってはならない言葉だった」
表情筋は全くもっていつも通りだが、猛烈に後悔していることが、その空気から伝わってくる。
私自身、彼の発言は聞き捨てならなかったので、あえて問うことにした。
「……捨て地って、どういう意味?」
「聖女ニフリトが言った通りの意味だ。ミルクレストであって、ミルクレストではない。もちろん、それは周囲の人間が勝手にそう呼んでいるだけだけどな」
「それって、やっぱり赤雷蛇が原因なの?」
「そうだ。魔物ではなく守護精霊の暴走で被害を受けるなんて、呪われていると思われて仕方がない。あそこを国の一部だと思いたくない者は多い。俺自身、冒険者だった頃によく行きはしたが、あまり長居したいと思ったことはない」
少し申し訳なさそうにはしていたが、はっきりとセルツェが告げる。
何十年も呪われた地として扱われてきたのだから、当然の反応なのだろうが、私は悔しさに拳を握った。
「そうか……だから、ミルクーリーは大失態を犯したにも拘わらず、爵位も土地も剥奪されなかったのね?」
ただでさえ魔物との攻防が苛烈な場所なのに、さらに呪われているとあっては、他の貴族も欲しくはないだろう。
ましてや行方知れずの暴走精霊が潜んでいるかもしれないという、面倒な問題つきだ。
(押しつけあった挙げ句に、結論を濁したって感じかしらね)
ミルクーリーにとっては、汚名を返上する機会を得たとも言えるけれど。
国境を護る重要な砦であることに変わりはないのに、その努力に向けられる眼差しが冷たいという環境は、どれほど心を重くするだろう。
(絶対に、この問題を解決しなくちゃ)
領民にとっても、今の状況はとても苦しいはずだ。
今の私の立場では、なんの関わりもない人々だけれど、前世の記憶がある以上、彼らには幸せであってほしい。
豊かさと厳しさに翻弄されながら、ミルクーリー家と共に、あの地で生きることを選択してくれた人々なのだ。
(そんな人達に、守護精霊が害を与えるなんて、あってはならないことなのに)
なぜそんなことになってしまったのか、ニフリトなら知っているのだろうか。