ミルクレスト道中(1)
家族旅行で首都を離れたことはあるが、冒険者として国境近くまで旅をするのは初めてだ。
前世でも領内を出たことはあまりなく、移動はもっぱら馬車だった。
お世辞にも旅慣れているとは言えないが、幸いなことに身を守る力だけは十二分にあるので、不安はあまりない。
ただ、冒険者として外に出るときは、いつも魔導具をフル装備していたので、ラフな旅装束に杖と鞄一つ──という格好がどうにも落ち着かない。
何か忘れている気がしてしまうというか、なんというか。
(別に装備してもいいのだけれど、殆どが身体強化の魔導具だから、端から見たら『非力なカモ』なのよねぇ)
いつも仕事していたエリアであれば、敵は魔物だけだが、旅路となるとそこに悪意のある人間が加わってくる。
ただでさえ女の一人旅なので、不要なトラブルは極力避けたい。
(力加減を間違えて、殴り殺しでもしたら、洒落にならないわ)
清々しいほど空高く吹っ飛んだ魔氷熊の姿を、忘れてはならない。
「ていうか、魔導具返しておけばよかった。血印解除して作り直せば、売れるわよね」
先日話していた、実績作りの手間を多少は省いてくれるのではなかろうか。
ローブを受け取りに行くときに、一式持っていこう。
「手紙に書いておけばよかったわ。失敗した」
ミルクレストでどれくらい手間取るかわからない状況なので、ローブの制作期日を二週間に延長して大丈夫だと伝えに行ったが、不在だったのだ。
おそらくは、ラススヴェート様の工房に行っているんだろう。
ある程度事情を説明しておきたかったが、手紙だと難しすぎて、要件だけしか書けなかった。
少し相談したい気持ちもあったので、ポストに手紙を投函したときは心細い気持ちになったが、一晩明けた今となっては、余計な心配をかけずに済んだのでは? と思えてきた。
旅の準備が済んだので、腹が括れたというのもある。
「さて、と。それじゃ、行きますか」
鞄を背負い、南門へと向かう。
早朝の南門は、商隊で賑わっていた。
大きな馬車が何台も列をなし、検問を受けている。
いつもは森に続く西門ばかり利用するので、南門の外の光景は少し珍しかった。
大通りを挟んで宿場がずらりと建ち並び、他領や異国から訪れた人達を吐き出している。
中には検問を待ちながら商売を始めている人達もいて、彼らの逞しさを改めて痛感した。
暫く歩くと、もう一つ門がある。首都を護る、防護結界の切れ目だ。
そこは商人よりも、冒険者や傭兵の数が多かった。
商人を護衛してきた者達が情報交換をしているのだろう。門番の騎士も混ざって、真剣に話し合っている。
(余所の状況は他領の騎士団からも入ってくるだろうけど、あちこちを移動してる彼らには敵わないものね)
彼らを横目に、待合馬車の案内板に移動して、確認する。
「やっぱり、早くても十時よねぇ」
朝六時に馬車で出るなら、個人的に雇うしかない。
けれど昨日の今日で手配するのは、さすがに不可能だった。
それでもこの時間に家を出てきたのは、次の街まで走ってしまえばいいか──と判断したからだ。
魔法を使って速駆けする者は珍しくないので、悪目立ちもしない。
馬車で三十分ほどの距離ならば、体力的にも問題はないだろう。
(全力疾走なら、十分くらいかしら?)
