郷愁と閃き(6)
私の変化に、コナトゥスが前のめりになる。
「欲しい情報があったか?」
「ある。あるわ! 貴方たちって、遠方から来たのよね? 国境付近で、今、話題になってる大物っている?」
「……その質問は、俺の交渉に応じてくれたってことでいいんだよな?」
「内容次第よ」
私の一言に、コナトゥスが渋面を作る。
優位を決める根比べが始まろうとしたところで、カエルムが口を開いた。
「なんだよ、コナトゥス。忘れたのか? 俺たちが少し前まで拠点にしてたギルドじゃ、赤雷蛇がぶっ」
ゴッとすごい音がしてカエルムが椅子ごとちょっと下がり、言葉が止まる。
そのまま悶絶して机に突っ伏したことで、テーブルの下で起こった出来事を察した。
額をあっという間に埋め尽くした脂汗が、その痛みを物語っている。
「いってぇ……! なにすんだよぉ」
「なにすんだよぉ、じゃねぇわ。台無しだろうが!」
「えぇ~?」
「はぁ、ったく。これだから単細胞は。……まぁ、見合う話題だっただろ? 首都じゃ得られない情報だからな」
盛大に嘆息しながら、コナトゥスが私に向き直る。だが、私はその言葉に同意することが出来なかった。
「その、赤雷蛇って?」
「え、知らないのか? ラシオンで稼ぐ冒険者の間じゃ有名──いや、あんた若いし、水晶だもんな。まだここらでしか活動してないのか」
「え、ええ」
「なら知らなくても当然だ。現地以外では、奴の話をみんな避ける」
「どういうこと?」
「赤雷蛇は、おそらく邪竜の次に、ラシオンで忌み嫌われている魔物だからさ」
凶悪すぎて討伐しきれず、退けるので精一杯だという魔物は、各地に存在するだろう。
邪竜がその筆頭だが、あれは災害に近い。
それよりももっと身近で、恐ろしい魔物。危険度から、ギルドや騎士団が固有名をつけて、警告する類いのものだ。
ギルドが発行している、特別個体だけを纏めた討伐書を読み物として所持しているが、私は確かに、その『赤雷蛇』という名の魔物を知らなかった。
「知りたいなら、話してやってもいいけど」
仄めかされて、はっと息を呑む。好奇心が刺激されたが、ひとまずぐっと堪えた。
「それに答えを出す前に、確認させて。国が情報を規制させている類いの話なら、乗れないわ」
「いや、それはない。現地のギルドには討伐依頼書も張り出されてるし。たぶん、直接被害が及ばない地域で奴の情報がないのは、ミルクーリー侯爵家絡みの問題だろうな」
「なんですって?」
ミルクーリー侯爵家は、私の前世──ヴィクトリアの生家だ。
その名が思いがけないタイミングで出てきたものだから、反射で語尾に力が入ってしまい、声が裏返った。
コナトゥスはコナトゥスで私の剣幕に驚いており、あまりの気まずさにちょっと頬が熱くなる。
「ごめんなさい。驚いて変な声が出たわ」
んんっと咳払いをしてから、残り少ない果実水を飲み干す。
「気にするな。奇妙な話ではあるからな」
「奇妙というか、ありえないわ。危険な魔物の情報を規制するなんて」
「まあでも、理由を知りゃあ納得もするぜ。なにせ赤雷蛇は、元はミルクーリー侯爵家の守護精霊だって噂だからな」
「──────は?」
絶句。
もう、絶句以外のリアクションが、とれない。
(どういうこと? どういうこと? どういうことなの!?)
