郷愁と閃き(4)
首都には城がある北側を除く三方に門があり、正門は南だ。
近場には冒険者ギルドがあり、中央へ続く大通りは、国内外から訪れた商売人の市で賑わっている。
いわゆる、庶民の多くが住居や店舗を構えている区画だ。
国によって定められた審査を通過できれば、誰でも土地が買えるし、屋敷や店を建てることが出来る。
中央には様々な手続きをするための役所があり、そこから北側は、特別区だ。王族が土地の権利を有しており、それを下賜された貴族や騎士、聖女とその家族しか住めない。
「ええと、住居関連の窓口は──と」
行き当たりばったりで来た上に、初めての手続きなので少し緊張する。
役所の中はほどよく静かで、行き交う人の足音がよく響いた。
案内板を見てもよくわからなかったので、有人の案内窓口に移動する。
私が近づくかなり前から、受付の女性は私を見てくれていた。
(さすが……案内板を見てる時点で、気に掛けてくれていたのね)
「こんにちは。ご用件はなんでしょう」
「えと、新居を探していて」
「居住登録はお済みでしょうか?」
「いえ。ええと、移住者じゃないんです。仕事の都合で、一人暮らしをしなければならなくて」
「ああ、なるほど。ご希望の区画はどちらになりますか?」
「特別区です。できれば西側で」
私の言葉に、手元に書類を引き出していた女性の手が止まる。
私を見上げると、二度ほど目を瞬かせた。
「え、ええと……お名前と、ご身分かご職業を証明できるものはございますか?」
「ラフィカ・イエインです。証明は、これでいいかしら?」
女性が何かを言おうとして飲み込んだ気配に戸惑いつつ、懐にしまっていた小箱を取り出す。女性は失礼しますと一言添えてから、ぱこっと箱を開けた。
卒院の証である紫水晶の耳飾りが姿を現し、キラリと輝く。
ローブが出来るまでは外しておくようにと、協会で言われたのだ。
「まぁ、聖女様だったのですね。申し訳ありません、時期的に特別区への申請が珍しかったので」
「珍しい……? ああ、そうか。国民なら、大抵は卒院前後に申請しますもんね」
女性の微妙な態度の答えを知り、安堵する。
特別区への居住資格のない無知な若者の可能性が脳裏を過って、口籠もったのだろう。
そこで、頭ごなしに「貴方は無理ですよ」と言わずに、きちんと確かめるあたりがプロだ。
というか、私の挙動が不審だった──とかじゃなくて良かった。
「お名前の確認ができました。すぐに担当の者が来ますので、あちらのソファでお待ちください」
「ありがとう」
「とんでもありません」
事務的だった笑顔と態度でも充分丁寧だったが、それが敬愛に満ちたものに変化している。
なんともこそばゆい気持ちになって、私は足早にホールの隅にあるソファに向かった。
(本当に、みんな聖女を希望として見ているのね)
見知らぬ相手にその眼差しを向けられたことで、強く実感したというか、なんというか。
(普通の人達がいる場所では、言動に気をつけないと)
私自身の気概としては、殴られる前に殴れ! だけれど、それが聖女のイメージとしてよろしくないということくらいはわかる。
ローブを着ていないので、一目で聖女だと認識されるわけではないが、急に周囲の視線が気になって、思わず辺りを見回してしまった。
そしてその視線の先で、意外な人物を見つける。
「セルツェ?」
思わず呼びかけると、書類に向いていた顔がこちらに向いた。
「ラフィカ? なぜここに?」
「ええと」
会話するには微妙な距離だったので一歩踏み出したが、待たされている身だということを思い出して動きが止まる。
その合間に、手続きを終わらせたらしいセルツェの方が、寄ってきてくれた。
「ごめんなさい。私が声をかけたのに」
「いや、俺のほうは終わったから。君は何待ち?」
「住居の担当者よ。特別区に住もうと思って」
「なるほど、やはり国は君を早々に聖女として認めたか」
「そうみたい。授業を受ける前に、卒院させられちゃったわ」
冗談めかして肩をすくめたけれど、セルツェは笑わなかった。
「君の希望は第三部隊だったよな。国に所属するのか?」
「いいえ。無所属を選んだわ。国に属してしまうと、最終的な決定権が私にないでしょう? 希望が通らなかったら嫌だもの」
「なるほど。一応、名指しで要望をだしてくれるよう隊長に頼んでおくよ。必要無いだろうけどな」