さすがに常軌を逸した速度になるので、街道を走れなくなってしまうからやらないが。
高速で移動できるほど魔力のある魔導師は皆、空の上だ。
(そうよ飛行魔法! 飛行魔法の魔導具欲しい! 姉さんに手紙ッ)
せっかく無尽蔵ともいえる魔力があるのだ。付与しない手はない。
魔導具を介した飛行魔法などたかが知れているだろうが、ないよりは絶対にいい。
協会にバレたら「貴重な神聖魔力を!」と激怒されそうだが、私だって非常時以外は使わない──と思う。
ちょっとした連絡をする者が多い場所だからか、安価な伝書鳥を売り歩いている商人がいたので、呼び止めて一羽買う。
ついでに飴も買わされたが、まあいいだろう。
親指サイズの木彫りのそれは、短い伝言を特定の相手に届けてくれる魔導具だ。往復するものや何度も使用できるものとなると値段が跳ね上がるが、片道かつ使い切りのものは銅貨三枚ほどで買える。
事前に自分で用意しておけばよかったのだが、昨日買い忘れてしまったのだ。
元々いくつか貰っていた魔石を、胸元のくぼみに填める。
姉の魔力が込められた人工水晶で、道標になるものだ。
「姉さん、飛行の魔導具が欲しいわ」
小鳥に魔力を通し、喋る。復唱させると「魔導──」で切れたが、まぁ伝わるだろう。
(もう、焦って適当に取るんじゃなかったわ)
この短さなら、銅貨一枚で充分な質だ。というか、絶対に子どもの玩具として作られたやつだ。
なんとなく、旅をする者としての「見る目」を試された気がして悔しくなりながら、私は鳥を空に投げた。
ぱっと翼を広げて、飛び去っていく。一抹の不安を覚えて暫く目で追ったが、一応、姉の家がある方に飛んではいったので、よしとすることにした。
(街に着いたら、手紙で補足したほうがいいかしら)
◇ ◇ ◇
目深に被っていた外套のフードを下ろすと、少し汗ばんでいた首筋を涼やかな風が撫でる。
明るくなった視界に目を細めつつ、人々で賑わう通りを見渡した。
(予定よりはやく進めてるわね。馬車に乗れなかったのは、ある意味正解だったかも)
既に時間は昼に近い。二つ前の街から乗合馬車は動きはじめていたが、午前中は混むらしく、幼い子どもを連れた母親に席を譲ったことで乗りはぐったのだ。
結果として、旅程の半分を午前中に終わらせることができてしまった。
(これなら、お店でちゃんと、ご飯が食べられる)
疲労回復において、食事に勝るものはない。
魔法による治療は肉体の回復であって、疲労がなくなるわけではないからだ。むしろ種類によっては、より体力を消耗する。
体力が尽きれば、どんなに健康でも人は倒れてしまう。
食事をとれない場合は、もっぱら回復薬に頼ることになるのだが、高カロリーかつ滋養のある素材をふんだんに使った代償として、地獄の味がする。
一応、所持してはいるが、きちんとした食事が摂れるなら摂るに限る。
食事が出来る店を探して視線を巡らせたところで、随分とのどかな景色になったな──と遠くに来たことを実感させられた。
首都から南下してクストスに入り、それを斜めに横断すると、マールス様のお父上であるヴァリキュイ侯爵が治めているフランマ領に入る。そこからさらに南下すると、我が魂の故郷、ミルクレストだ。
私は今、そのフランマとミルクレストの境にある町に辿り着いていた。
目的地はミルクレストの南端なので、旅程はあと二割といったところだろうか。
このペースなら夕方前には辿り着けるので、冒険者ギルドにも顔を出せるだろう。
早急に確かめたいことが山積みの身としては、ありがたい誤算だ。
(こんなに体力に余裕があると思ってなかったのよねぇ)
だからこそ、乗合馬車を利用するつもりでいた。
けれど実際に走り始めてしまえば身体は軽く、面白いくらいに速く走ることができた。
覚醒直後に実験したときは、一時間ほどで息切れしていたのに。
(魔力が身体に馴染んで、あの時より身体にかかる負担が減ったのかしら?)
というか、むしろあの時は急激に増えた魔力に肉体が疲弊していた可能性もある。
(思い返せば、一週間くらいは熱っぽかったのよね。それを気にしてる余裕がないくらい、色々あったせいで忘れてたけど)
つまるところ、私にとってかなりの懸念事項だった体力不足への不安は、解消されたと思っていいのではないだろうか?
