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聖女とは仮の姿ッ  作者: 夜月ジン
赤雷蛇編
35/72

ミルクレスト道中(2)

 急遽とった宿屋の一室。

 一番上等な部屋を用意されただけあって、綺麗に整えられた柔らかそうなベッドが二台、サイドテーブルを挟んで並んでいる。手前には丸テーブルと、椅子が二脚。

 その椅子の片方に身を縮こまらせて座っているのは──私だ。

 腕組みし、仁王立ちの聖女様に見下ろされ、身じろぐことすら許されない空気に固唾を呑む。

 長い沈黙の果てに、聖女様が第一声を発した。

「最初に言っておくわ。助けてくれて、ありがとう。貴方がいなければ、私のためにもっと多くの被害が町に出ていた。これだけは、間違いなく感謝してる」

「ニフリト……!」

「けど、それとこれとは別の話よ」

 感謝の言葉に思わず顔を上げてしまった私に、釘を刺すための言葉が付け足される。

 怒気を含んだ声音に、私はきゅっと身を竦めた。

 そう、あの馬車の中にいた聖女は、ニフリトだったのだ。

 セルツェと間抜けに見つめ合ったのはものの数秒で、私たちはすぐに馬車の元に戻った。

 その時点で魔物の討伐は完了しており、騎士がニフリトを馬車から降ろしているところだったのだ。

 驚きつつ駆けつけた私よりも先に、騎士が嬉々として「この冒険者が貴方様をお救いしました」と手柄を宣言してくれたおかげで、困惑気味だったセルツェとニフリトの目が据わった──というわけだ。

 事情を知らない騎士達には知り合いだったことだけを告げ、休息を理由に早々に宿屋に連行されて今に至る。

「私が今、どれほど混乱しているかわかる? どこから突っ込んだらいいかわからないわ!」

 はぁーっと盛大に溜め息をつきながら、ニフリトがこめかみを押さえる。再び沈黙が落ちようとしたところで、扉がノックされた。

「セルツェです。戻りました」

「入って」

 ニフリトの促しにすっと扉が開き、手にトレイを持ったセルツェが現れる。トレイの上には、紅茶と菓子が用意されていた。

「騎士様、申し訳ないけれど、いま、そんな気分ではありません」

 一瞥と同時にニフリトは一蹴したが、セルツェは構わずトレイをテーブルに置いた。

「私の気遣いではなく、宿屋の奥様からです。廊下に立っておられたので。隣の部屋には、軽食も届けてくださってます」

 部屋の空気を微妙に察して、扉をノックできずに立ち往生していたのだろう。そこにセルツェが現れて、引き受けたらしい。

「そうだったのですか。フォローしてくださり、ありがとうございます。事後処理はどうでした? 必要であれば、戻りますが」

「大丈夫です。駐在している騎士の浄化魔法で充分事足りましたので。瘴気の処理は問題なく済みました」

「そうですか。馬は──いえ、なんでもないわ」

 ぽろっと零された一言に、無残な姿になってしまっていた二頭を思い出す。そして同時に、私は勢いよく椅子から立ち上がった。

「しまった、蘇生!」

「え?」

「馬も出来たんじゃ!? やだ、私……人間以外の生き物に使うという発想がなくて、すぐに思いつけなかった!」

 慌てて部屋を出ようとした私の腕を、ニフリトが掴む。

 驚いて振り返ると、ゆっくりと首を左右に振られた。

「時間が経ちすぎているわ。魂が離れてしまっていては、蘇生は無理よ」

「……あ」

「それに、もう肉体もないのでしょう?」

「はい。仰せの通り、解体はせず火葬に」

 話を促されたセルツェが、懐から結われた毛束を二つ差し出す。

 二頭の鬣であろうそれを受け取ると、ニフリトは優しく撫でてから懐にしまった。

 その態度から、あの馬車が借り物ではなく自前のものだったのだと知る。涙こそこぼさなかったが、瞳は隠しようもなく潤んでいた。

「ごめんなさい。私がすぐ蘇生していれば」

「馬鹿言わないで。聖女の魔力は、そう易々と消費していいものじゃないわ」

 でも、私なら大丈夫だった──という言葉を、寸前で飲み込む。

 今ここでそれを言ったところで、もう意味はない。

(しっかりしなきゃ。救えるものを、救うのよ!)