百年の間に、一体、ミルクーリーに何があったというのか。
「大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
いつのまにか復活していたカエルムが心配そうに私の様子を窺ってくれたが、動揺が収まらない。
それでもなんとか腹に力を入れて、声が震えないようにだけはした。
「ゆ、友人がミルクレストにいるのよ。守護精霊が魔物認定されてるなんて知らなかったから──。その、今話題になっているということは、その赤雷蛇が暴れているってこと?」
適当な嘘で私の態度の理由を誤魔化して、コナトゥスに話を促す。
私の様子が普通ではなくなったからか、情報を選別するようだった喋り口が、急に滑らかになった。
カエルムの性格のせいで用心深くなっているだけで、彼も根本的には善人なのだろう。
「いや。そもそも奴は、かなり昔に一度だけ現れたきりらしい。だが被害が甚大だったんで、ギルド側が再来を畏れて、常に捜索と討伐を促してるんだ。今回は、状況的に警戒が高まってるって感じだ。気にはなったが、俺は不確かな儲け話は好きじゃねぇから、無視してこっちに来たんだ」
「不確か?」
「ああ。百年音沙汰がない魔物だぜ? 出てこない可能性のほうが高い。討伐隊はミルクレスト騎士団や、冒険者によって何度も組まれてるが、まずその姿が見つからない」
「それって、もう死んでるんじゃ」
「どうだろうな。だが、騎士団が捜索をやめてないってことは、侯爵家が指示出してるってことだろ? 元が守護精霊だから、侯爵家の人間は存在を把握できてるのかねぇ」
加護を受けているならば、その通りだ。
つまりミルクーリーは、ギルドに魔物認定された精霊の加護を受けており、その力を騎士として奮っているということだろうか。
そして、行方知れずの精霊を、騎士団を使って捜している。
その目的がギルド同様、討伐なのかどうかは内情がわからないので知る由もないが──。
(意味がわからないわ)
そもそも、精霊は基本的に、女神エレノアによって、人に協力するよう命じられている。なので住み処を侵したり、冒涜的な扱いをしたりしない限り、攻撃をしてくることはないのだ。
というか、相手にしない。彼らは純粋で単純だからこそ、気に入った者しか相手にしないのだ。
(どういうこと? 本当に意味がわからない)
守護精霊との契約は血で結ばれているので、盟約石が無事なら継承していくことは可能だ。
けれどそれは、精霊が精霊であることが大前提でもある。
(つまり、存在が変質してしまったわけじゃないんだわ)
それなのに、ギルドに魔物認定されるほどの被害を地域に与えたなんて、いったいどういうことなのだろう。
狂ってしまったとでもいうのだろうか?
どんなに考えたところで、答えどころか新たな疑問が湧くばかりだ。
(ああもう! 遠方で冒険者として大物討伐して、邪竜討伐の本隊に参加してやろうと思ったのに!)
最終的にバレたところで、私の実力を冒険者ギルドが証明した事にはなる。本隊参戦の交渉材料として、双子王子に提示できるはずだ。
(でも、さすがにそれどころじゃないわね。この事態は無視できないわ。行って確かめなくちゃ)
私の思考が途切れるのを見計らったように、コナトゥスが麦酒のジョッキを大きく煽る。
空気が動く気配に意識を引き戻された私の目の前に、とんっと空のジョッキが置かれた。
「魔物の動きが急激に活発になってきてるからな。今までで一番、信憑性のある状況だとは思う。万が一に備えて、騎士団と合同で、大規模な討伐隊を組むんじゃないかって噂もあった」
話せることはこれで全部だと、胡桃色の瞳が告げていた。
「で、そっちは俺に何を教えてくれる?」
仕事の顔をすると、男の人は少し怖いな──と思いつつ、私も頭を必死に整理した。
「そうね……正直、私が貴方たち熟練者に教えられる情報なんてたかが知れているのだけれど、それを承知で交渉してきてくれたのよね?」
「ここでは新参者だからな。情報を零してくれるってだけで、俺たちにはあんたの存在がありがたい」
私の若さと、水晶だということを、この人達は一度も侮らなかった。
本当に冒険者としても、人としても、有能なのだろう。