微かに滲んだ声音の苦さに、私の方が眉を顰めてしまった。
「なぁに? あの時は待ってると言ってくれたのに、今更嫌になったの?」
「いや、そういうわけじゃ──」
表に出したつもりのない感情を掴まれることに慣れていない男が、わりと派手に動揺する。
それでも、ちょっと瞬きが増えた程度だったけれど。
「あの……」
私が更なる追求を口にする前に、いつの間にか側に来ていた誰かの声が割り込む。
はっとして視線を向けると、眼鏡の中年男性がファイルを片手に佇んでいた。短めの髪を丁寧にセットしており、いかにも役所の中堅、といった感じだ。
「あ、担当の方ですか? すみません、知り合いがいたので話し込んでしまって」
「いえ。こちらこそ、お待たせしてしまって。私はオルドと申します」
「ラフィカです。よろしくお願いします」
互いに軽く挨拶をしてから、オルドさんは手に持っていたファイルに視線を落とした。
「ええと、新規をご希望だと思って、内覧できる物件のファイルをお持ちしたんですが……。既にお住まいの方の住居に転居なさる場合は、別の手続きが必要ですので」
「待て、誤解だ」
話の意図がわからなくてぽかんとしていた私の隣から、焦り気味の制止が入る。
驚いてセルツェを見上げると、心なしか目元が赤い気がした。
「セルツェ? 急にどうしたの」
「誤解をされているから、止めたんだ」
「え?」
「ええと、一緒にお住まいになるわけでは……?」
「ない、ですよ!?」
ようやく、さっきの会話がオルドさんに誤解を与えたのだと理解出来て、慌てて否定する。
「やだ。待ってる云々が、恋人同士の会話に聞こえたのね」
確認するように口にしてしまったせいで、微かな羞恥に頬が赤くなってしまった。
「ファイルを見せていただいていいかしら?」
恥ずかしさを誤魔化すための早口に、オルドさんが素早く反応してくれる。
差し出されたファイルを、深呼吸をしてから受け取った。
「西側を希望ということでしたので、そちらを中心にご案内させて頂きます。気になるものがありましたら、お声がけください。あ、どうぞソファに腰かけていただいて……その、エテルノエル様も」
「俺はいい。というか、俺を知ってるのか?」
「もちろん。貴方様の住居の手配も、私がしたんですよ」
「そうだったのか。すまない。当時は色々とばたついていて──同僚の顔と名前を覚えるので精一杯だった」
「お気になさらず」
二人の会話を聞き流しつつ、ファイルを開いてから、はっとする。
慌てて顔を上げた私に気づいたセルツェが、見下ろしてきた。
「どうした?」
「ごめんなさい、セルツェ。私に付き合わなくても大丈夫よ」
「気にしなくていい。戻れと言われている時間までまだ余裕があるし、特別区の西側なら俺も助言ができる。付き合うよ」
「本当に? 正直助かるわ。ありがとう」
感謝しかないので顔を見てお礼を言ったが、長時間見ていたらせっかく収まってきた羞恥がぶり返してしまいそうだったので、ファイルに視線を落とす。
彼自身も、多少気恥ずかしさを感じているのがわかるから、余計に意識してしまった。
私だってうら若き乙女なので、色恋に関する誤解にはちょっとの嬉しさと恥ずかしさを感じてしまうのだ。
(私は野望があるから、今は恋なんて考えられないけど……)
いつかは、素敵な男性と幸せな結婚をしたいという思いくらいはある。
前世では婚約者がいたが、父が決めた相手だったし、この人と結婚したら父が安心してくれるんだろう、という義務感しかなかった。
(前世では父や兄に追いつこうと必死で、色恋どころじゃなかったのよねぇ。私もいつか、誰かに恋をするのかしら)
埒のない事を考えつつパラパラとファイルを捲っていた手が、他と比べると違和感を抱くほど、手狭な間取りの家屋で止まる。
備考欄を見ると、国費で建てられた仮住まいだった。
(なるほど。貴族以外で勝ち上がった者達のための住居ね。慣れない大きな屋敷は、かえって不便だもの)
つまるところ、庶民上がりもそれなりにいる、若い騎士達のための物件だ。入居の条件としては「未婚であること」としかなかったので、聖女の私でも住めるだろう。
「ああ、いい選択だな。その広さなら、使用人を雇わなくても管理ができるから楽だぞ」
ファイルを上から覗き込んでいたらしいセルツェの一言が、私の心を迷わせる。