 腕を放されたので、おずおずと椅子に戻る。

 そのタイミングを見計らったように、セルツェがニフリトに椅子を引いたことで、彼女も大人しく座った。

 先ほどまでの怒気がすっかり消えた、小さな溜め息が零される。

「ごめんなさい、やっぱりいただくわ」

 ニフリトはそうぽつりと呟いて、ポットに手を伸ばしたが、それは既にカップに紅茶を注いでいた。

 ニフリトが顔を上げた先に、セルツェの無表情がある。

「どうぞ」

「あ、ありがとう」

 差し出された紅茶を戸惑い気味に受け取ったニフリトの顔が、ほんの少し赤くなる。

 真摯な気遣いが間違いなくニフリトの乙女心を擽ったのに、セルツェはそのまま壁際に寄ったので何も始まらなかった。

(なんで! そこで! 微笑めないの!)

 と、内心で地団駄を踏んだが、それが出来ないから本人も困っていたな──と思い出して、もどかしさが同情に切り替わる。

 今度、顔の筋肉でも揉んであげようかしらと思いつつ、私も紅茶を頂こうとして、もう一つあったカップがそもそも伏せられたままだということに気づかされた。

(私の分を用意してくれてない──!)

 顔を向けたことで、そのことに私が気づいたと察したセルツェが、すっと視線を逸らす。

 それだけで、めちゃくちゃ怒っていることが伝わってきて、私は再び居住まいを正した。

 けれどすぐに、理不尽な気持ちが湧いてくる。

「……ねぇ、なんだか二人の雰囲気に押されて反省してしまっているのだけれど、私、なにも悪いことしてなくない?」

「「なにを」」

「言ってるんだ君は!」

 二人同時に口を開いたが、剣幕で勝ったのは意外なことにセルツェだった。

 壁際から三歩で私の前に移動して、がっしと両肩を掴む。

「聖女が防護結界の外に移動する場合、護衛は必須だろう。一人でこんな地方まで旅をするなんて、どうかしてるぞ。聖女が魔物に狙われやすいと、君は身をもって知っているだろう!」

 剣幕に目を丸くする私の向かいでも、同じようにニフリトが目を丸くしていた。

「いや、でも、必須とか知らないし」

「協会に移動を申請した際に、手配されたろう。それを君は、どうしたんだ?」

「移動申請──?」

 なにそれ、と零した瞬間、セルツェが絶句し、ニフリトの顔色から血の気が引いた。

「待って、待って。状況が飲み込めないわ。少し情報を整理させて」

 ニフリトの言葉に、セルツェが私の肩から手を離す。

 そのまま一歩離れて立ち、三人で向き合う形になった。

「まず、騎士様がおっしゃっていた、協会に申請ってどういうこと? 貴方、この間手紙で冒険者ギルドに実習に行くって書いてたわよね?」

「あ、ええとね。落ち着いたらまた手紙を書こうと思っていたんだけど、なんていうか色々あって、授業受ける前に卒院資格を得られたの」

「色々って……」

「先日、報告にあった、瘴穴爆発の件です。あれに、彼女が関わっていました。その折に、重傷者三名に蘇生及び再生を施し、爆発によって汚染された地域一帯の浄化を一人で行ったのです。その功績が王子殿下に認められ、特別に卒院証が与えられました」