いっそこの町から目的地まで、本気で走ったらどれくらいで辿り着けるか試してみようかしら。
(街道から少し逸れた場所を走れば──)
などと思っていたら、ピーッと甲高い笛の音が頭上から響いてきた。
瞬間、ビリッと周囲の空気に緊張が走る。
物見台にいた騎士が迷うことなく防護結界を起動させたことで、外に居た人々の大半が一斉に建物の中に駆け込んだ。
驚いて足を止めてしまった馬に気を取られていた男を、騎士が門の内側に放り込み、別の若い騎士が駆けつけて来たのを確認してから門を閉ざさせた。
その影に私を見つけて、微かに目を見開く。
「冒険者です。手を貸します」
何か言われる前にそう宣告して、杖を手に持つ。
その頃にはもう、二頭立ての馬車が一台、無数の何かに追われて駆けてくるのが見えていた。
それでも何か言いつのろうとした騎士の言葉を、若い騎士の罵りが遮る。
「ふざけんな、なんでこっちに逃げてくるんだよっ」
助かりたい一心で、町の方に逃げてきてしまう気持ちも、それに巻き込まれる方の気持ちも、理解出来る。
「ばか、よく見ろ。聖女様の馬車だ!」
若い騎士の後頭部をひっぱたいた、先輩騎士の言葉に、私は目を凝らした。
土煙で視界が悪かったが、確かに馬車には聖女が乗っていることを示す白い布が掛けられている。
他の何を犠牲にしても、助かろうとしなければいけない存在であり、助けなければいけない存在。
「雪割りの群れだ!」
物見台から、声が落ちてくる。
雪割り。狐のような見た目の魔物で、薄く鋭い爪を持っている。凍った湖に傷を付けて脆くし、そこから落ちて溺れた動物を捕獲するので、その名が付いた。
つまり、普段は森の奥にのみ生息しており、こうやって人を襲いに群れで出てくるような生態ではない。
「なんでこんな人里近くまで」
「少し前から魔物の活動範囲が広がってるからな。他の魔物に追われて下りてきていたんだろう」
そこで聖女を見つけてしまい、一も二もなく襲いかかったということだろうか。
(邪竜の活性化で狂暴化しているとはいえ、本来の生態を無視してまで聖女を襲うの!?)
魔物が聖女を優先して襲うことを知ったときは、そういうものなのかと流してしまっていたが、これは生物としての本能というより、統率に近い反応ではないだろうか。
「行くぞ! 手前で少しでも蹴散らさないと! あの数はうちの防護結界では防ぎきれない!」
鋭い声に、はっと意識を引き戻される。
駆けだした二人の足に強化魔法の光を見たことで、慌てて踏み込んだ一歩が、一瞬で二人を追い抜いてしまった。
「へっ」
若い騎士の間抜けな声が、遠ざかる。
速度を緩めようかと思ったが、雪割りの一匹が、馬車馬の一頭に飛びかかっていた。
断末魔の嘶きと共に隣の一頭も巻き込んで転倒する。
破砕音と共に車体が馬の上に乗り上がり、御者が派手に放り出された。
それをかろうじてキャッチして、脇に放り捨てる。
馬に繋がった部分に引き摺られる形で前転した車体が、地面に叩きつけられる前に受け止めた。
「──っぶな!」
我ながら、人外の動きをした気がする。
ゆっくりと車体を脇に下ろしてから、足と腰に噛みついていた雪割りを振り払った。
「大丈夫!? 生きてる!?」
「は、はい」
掠れていたが、はっきりとした声が車内から返ってくる。
ほっとしたところで、背後から飛びかかってきていた一匹を、追いついてきた騎士が切り払ってくれた。その後ろで、若い騎士が御者を保護してくれている。
「何がなんだかわからんが、聖女様は無事か!?」
「ええ。さっさとこいつら片付けちゃいましょ! 聖女様は、怪我してるなら自分で治しといて!」
加勢の気配に安堵したからか、聖女様が一際大きな声を出した。
「護衛の騎士様が、魔物の足止めに残って──ッ」
涙声のそれに、思考よりも先に身体が動く。
進路上にいた雪割りもついでに数体蹴散らしつつ、馬車の痕跡を駆け辿った。
もう無理かもしれないが、私なら間に合うかも知れない。
一縷の望みに、更に速度を上げようとしたところで、同じように逆から猛然と駆けてくる人影に気がついた。
互いが異様だったことで、互いの意図に気づくことができたというか、なんというか。
彼は聖女が無事だということに気づき、私は護衛の騎士が無事だということを理解した。
互いに立ち止まり、呆然と向き合う。
「「なんでここに」」
私の声も、セルツェの声も、間抜け以外のなにものでもなかった。