セルツェは私が庶民の娘だということを前提にアドバイスしてくれたのだろうが、前世の記憶を取り戻した私にとって、使用人に囲まれる生活は苦ではないし、どちらかというと楽だ。
(でも、自分のことを自分でやる自由さも、同じくらい価値があるのよね)
「セルツェは、どんな家に住んでるの?」
参考までにと問うと、セルツェは微かに眉間に皺を寄せた。
「どこでもいい──と言った俺も悪かったんだが、そこそこ立派な屋敷を選ばれてな。俺は使用人と生活することに慣れてないから、酷い目にあった」
「そうだったのですね。申し訳ありませんでした!」
オルドがさっと顔色を変えたことで、そういえばその屋敷を手配した本人だったと気づかされる。
「ああいや、貴方は悪くない。どうせマールス隊長に、色々と条件を出されていたんだろう? あの人は貴族だから、快適に思う生活基準が、俺とは違い過ぎただけだ。仕事が忙しくて放置していたが、今日で無事に転居の手続も終わったしな」
「ああ、そうだったのですね。把握しておりませんで、申し訳ありません」
(なるほど。だから今日、ここにいたのね)
というか、セルツェの表情と声音に温度がないからか、オルドさんの顔色が戻らない。額に滲み始めた汗を、しきりにハンカチで拭っていた。
(絶対これ、嫌味と威圧だと思われてるわね)
この人は無表情なだけで、貴方を責めているわけではないんですよ──と言ったところでややこしいだけなので、話を逸らすことで助け船としよう。
「じゃあ、セルツェも引っ越したばかりだったのね」
「ん? ああ。役所への手続きが遅れただけで、もう二ヶ月は住んでるけどな」
セルツェの意識が私に向いたことで、あからさまにオルドさんがほっとしていたのがおかしかった。
「じゃあこのタイプの物件を、いくつか見せて貰おうかしら」
「はい、喜んで」
オルドさんが準備する時間を挟んでから、役所を出て特別区へ向かう。
仮住まいが並ぶ区画はマス目のように綺麗に家屋が並んでおり、手狭な感じがなんとなく庶民層に近い。
昼間という時間帯もあって静かではあったが、目に馴染む景色に安心感もあった。
(まぁ、ここのほうが、信じられないくらい綺麗だけれど)
私が理想とする範囲の物件は三件あったが、そこから一つを選ぶのに時間はかからなかった。
「まぁ、ここで決まりよね」
「待て、ラフィカ。一ヶ月前までは、第二部隊の騎士が住んでたはずなんだ。転居理由はなんだ?」
「え? ええとですね──」
セルツェの問いに、オルドさんが慌てて書類を確認する。
「ああ、ご結婚なされたようです」
第三部隊の駐屯本部に、徒歩でいける距離に位置していた物件。
位置的にいいなと思っていただけではなく、なんと向かいがセルツェの家だった。
おそらくは、私と同じ事を考えて選んだ物件だったのだろう。
「結婚した理由は? 怪我による引退とかではないよな?」
セルツェが問いを重ねたことで、私とオルドさんはその意図を理解した。
互いに顔を見合わせあい、微笑んでしまう。
オルドさんにもセルツェの優しさが伝わった、記念すべき瞬間である。
「プライベートな話になるので、こちらも仔細は把握しておりませんが、同時期に役所の若い女の子たちが結婚の話題で色めき立っていた記憶があるので、暗い理由ではないと思いますよ。戻って彼女達に確認しますか?」
「いや、そこまでしなくていい。すまない、無茶なことを聞いた」
「とんでもありません。私だって、大切な友人が住まう場所となれば、縁起は大切にします」
意図が伝わっていることをオルドさんが告げると、セルツェは少し気まずそうに視線を逸らした。
私自身も「大切な友人」という言葉にこそばゆさを感じる。
彼が私の元に現れるときは、たいてい平穏という言葉とはほど遠い事態になっていることが多いが、だからこそ、この短期間で信頼関係を築けた気もする。
「ふふ。じゃあ、大切な友人が吟味してくれた、ここに決めるわ。すぐに戻って、手続きしちゃいましょ」
「ラフィカ、からかわないでくれ」
「からかってないわ。私たち、友達でしょう?」
本心からそう言った私を、セルツェが見下ろしてくる。
身長の違いによるこの視差は不便の極みだが、彼のアイスブルーの瞳は翳ると発光しているように見えて綺麗なので、嫌いになれそうにない。
そう思って微笑んだら、彼のほうが眩しそうに目を細めたので、笑ってしまった。