 端折りすぎた私の言葉に困惑するニフリトに、セルツェが言葉を足してくれる。的確な言葉選びに、感謝しかない。

「……なるほど、学院生では即戦力にできないから、強行したのね。その上で、貴方は国に所属しないことを選んだ?」

 状況や、少し前にセルツェが「協会に」と言ったことを加味して、判断したんだろう。察しのいい彼女に感嘆しつつ、私は頷いた。

「ええ。派遣先を、自分で決めたかったの」

 強い意志を込めて頷いた私の顔を三秒ほど見つめてから、ニフリトはふっと視線を下げた。

 再び、こめかみを指先で押さえる。

「貴方が今、見習い聖女ではなく、この国に認められた『聖女』なんだってことは理解したわ。その上で、一つ一つ聞くわね?」

 低まった声音が、ただ問われたことに速やかに答えるよう命じている。

 馬車のことといい、立ち居振る舞いといい、やはりニフリトはかなり位の高い貴族の令嬢なんだろう。

 美しい容姿と相俟って、絵になるなぁと思いつつ「はひ」と返事をした。

 声が上擦ったのは、私が聖女の行動としてかなりやらかしている気配を、二人の態度から感じ取れ始めているからだ。

「まず、どうしてここにいたの?」

 まさに私が二人に聞きたい問いを向けられたが、今は私が答えるのが先だろう。

「目的地に向かう途中だったの。その道中に、この町があって」

「目的地って?」

「エレジアの泉……ミルクレストよ」

 私の言葉に、はっきりとニフリトの表情が固まる。

 エレジアの泉は、現地の人間でなければ馴染みのない場所なので、首を傾げられるくらいはするかと思ったが、この反応は予想外だ。

「なぜ、あんな捨て地に──いや、なんでもない」

 口を挟んだのは、ニフリトではなくセルツェだった。

 驚いて視線を向けると、頭で考えるよりも先に言葉にしてしまった──というような様子で、なぜか顔を青ざめさせている。

 その態度も気になったが、発言の内容の方が問題だ。

「捨て地ですって? どういう意味よ」

「いや、その──」

 声音を低くした私に驚いたのか、セルツェが半歩下がる。

 言葉に詰まった彼の代わりに、ニフリトが口を開いた。

「……そのままの意味よ。もう何十年も前から、あそこはラシオンであってラシオンではないの」

「なに、言ってるの。そんなわけないじゃない。あそこは南部国境の要。数多の魔物が生息する森に面した、最も危険かつ重要なとり、で……」

 私が言葉を紡ぐごとに、なぜかニフリトの顔が泣きそうに歪んでいく。

 もう一言でも言えば目尻から涙が溢れてしまいそうで、私は思わず言葉を止めた。

「貴方、面白いことを言うのね。いいえ……面白いというか、古いというか。もしかして、とても古い歴史書でも読んだのかしら」

「え、あ……確かに、古かった……かも?」

 あまりにも力のない微笑みを向けられて、息苦しさに喘ぐように同意の返事をしてしまう。

 実際、私の知識は百年前のものなので、嘘にはならないだろう。

「もしかして、今は違うの──?」

「ふふ。うふふふ! あぁ、おかしい。まさかこんなところで、お父様達の悪足掻きが効果を発揮してるなんて! 貴族は無理でも、それ以外の人間には間違いなく、情報規制の効果はあったのね。……馬鹿馬鹿しい。忘れられたからといって、汚名が濯がれるわけじゃないのに」

 笑っているのに、泣いている。間違いなく、泣いている。

 そんなニフリトの態度の意味がわからなくて、私は思わずセルツェを見たが、彼は相変わらず額を白くしたまま固まっていた。

 そんな私たちを交互に見てから、ニフリトは微かに赤くなっている目尻を指先で拭った。

「ごめんなさい。急に変な態度を取って。騎士様も、顔をお上げになって。事実ですもの。私は気にしないわ」

「温情に、感謝致します」

 理解出来ないやりとりに、目を瞬かせる。そんな私に、ニフリトが肩をすくめて見せた。

 セルツェの失言(?)を切っ掛けに、瞳に生気が戻ってきたようだ。

「話が逸れてしまったわね。それで、どうしてラフィカはミルクレストへ行こうと思ったの? 何か切っ掛けがなければ、首都に住む貴方が、辺境に興味なんて抱かないわよね?」