彼らは本隊参戦という博打を打つタイプではなさそうなので叶わないだろうが、一緒に戦えたらいいなぁと、少し思ってしまった。
仕草で顔を寄せろと伝えると、コナトゥスは少し小首を傾げながらも前屈みになってくれた。それに同じように顔を寄せる。
「なんだよ、美人の顔が近いとさすがに緊張すんだけど」
「馬鹿言ってないで、ちゃんと聞きなさいよ。あんたが親切にした底辺冒険者が、いかに拾いものだったかを噛み締めるが良いわ」
「え?」
「ここのギルドの冒険者部隊の隊長に運良く会うことができたら、『婿候補です』って言ってみて。無条件で討伐に参加出来るわよ」
コナトゥス達への遊び心がうずいてしまった言葉選びだが、ザモークさんなら、それだけで私からの言葉であり、彼らの人間性を私が気に入ったのだと伝わるだろう。
私の言葉に、コナトゥスの顔が正面に戻る。
あからさまにいぶかしげな顔をされたので、笑ってしまった。
「すげぇ騙されてる気がするんだが。銀貨三枚要求していいか?」
「さすがに冗談よ。奥の手ではあるけれどね。ザモークさんは、大物狙いよりも、面倒で手間のかかる討伐をこつこつ引き受けてくれる冒険者を好むわ。だから、依頼選びはこのままカエルムにさせるといい。どうせ強さはランクで示せるんだから、誠実さで売り込んで」
告げながら立ち上がり、三人をゆっくりと見回す。
コナトゥスがまだ顔を顰めていて、おかしかった。
「じゃあ、またどこかで」
席を立ち、挨拶代わりに手を上げる。カエルムとコナトゥスは、同じように手を上げ返してくれた。
レムレスは相変わらず無口だし、ひたすら食事を続けていたけれど、私が視線を向けるとすぐに気づいて、ぺこっと少しだけ頭をさげてくれる。
「女神エレノアの祝福を。また会えたら、一緒に仕事しような!」
最後まで軽快で、優しいカエルムの言葉に、素直に笑顔になってしまう。
水晶は石付きでも誘われにくいので、彼なりの善意だ。ランク上げの手伝いをしてくれるつもりなのだろう。
「ありがとう。約束よ。ヘマして死なないでね!」
私の別れの言葉に、カエルムは笑顔で頷いてくれたが、コナトゥスは案の定顰め面をした。
正直に言うと、ヴェーガの瞳のメンバー以外で、冒険者と食事をしたり、こんなふうに親しく話したのは初めてだった。
とても嬉しい体験をさせてもらって、浮き足立ちたいのに、知ってしまった情報のせいで焦燥感ばかりが募る。
(とにかく、すぐに旅の準備をしなきゃ)
かつての私の子孫──家族とも言える者達が、いったい何をしでかして、何が起こったのか。
確かめなければという気持ちと、邪竜討伐本隊に参加するための計画が! という気持ちが入れ替わり立ち替わり、私の思考を行き来する。
「落ち着いて私! 赤雷蛇の問題を解決できれば、間違いなくギルドから注目されるし、侯爵家からも感謝されるわ! なんかこう、巧く話を持っていけば、交渉材料にはなるわよ!」
そうだ。閃いた作戦から、逸脱しているわけではない。
ただ挑もうとしている問題と、前世的にめちゃくちゃ関係があるだけだ。
(とにかく情報が足りないんだから、まず現地に行かなきゃ)
守護精霊が討伐対象だなんて、ミルクーリー侯爵家にとって、これほどの醜態はないだろう。
情報規制したい気持ちもわからなくはないが、内輪で解決策がないなら情報をばらまいて優秀な人材を集めなさいよ! と、思わなくもない。
いったい何年、この事態を実質放置しているんだろうか。
正常な状態で与えられていない加護なんて、あってないようなものだ。
それでも、あの激戦地を任されているのは、なんとかなっているからなのか、精霊を暴走させた責任を、死地で取らされているだけなのか。
(今の私が侯爵家に話を聞きに行けるわけないし……。とにかく、泉の女神に会わなくちゃ)
こんな形で会いに行く予定ではなかったけれど、加護についてきちんと話も聞かなければならなかったので、良い機会だろう。
そう考えれば、行かなければいけないところが纏まっているのは、ありがたいのかもしれない。
(いや全然、ありがたくないわよ。問題だらけだわ!)
荷箱から引っ張り出した鞄に荷物を詰め込みながら、床についた膝の冷たさに舌打ちする。
戻って来たら、真っ先にふかふかのラグを買わなければならない。