「その前に、ニフリトの態度の理由を知りたいのだけれど?」

 流されそうになってしまった話題を、さすがに引き戻す。

 するとニフリトは眉間に皺を寄せてから、緩く握った拳を口元に当てた。

(さすがに、予測はできてるけど)

 彼女の口から、きちんと聞きたい。

「──そうなるわよね。ああ、嫌だわ。反応するんじゃなかった。結局私の口から教えることになるのね」

 本当に、心底言いたくなさそうな顔で、私の顔をちらっと見てくる。

 可愛かったが、ここで絆されるには、彼女が仄めかしてしまったものが気になりすぎる。

 断固とした意思を伝える手段として、首を左右に振ると、ニフリトは諦めたように嘆息した。

「私の名前は、ニフリト・スピ・ミルクーリー。ミルクレストを治める、ミルクーリー侯爵の娘よ」

 紡がれた言葉の意味を頭が理解した瞬間、思考にかかっていた靄がさぁっと晴れるような気持ちになる。

 理由もなく感じていた、「助けてあげなければ」という衝動の理由は、紅茶の産地だとか香りだとか、そういう次元での懐かしさからではなかったらしい。

 それよりももっとずっと、直接的で、明確な──。

(ああ、私は、彼女にかつての家族の面影を感じていたのね)

 哀愁に浸った私の顔をみて、ニフリトが苦く笑う。そこに滲んだ寂しさと失望に、はっと意識を引き戻された。

「やはり、うちの現状を知っていれば、そういう反応になるわよね。でも貴方には、出来れば真実を聞く耳を持って貰えたら、と思うわ」

「ニフリト、ごめんなさい。違うわ」

「あのとき、正直に告げられなかったのは私だから、都合のいい話ではあるのだけれど──」

「違うってば!」

 勢い余って、テーブルを叩きながら立ち上がってしまう。

 びくっと肩を揺らしつつ、ニフリトがうつむけていた顔を上げた。

「庶民の娘が、貴族の事情なんて知るわけないでしょ! 私が驚いたのは他の理由だし、ミルクーリー侯爵家の事だって、昨日、冒険者ギルドでたまたま赤雷蛇の話を聞いて……」

「まさか、赤雷蛇の討伐に参加するつもりで、ミルクレストに?」

「えっ」

 いつの間に立ち直ったのか、不意打ちで図星を突いてきたセルツェに、素で反応してしまう。

 私の表情を見て確信してしまったらしく、珍しいほどくっきりと眉間に皺が寄った。

 あらいやだ、顔の筋肉動くじゃない。

「この町の騎士が、君を冒険者だと言っていて、妙だと思ったんだ」

「冒険者って……どういうこと?」

 いつの間にか立ち上がったニフリトと、セルツェがずいっと詰め寄ってくる。

 なんだかこう、私にとってよくない方向に空気が変わった気がした。

 逃げようとして椅子に蹴躓きながら、必死に言葉を探す。

「わ、私、後覚醒するまでは冒険者だったのよ。一応石付きで──」

「そういうことを、訊いてるんじゃないわ」

「いや、だって、ローブはまだ作ってもらってる最中で、完成するまでは聖女として活動しないようにって協会に言われて……。だから、それまでに雑事を片付けちゃおうって思ってた所に、赤雷蛇の噂を知って」

「そこでなぜ、冒険者として討伐に参加しよう! ってなるのよ」

「だって、殿下達が!」

「殿下達……?」

 双子王子を話題に出したからか、幾分か冷静になったらしいセルツェが、少しだけ身を引いてくれる。

 それに合わせて、ニフリトも詰め寄り気味だった姿勢を改めてくれた。

 ようやく勢い任せではない言葉を紡げると、ほっと息をつく。

「殿下達に、邪竜討伐の本隊には参加させないって言われちゃったのよ。だから、本隊に参加するには、冒険者としてギルドに選抜されるしかないと思って」

 このときの二人の、「何言ってんだコイツ」って顔を、私はしばらく忘れないだろう。



一部矛盾のある言動をさせてしまっていたため、会話の内容を修正しました。

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